弔問外交

世界中どこのえらい人が亡くなっても各国とも元首や特使が世界中から飛行機でやってくる。日本の田舎でも同じ、亡くなった人に畏敬の念を表わすのは洋の東西を問わない。電話やテレビでは駄目、本人が会って「おくやみ」を言わなければ、ことは済まない。大昔からの日本と同じではないか。「日本は神の国」などという気はないが、戦前、戦中、戦後を見て来た我々には若い人に伝えたい「村の鎮守」やお寺、自分の信じる宗教等々どんな時代にも変らないものが少しは有ることを、ことの善しあしを見極めて見直したらどうだろう。

国と国との喧嘩にしても、最後は首脳同士が会って話し合いをして治まるのが自然のルール、裁判なんてそれまでの一過性でしかない。

法律そのものが人間の考えたもので、時代と共に変ることも有り得る。

自然の力を甘く見ず、先祖を大切にする、親孝行、他人に思いやり、家中仲よく暮らす。

事の善しあしの倫理観を各人各様にもって生きている。

簡単なことばかり、インターネットの厄介にならなくても、毎日子や孫に伝えたいことは山程ある。

惜しがらずエーカッコせず「親の役目」を果たしたいものと、思う昨今である。

とにかく世の中忙し過ぎる。物が有り余って贅沢を通り越して心までも大安売り、時代に引廻されて自分の立っている位置も忘れがちである。

医者に勧められることも無いだろうが酒も煙草も大いに飲んで、煙の中から、新しい時代がみえるかも。

木原重信 / 2000年5月

解題

この短い随想は、加美町老人クラブ連合会の会報『かみ老連』第7号に掲載された、父木原重信の最後の文章である。会報が発行されたのは2000年の8月だが、父が原稿を書いたのは5月ごろだ。

2000年6月16日に父は死んだ。72歳だった。

「親の役目」なんて書いてらぁ、と思う。喧嘩になるので言うのを我慢していたんだろう、もうあまり説教じみた事は言わないようになっていたが、やっぱり、言い聞かせたい事があった訳だ。

「インターネットの厄介にならなくても」というのは、ワープロに対してすら四苦八苦していた父を思うと、ちょっと強がりのようにも聞こえて、まだ色気があったんだなとも思う。しかし、全体として、年老いて、本当に大切にしている事にしか関心がなくなった父の思いが、良く出ていると思う。

叔父から、この文章を印刷して、父の兄弟姉妹たちに配ってほしいと、ずいぶん前に言われていた。はいはい、とか安請合いして、今日まで、延び延びにしてきた。「何でさっさとせえへんのや」と父なら思ったことだろう。

2001年3月 / 2010年10月(解題を少し修正)

最終更新日 : 2011-01-19