樂しい日記 1998年

April

4月28日(火)

いろいろとあったけれど、結婚することになった。

明日、教会で式を挙げる。教会と言っても、ハワイかどこかのキリスト教のチャペルじゃなくて、加美町市原にある天理教の教会だ。お互いの家族だけに集まってもらって式を挙げ、そのあとでささやかな会食をする。

盛大な披露宴は無し。新婚旅行も行かない。新婦が妊娠しているからというのが表向きの理由だが、実は、新郎がビンボーだからだ。

いや、本当だ。今度、結婚するとなって、ハタと気がついた。金がないぞ。なんでや?

May

5月17日(日)

棚田オーナーの田植え祭り。

去年と違うのは、オーナーが10組から20組に増えたこと。「棚田オーナー制度」の仕組み自体は変わっていない。

去年は最初の年だったので、ある程度、損得勘定を抜きにして、お祭り気分でわーっとやった面があった。今年は、もう少しじっくりと、棚田オーナー(借り手)、棚田の持ち主(貸し手)、そして村全体の利害関係を調整しながら、長続きする仕組みとして育てていこうとしている。 棚田オーナー制度

木原は、今年も焼きそば係。まあまあ、楽しかった。

5月19日(火)

加美町文化協会定例総会。

加美町住民センターで、夜の8時から9時まで。1時間、ただ席に座って、ときどき拍手しただけ。何じゃ、こりゃ。

棚田オーナー制度のページを更新した。

ひとつ、棚田のリンク集に追加したいページを見つけている。お楽しみに。

5月26日(火)

と言うわけで、陽 & HIRO の ばいくっくLIFE棚田のリンク集に追加した。

お二人は羽曳野市に在住のコピーライターで、明日香村へ通って米作りをなさっている。2年目の今年は、田圃だけでなく、畑とお酒のオーナー(おぉっ)にもなられたそうだ。

百姓は面白いのかもしれないと思う。

さて、もうひとつ、面白い人のページを見つけている。お楽しみに。

5月27日(水)

万歩計をつけている。

中年プログラマの木原(御年41歳)は、朝起きて会社に行き、一日働いて、夕方家に帰ってくる。さて、木原は何歩、歩いたか。

約 3000 歩だ。通勤のマイカーの中でも万歩計をつけているから、実質は 2000 歩少々だろう。

「これは少ないんじゃないか」 木原はそう思った。そこで、昼休みに 20 - 25 分の散歩をするようにした。この場合で、5 - 6000 歩。散歩をさぼれば、当然、約 3000 歩だ。

昨日、ふと思いついて、嫁さんに万歩計をつけてもらった。ちなみに、彼女は妊娠8ヶ月で、医者からは安静にするようにと言われている。今はあまり出歩かず、のんびりと家事の合間にデザインの仕事をしたり昼寝をしたりしている。さて、彼女は一日で何歩あるいたか。

約 8000 歩だ。

8ヶ月の妊婦が 8000 歩あるいているのに、木原はたったの 3000 歩だ。こりゃ、いかん。体重が減らない訳だ。

嫁さんは僕の腹を見て言うのだ。「おいちゃん、安静にして立派な赤ちゃん産んでよ」

本日の木原の体重 79.6 kg 也

5月28日(木)

今日は 3000 歩。

体重は、、、計るの忘れた。

5月29日(金)

今日は 6000 歩。

余分の 3000 歩は、あれは何て呼ぶのだろう、「ウォーキング・ベルト・マシン」 ? ほら、TV shopping で見かける(パチモンの)室内運動器具、そう言えば分かるでしょう。ずいぶん前に嫁さんが買って、三日間だけ使って放置しているという代物だ。

しかし、これは馬鹿にしてはいけません。非常にきついです。2 km(距離計がついている)を 32分35秒(時計がついている)かけて歩いた結果、62 kcal (カロリー計もついている)消費して、汗だくになって、へとへとになった。

普通の散歩で30 分ぐらい歩くのと、えらい違いだ。どちらも、同じ 3000 歩ぐらいになるけれど、運動量が全然ちがいます。

実は、体重が 82 kg を越えたので、2週間ぐらい前から、間食をやめたり缶ジュースをやめたりコーヒーの砂糖を抜いたりしている。

本日の木原の体重 79.0 kg 也

5月30日(土)

今日は仕事は休み。

午前中、嫁さんとふたりで刀鍛冶の真鍋さんを訪問した。

仕事が仕事だけに、職人気質の気むずかしい人かも知れないと思っていたのだが、、、なんて書くと嘘になるか。僕らが人から聞いていたのは(どらえもんの)「のびたくん」みたいな顔の人だという事だった。それなら安心、という訳で、のこのこと出かけて行ったのだ。

気さくな方で、初対面にもかかわらず歓待して下さり、いろいろ話を聞かせて貰ったり、仕事場を外から見せて貰ったりした。

真鍋さんは刀鍛冶の仕事が面白くて面白くて仕方がないと言った感じだ。だから、という訳でもないのだろうけれど、今はまだ独身だ。ガールフレンド募集中、ですよね、きっと。

あ、そうそう、カメラをもっていくのを忘れたので、残念ながら写真はとっていない。「のびたくん」そっくりだったとだけ書いておく。

この間、「もうひとつ、面白い人のページをみつけている」と書いたのは、この真鍋さんのホームページだ。滅多に見られない種類のホームページなので、一度見てほしい。 真鍋純平鍛刀場

今日は犬の散歩やら「ウォーキング・ベルト・マシン」やらで 9000 歩。

本日の木原の体重 79.5 kg 也

June

6月2日(火)

すぎっち(誰)さんのメールを引用しよう。彼の了解を得ていないので本当は反則なのだが、特に差し障りは無いと思うので、事後承諾をあてにして強行突破する。

僕は、この4月より保健福祉課から、給食センターへ異動となりました。

昨年度までは、1日5千歩が良いところだったのですが、今は1万歩はよく歩いています。

揚げ物とかのある日など、多い日は2万歩を越えます。

--(中略)--

そうそう、知ってますか? 今、たまごっちの様に育っていく万歩計があるんですよ。

1日の目標値を決めておき、それをクリアするとかわいく育っていくのです。目標にとどかないと、太っていくんです。最終的にはきれいな女の子になるんですよv(*^_^*)v

おいちゃんは、きれいな女の子に育った万歩計を見てニヤニヤするよりも、若い女性に「木原さん、すてき」と言われたい。

本日の木原の体重 78.9 kg 也

6月11日(木)

42.195 km を歩いた。

6日(土)から7日(日)にかけての夜中、杉原川清流コースというマラソンコースを歩く「オーバーナイト・ハイク」に参加した。

好きで参加したのではない。誘われて、断る理由を見つけられないうちに、「もう申し込んだぞ」と言われてしまった。

鬼のようなもーさんによってこの苦行にひきずり込まれたのは、僕を含めて全部で5人だ。全員が初参加。いや、ほんと、よく歩いたもんだと思うので、栄誉を讃えてフルネーム(敬称付き)で書いておく。きはらたかひろ様、やすだとしお様、ないとうしげき様、おがわみちのぶ殿、そして、わたくし。

えと、おがわさんは折り返し地点までの参加だったので、敬称のランクを少し下げさせて貰う。けして途中で逃げたという訳じゃない。けれど、けれども、だな。

後半、特に 30 km 以降の苦しさは経験しないとわからないと思う。一度ためしてごらん。面白いよ。

所要時間は休憩や食事も含めて10時間。歩数は、木原の場合で、59,500 歩。

本日の木原の体重 78.2 kg 也

6月12日(金)

たかえさんが今日から入院。

31週目に入ったところだった。双子をみごもっている身としては、よく持ちこたえた方なんだろう。

さて、もう何時生まれてきてもおかしくないんだから、本気で名前を考えなくちゃならない。

「おいちゃん、わかっとんのか。名前かんがえてよ。あんたの子やで。」 へい、わかっております。

本日の木原の体重 77.9 kg 也

6月22日(月)

たかえさんが入院してから 10 日たった。

ずっと、24 時間、点滴を受けていたのだけれど、今日、久しぶりに点滴をはずして、飲み薬に変更してもらった。

「点滴を受けていた」だけだと、ひどい重体と間違われるかも知れないので、ちょっと説明しておこう。これは、「おなかが張る」のを緩和するための薬だ。

僕は経験がないので分からないけれど、妊婦さんは赤ん坊が大きくなってくると、時々「おなかがぷぅーっと張る」のだそうだ。子宮内圧が高まるという事なんだろう、多分。

で、これをそのまま放っておくと、子宮口がひらいて、陣痛が始まって、早産してしまう危険が出てくるわけだ。赤ん坊はなるべく「月が満ちて」生まれる方が良いので、あまり早い時期におなかが張る場合は、飲み薬をもらって「安静にしてなさい」という指導を受ける。そして、程度によっては、「入院」「点滴」ということになる。

さて、点滴を外してもらって、たかえさんは、今週末には帰宅するつもりでいるようだ。どうなることやら。

42.195 km を歩いて以来、ほとんど歩いていない。体重の減少も、ここにきて小康状態というか、ちょっと戻り加減なのが気になる。4日ぐらい前に計測したときは、76.2 kg だったのにな。

本日の木原の体重 77.0 kg 也

6月28日(日)

嫁さんが退院。

半月ぶりに外に出て、嬉しくてたまらないという様子だ。病院から家までのドライブだけで大喜びしている

「もう大丈夫」という訳ではなく、「入院生活も長くなったから、ちょっと、ここらで中休み」みたいな意味での帰宅許可だと思う。一応、予定としては今度の土曜日に再度定期検診するまでは、自宅で安静だ。

6月30日(火)

双子が生まれた

予定日より1ヶ月半ほど早い、33週と5日での誕生だった。

午前8時ごろに破水。

あっちこっちに電話をかけ(これは嫁さん)、用意しかけていた品々を紙袋に詰め込み(これは僕)、食べかけていたトーストを最後まで食べて(これも僕)、宇都宮産婦人科に向かう。

嫁さんのトゥデイで行こうとしたのだが、バッテリーが上がっていて始動しない。おぅまいがぁ。仕方なく、妊婦には評判が悪いが、足回りをビシッと固めた僕のコラードに乗せていく。運良く、電話連絡しておいた義父が帰宅するのに出会ったので、途中でマーク II に乗り換える。乗り捨てられた左ハンドル+MTのコラードは義父(御年64歳)が病院まで運んでくれた。おっとろし。 ( カッコばかりの役立たずの車で申し訳ない。 )

義父のほかに、母と義姉が合流。

診察の結果、未熟児のための設備が整っている西脇市民病院に行くべし、となった。ホテルのような個人経営の奇麗な産院で出産してやるという嫁さんの夢は叶わなくなった訳だ。

まぁ、しかし、ある程度は覚悟していたことでもあるし、宇都宮産婦人科ではたっぷりと半月ほど過ごしたし、何といってもあっちには(部署は違うけれど)姉さんが勤務しているし、これで良いか。という訳で、マーク II は義姉のソアラに先導されて西脇市民病院へ向かった。

西脇市民病院では、診察の結果、午後2時半から帝王切開によって出産、手術までの時間は胎児監視装置をつけて待機、ということになった。

3人部屋に入れられて、オマルで用を足すように言われた嫁さんは、ケラケラ笑い出してしまった。「あぁ~あ」という落胆をはるかに通り越してしまったらしい。人気商売である個人経営の産院は明るくて清潔でロマンチックなムードにあふれているが、公立の総合病院ではそうは行かない。

けれど、スタッフはとても優秀だと思う。今日は多くのお医者さんや看護婦さんの世話になったけれど、みんな、テキパキしていて丁寧で、親切で明るかった。

胎児監視装置からは、ふたつの心臓の音が聞こえる。看護婦さんたちが「ほぅ、こら元気やわ」「元気やねぇ」と言ってくれた。

坂本の叔母が来てくれた。

午後2時半、嫁さんは手術室に入っていく。義姉が付き添っていった。

吉川の義妹が来てくれた。

午後3時1分、第一子誕生。

午後3時5分、第二子誕生。

ふたりとも、すぐに新生児集中治療室 ( NICU ) へ移された。ちらりと見た限りでは、元気そうだったので、ほっとする。

父が鹿野の叔母を連れて病室にやってきた。たまたま出会ったのだそうだ。

しかし、手術室から嫁さんがなかなか出て来ないので、だんだん心配になってきた。やっと出て来たのは、午後4時ごろ。赤ん坊を出してしまってからの方が時間がかかるものだそうだ。何も悪いことは起こらなかったらしい。ただ、疲れたらしく、ぐったりしている。術後に与えられた睡眠薬が良く効いて、すぐに寝息を立てて眠り込んでしまった。

午後5時半頃、一通りの処置が済んだということで、僕、父、母、義父、義姉の5人は NICU に入って赤ん坊たちと対面させてもらった。

ふたりとも、保育器に入っている。第一子の方がちょっと小さい。けれど、両方とも元気で、きれいで、男前だ(客観性ゼロ)。それに、よく似ていて双子のようだ ( ふたごだ、っちゅうの)。

触っても良いですよ、と言われたので、保育器のなかに手を入れて頭をなでたりした。

午後10時ごろまで、眠っている嫁さんに付き添い、義姉に交代してもらって帰宅。あっという間の一日だった。

本日の木原の体重 75.8 kg 也

本日の第一子の体重 1746 g 也

本日の第二子の体重 2036 g 也

July

7月1日(水)

出生届を役場に提出した。

第一子は啓作、第二子は悠助と命名した。

嫁さんは事ある毎に 「おいちゃん、名前、考えてよ」 と僕を急かしていた。「二日に一つでええ。そしたら、生まれるまでにようけ出来るやろ」とか、「考えちゃったか?なんぼ出来た?」とか、「えーっ、あれだけ言うとるのに、まだ二つかいな」とか、「ちゃんと画数の良え名前にしてよ」とか。

ただし、自分ではあんまり考えないのである。「おいちゃん、セイジゆうのん、どやろ」「セイジ?どんな字、書くのん」「それはおいちゃんが考えるんやんか」

一昨日の夜も、義姉と三人で名前のことを話していた。あれだけ急っつかれていたのに、僕の頭の中には、「啓作」「悠助」という二つしか候補が出来ていなかった。どうも、他に気に入る名前が思い浮かばない。と言うか、この二つが頭の中にデンと座って、他が出てこないのである。

で、嫁さんも義姉さんも、「ケイサク か、ふうん。ふん、ふん」 とか 「ユウスケ、うん、うん」とか言う。実はこういう反応は承認に近かった。「えーっ、△△△ ? 絶対イヤ」「それだけはやめて」 「○○○○ ? 何かもっとカッコ良えのないの」など、即座に却下されたのが過去にいくつかあったのである。

という訳で、第一子よ、君の名前は啓作だ。第二子よ、君の名前は悠助だ。父はこの二つの名前が気に入っている。

ところで、二人が嫁さんの真似をして僕を 「おいちゃん」 と呼ぶようになったら、どうしよう。

7月2日(木)

今日、嫁さんが歩けるようになった。

痛み止めの座薬を処方してもらって、のそのそとではあるけれど、ベッドを降りて一人で行動できるようになった。昨日は こんな具合だったことを思えば、まずはめでたい。

夜の面会時間に子供たちに会いに行った。NICU に入るのは、僕は二度目、かみさんは初めてだ。

啓作と悠助とたかえさんの写真。ちょっと大きい ( 68 KB ) から、親ばかを大目に見てくれる人だけ、ご覧ください。

さて、ところで、だ。僕は今日、御年42歳の誕生日を迎えた。うーん、めでたいのだろうか。めでたい、の、だろう。

ま、楽しいから、良いや。

7月30日(木)

ちょうど一ヶ月すぎた。

二人とも順調に育って、退院する日も近づいてきたようだ。

ちょっとこの写真を見てくださいな。一昨日撮った写真だ。かわいく見えるのは親馬鹿だからだ、っていうことは分かっているけれど、それでもかわいいんだから。

啓作(左側)は、この写真のとき、約 2,200 g 、悠助(右側)は約 2,500 g だ。授乳直後で、とっても幸せそうにしている。

August

September

9月19日(土)

ずいぶん日がたってしまった。

僕はどうも、本当に記録したいことは、日記に書けない性分のようだ。単純に忙しかっただけ、という事かもしれない。それでも、根っから文章を書くのが好きな人なら、どんなに忙しくても日記を付けるのだろうな。一番面白い筈のところがスッポリ抜けている日記というのも、読んで面白くないでしょう。ごめんなさいね。

二人のこどもは8月13日に退院した。ちょうど、本来生まれるはずの予定日だった。

いや、まぁ、それからが大変だった。今も大変だけど、少し慣れたかな。双子の育児というのは、ほんと、えらいことですぜ。ミルクをやることも、おしめを替えることも、お風呂に入れることも、みんなやりました。現在もやっております。一人を背中に背負ってもう一人をだっこして、とか、一人にミルクをやりながらもう一人のゆりかごを(足で)ゆすったり、とか、やってないのは、母乳をやることぐらいかな。

僕は昼間は外に出ているからまだ良いけれど、嫁さんは本当に大変だ。自分の時間なんてほとんど残らないみたいです。

9月13日、お宮参りをしたときに撮った写真。他にきれいな着物を着せて撮ったのもあるけれど、デジタル・カメラのはこれだけ。かわいいでしょう。

October

10月11日(日)

またしても月日は流れて、あっという間の10月だ。

祭り疲れである。9日(金)は村祭りの準備と宵宮。10日(土)は村祭りの後片付け。そして今日は棚田オーナーの収穫祭。

楽しかったことは楽しかったけれど、「あぁ、しんど。もぅ、えぇ」という気持ちも否定できない。『岩座神レポート』としては伝えるべき事が沢山ある筈だが、個人が好き勝手にやっている「オフィシャル・ページ」だからという訳で、さぼらせていただくことにする。

本当のところ、岩座神は去年ぐらいからずいぶん活気のある村になってきていて、レポートすることはいくらでもあります。その証拠に、加美テレビ(ケーブルTV)のニュースの放送時間を部落別に集計すると、岩座神がダントツの一位だそうです。美人アナウンサーの吉田さんがおっしゃってました。(嘘ですけど。)

10月27日(火)

嫁さんが「ミルク・クラブ」という双子(の母親)の会に行って写真を撮ってきたので紹介しよう。1枚目、そして、2枚目。2枚目の方で囚人服(横縞の服)を着ているのがうちのぼんぼんたちだ。

この会は、この夏に発足してばかりで、会員もまだ10人ぐらい。10人というのは母親の人数ですよ。一番大きな双子たちでも2歳になっていないんじゃないでしょうか。

月に2回ほど集まって、物々交換やら、情報交換(愚痴の言い合い)やら、やっているようです。この写真の時は、育児相談員の人も来てくれていたらしい。


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