樂しい日記 2008年10月

2008 年 10 月 1 日 (水)

仕事のメモ

畫面の張りぼてがほぼ全部出來た。

2008 年 10 月 2 日 (木)

仕事のメモ

畫面の張りぼてを微調整。

作業スケジュールを組んでみる。

2008 年 10 月 3 日 (金)

仕事のメモ

さあて、實作業に突入である。

詳細設計書の作成とプログラミングを竝行して進める。

似たような畫面の設計書をまとめて四つばかり片附けた。一つめの畫面の中身を八割方實裝した。

2008 年 10 月 4 日 ()

米のメモ

今年の米の收穫は、30kg入りの袋が全部で25と、28kgの袋が一つであつた。

最初の1袋は教會に持つて行つて神樣にお供へした。「初穗」だな。

次の15袋は、待ちかまへてゐた隣家(食べ盛りの中高生が四人ゐる)が、かつ掠ふやうにして持つて歸つた。

今日、岩座神に4袋と半端な28kgとを持つて歸つた。2袋は棚田オーナーへの販賣用であり、そのほかは當座の食用と進物用。

夕方、1袋を長井の叔父のところへ御禮として持つて行つた。殘り4袋を牧野の義父の保管庫で預つてもらふ。

メモ

午後、病院へお見舞ひに行く。一時間半ぐらゐ話し相手として捕まつてしまつた。

夜、見坂さんのうちで宅祭。

2008 年 10 月 5 日 ()

雨の日曜日

朝から雨。子供たちは今日もサッカーの試合である。寒いんぢやないかとかみさんにメールを打つたら、寒いしドロドロだし、もう大變とのこと。

*

岩座神の繪日記のバックログを消化する。

岩座神の絵日記 2008年8月31日 - 宮普請

岩座神の絵日記 2008年9月28日 - 棚田オーナー稲刈り・コンサート

*

少し時間が出來たので、若旦那から要請されてゐる機能改良の仕事に手を着ける。會社でやるべき仕事なのだが、着手するチャンスがなかなか巡つて來さうに無いので、今のうちに少しでもやつておかうと思ふ。

*

夕方から、サッカーの育成會の慰勞パーティー。當のサッカー少年たちと、その家族と、コーチ陣と。總勢60人ぐらゐゐたのぢやないかな。賑やかと言ふよりはやかましいパーティーだつたが、なかなか樂しかつた。

*

つひに我慢できなくなつて、Eastern Youth の CD と DVD を amazon に發註してしまつた。

2008 年 10 月 6 日 (月)

仕事のメモ

會議に邪魔されながらも、がりがりとプログラミングを進める。

2008 年 10 月 7 日 (火)

仕事のメモ

若旦那との會談に思はぬ時間を取られたのだが、それでも、がりがりとプログラミングを進める。

快調に飛ばして、最初の四つは出來た。次の三つに取りかかる。

2008 年 10 月 8 日 (水)

仕事のメモ

Eastern Youth を大音量で聽きながら、がりがりと仕事を進める。

昨日、家に歸つたら、註文してゐた DVD と CD が屆いてゐた。CD の方を携帶音樂プレーヤに轉送して職場に持つてきたのだ。イヤホンで聽いてゐるので周りの迷惑にはなつてゐない筈だ。

最初に設計書を粗々作つて、プログラムを書く。少しづつ書いては動作を確認し、設計書の拔け落ちを補ひながら、プログラムをこねこねと作つて行く。夕方までかかつて、昨日仕掛かつた一つを完成させた。最初の四つとは構造がかなり違ふので、少し苦勞した。

夜、出來たやつを元にして、よく似た二つを設計書もろとも半時間ぐらゐで拵へた。コピー、ペースト、文字列置換である。共通部分を括りだしてコンポーネント化、といふやうな優雅なことは(ここでは)やらない。

次のやつの設計書を作成し、プログラムを半分ぐらゐ作つて、今日はお終ひ。

線表上では三日分ぐらゐ進んだ譯だ。

2008 年 10 月 9 日 (木)

仕事のメモ

今日も快調に飛ばす。

また一つ完成。

2008 年 10 月 10 日 (金)

仕事のメモ

別の系列に着手したので、スピードががくんと落ちた。

取り合へず、設計書を書けるところまで詳しく書く。

必要なテストデータが無いので、まづ、それを作る作業を始める。

*

今日は早く歸る。

月次祭

夜、岩座神で月次祭。

2008 年 10 月 11 日 ()

秋祭宵宮

朝から岩座神で氏神(五霊神社)の秋祭の準備。

みんなで手分けして、幟旗を立てたり、提燈や燈籠を提げたり、曳山車(ひきやま)の飾付けをしたり、福引きの準備をしたりする。晝食の休憩をはさんで、三時頃までかかつた。

夕方から、かみさん、子供たち、姪つ子、子供たちの友だち、歸省してゐる妹と、大勢集まつて、秋祭の晩餐。いつものやうに、鋤燒き。

夜、八時過ぎから、曳山車の宮入り。九時半頃に餅撒き。

2008 年 10 月 12 日 ()

秋祭

朝八時から秋祭の祭禮、お當渡し(お宮さんの當番の交替)。

午後三時から祭の後片附けにかかる。片附けが終つた後は、帳破りと言つて、打ち上げの宴會である。

2008 年 10 月 13 日 (月)

棚田オーナーの收穫祭

棚田オーナーの收穫祭。

稻木に架けて天日干しにしてゐた稻を脱穀する。

作業は晝までで終り、豚汁と新米のおにぎりで收穫を祝ふ。そして、案山子のコンテストも行ふ。

秋晴れの好い天氣だつた。

秋祭と收穫祭については、岩座神の繪日記にも書く豫定。

2008 年 10 月 14 日 (火)

プロパティ・シートに嵌る

プログラムを英語版の Windows にセットアップするだけの、一時間程度で濟む筈の仕事だつたのだが、思ひがけない障碍の發現に見舞はれて、丸一日、頭を惱ますことになつてしまつた。

*

そのプログラムでは、リソースだけの DLL で言語スキンを變更する、といふ仕組みを使つてゐる。本體のプログラムには日本語のリソースを附けておき、英語およびその他の言語のリソースは DLL で提供する。

この仕組みは、これまでずつと、うまく動いてゐた。

ところが、今日、これが英語版の Windows では動かないことに氣附いた。プロパティ・シートを表示しやうとすると落ちるのである。

これは、プロパティ・シートに追加するプロパティ・ページのフォント指定の問題だつた。MS Shell Dlg フォントでは駄目で、MS San Serif にしないと具合が惡いらしい。

普通のダイアログでは問題無い。日本語の Windows でも問題無い。何でや、手拔き違ふか、と文句を言ひたいけれども、英語版の Windows では、さういふものらしい。

ともあれ、原因が分つて、囘避策を講じることが出來て、やれやれである。

2008 年 10 月 15 日 (水)

仕事のメモ

午前中、昨日のドタバタの後始末。そして、若旦那にブツを引渡すための會談。

午後は本來の仕事に戻つて、今日は、こねこねとプログラミングである。

檢索結果を一覽表示するところまで漕ぎ着けた。

2008 年 10 月 16 日 (木)

仕事のメモ

一日、こねこねとプログラミング。檢索結果に對する編輯機能もほぼ完成した。

今日もまた快調である。とは言へ、今日もまた歸宅は12時前である。

2008 年 10 月 17 日 (金)

仕事のメモ

一つめを完成させた。

そして、二つめも(似たやうな畫面と機能なので)、一氣に作つてしまつた。設計書もプログラムも完成である。

仕事の難度とボリューム感が判つて來たので、そろそろ、スケジュールの見直しをしても良いかもしれない。

2008 年 10 月 18 日 ()

忙しい休日

秋は休日が却つて忙しい。

午前中、義父の稻刈りを手傳ふ。

午後は、かみさんがサッカー仲間のお母さんたちから引き受けてきた仕事を半日がかりでこなす。

繪日記のバックログ(秋祭宵宮、收穫祭)を片附けたかつたのだが、時間が無かつた。それでも、ひとつだけ、YouTube にビデオを擧げた。棚田オーナーの脱穀作業の樣子である。

YouTube : 棚田オーナー脱穀作業

夜、久しぶりに、ベッドで子供たちに本を讀む。

2008 年 10 月 19 日 ()

蕎麥刈り

岩座神で蕎麥刈り作業。午前中で片附いた。

村からは晝食が出なかつたので、希望者だけでラーメン屋で慰勞會をする。割勘である。ビールが良く效いて、夕方まで寢てしまつた。

夜、繪日記のバックログを一つ片附けた。

岩座神の絵日記 2008年10月11日 - 秋祭の準備と宵宮

今日の作業も繪日記の對象なので、一つ減つて一つ増えた勘定になる。

今から、もう一つ、收穫祭の分を片附ける豫定。

秋は忙しい。

*

片附けた。

岩座神の絵日記 2008年10月13日 - 棚田オーナー脱穀作業・収穫祭

2008 年 10 月 20 日 (月)

月次祭

教會の月次(つきなみ)祭。會社を休む。

教會の祭だからと言つて、毎月同じ日に會社を休むのは、有給休暇を取つてゐるとは言へ、かなり奇異な事に見えるのかも知れないと思ふ。

普通の日本人(と言ふのも曖昧だが)は、自分は無宗教だと思つてゐるから、僕のやうなのは變人なんだらうな。

*

午前中に繪日記の殘りを片附けた。

岩座神の絵日記 2008年10月19日 - 蕎麦刈り

2008 年 10 月 21 日 (火)

仕事のメモ

三つ目に着手する。

先週の二つと似たやうな畫面だから同じやうなものだらう、一日あれば片附く筈だ、と高をくくつて手を着けたのだが、これがちよつと難物だつた。結果を表示するためには、あちこちのテーブルを引つ張つて來て、ちよつとした演算をしなければならない。しかも、それらのテーブルは僕の管轄外にあつて、まだ十分に作り込まれてゐないのだ。頓挫である。關係者との調整やら、テスト・データの作成やらが必要らしい。

おまけに豫期しない割込みが入つた。若い女性たち(詐稱)からのヘルプ・コールである。

「エラーが表示されて起動しない」と言ふ。ハードディスクが死にかけてゐるらしい。十年も前のハードウェアを使ひ續けてゐれば、遲かれ早かれ、さうなるに決つてゐる。おまけに、データのバックアップも取つてゐないと言ふ。

/usr を格納してゐるパーティションが致命的なダメージを受けてゐた。こりや駄目だ、もう、どうにも出來んかも知れん、と脅しを入れながら、OS のインストーラのCD-ROMから起動して、ゴニョゴニョと作業をしてみる。好運なことに、瀕死のハードディスクの他に、もう一臺、異状のないハードディスクが内藏されてゐたので、どうにか、ユーザ・データを救出して保存することが出來た。システムの復舊の目處も立つた。夜になつたので、續きは明日である。

2008 年 10 月 22 日 (水)

仕事のメモ

午前中は昨日の續きで、古いシステムの復舊作業。

午後はアカデミー(何)の先生(誰)の講習會と、月例の會議。

三つ目は昨日から殆ど進んでゐないままである。

2008 年 10 月 23 日 (木)

名古屋方面

久しぶりにはちべゑと連れ立つて名古屋方面に出張する。見込み客を訪問してのデモとヒアリングである。感觸は良かつた。多分、話が纏るだらう。

もう一件、近所にある既存の顧客をついでに訪問した。もう御前さんらに頼むやうな仕事は無い、といふ意味のことを遠囘しに言はれた。

と言ふ事で、今日も三つ目は全然進んでゐない。

2008 年 10 月 24 日 (金)

仕事のメモ

檢索のための複雜な SQL を何とかかんとか書き上げて、三つ目の畫面を完成させることが出來た。

テスト・データを作るためのスクリプトも作つて、檢索機能が、一應、問題なく動くことを確認した。やれやれ。

2008 年 10 月 25 日 ()

仕事のメモ

土曜日だが、出勤日である。

昨日作つた SQL を大先生に見て貰つて、手を入れる。少し SQL が面白くなつてきた。

設計書も作つて、これで三つ目も、どうにか終りである。

と言ふことで、週末でもあるし、今日は早く歸宅した。

2008 年 10 月 26 日 ()

雨の休日

岩座神で蕎麥の脱穀作業が豫定されてゐたのだが、ここ數日の惡天候のために、刈り倒した蕎麥が濡れてゐて、作業は中止になつた。

クライン・ガルテンの管理棟でコーヒーを飮ませて貰つた。

草刈りでもしようかと思つたのだが、雨が降つてきたので、何も出來なかつた。

牧野に歸つて、パソコンに向かひ、アメリカの若い人から貰つたメールに返信を書く。

彼は Eastern Youth の歌詞を英譯して、YouTube で公開してゐたのだ。先日、解釋を間違つてゐると思はれる所を指摘し、同時に、僕が英譯した奴もチェックしてくれ、と言ふメールを出した。さうしたら、すぐに返事が返つてきた。それに對してはすぐに返事を出したのだが、またすぐに返事がやつて來て、これが、結構、長文である。しかも、かなり難しい話題になつてしまつてゐる。

今日は、書きたいことの半分も書けず、まだ返信してゐない。

夕方、久しぶりに、かみさんと子供たちと四人で外食する。

今日は早寢。

2008 年 10 月 27 日 (月)

仕事のメモ

午前中は、半分、會議で潰れた。

午後は、二時間ぐらゐ、例の「若い女性たち」のための仕事で潰れた。

四つ目に取り掛かつてゐる。

2008 年 10 月 28 日 (火)

仕事のメモ

午前中は、メディア・コンバートの作業。

UNIX フォーマットの光磁氣ディスクを SUN ワークステーションで讀み出す。かういふ時のために、一臺だけ、MO Drive 附きで動態保存してあるのだ。そして、讀み出したファイルを FTP 經由でパソコンに取り込んで、DVD-R に燒き附ける。最後の所は、事務のお姉ちやん(敬稱)にやつて貰つた。

午後は、しこしことプログラミングと設計書作成。

五つ目に着手した。四つ目のやつは仕殘しがあつて、完成とは言へない。しかし、完成させるための條件が整ふのを待つてゐると何時になるか判らないので、片附けられる所から片附けて行かうと言ふ方針である。

2008 年 10 月 29 日 (水)

仕事のメモ

午前中に、マスタ・メンテナンス系の畫面(半月前ぐらゐに作つたところ)のレビューを行ふ。

特に大きな問題は無かつたが、他の擔當者が作つた部分と體裁を揃へるために、いくらか修正が必要になつた。夕方近くまでかかつて、プログラムと設計書をごりごりと書き直す。

その後、昨日の續きに戻つて、がしがしとプログラミングおよび設計書作成を進める。五つ目を完了し、六つ目もやつつけた。

2008 年 10 月 30 日 (木)

仕事のメモ

引き續いてがりがりとプログラムと設計書を作つてゐる。少し輕めの七つ目も完成したので、このシリーズ(何)は一段落である。

さらに、別のシリーズに屬する六つの小物をばさばさばさと片附けた。進捗表の上では大層進んだことになる。しかし、まあ、手を着けるのが怖いやうな大物を横目で見ながらの、氣分轉換のやうなものである。

さあて、と言ふ事で、殘りの課題を整理して、スケジュールの見直しを行ふ。10月の作業實績から考へて、當初より少し前倒しの線を引く。

バックアップ

かみさんのパソコンが壞れた。

起動しない。

取り敢ず、ハードディスクを取り出して、自分のパソコンに繋ぐ。かみさんが仕事で使つてゐるデータだけは救出したいのだ。

*

かみさんのパソコンには、メインのハードディスクの他にバックアップ用のハードディスクを追加しておいた。そして、仕事が一段落するたびにバックアップを取るように、かみさんを教育しておいた。と言つても、難しい事は要求してゐない。デスクトップ上に作つたアイコンをクリックするだけで、仕事のデータとメールのデータをバックアップ出來るやうに設定してあるのだ。

バックアップには勘所がある。まづ、面倒くさい手順を踐まなくても良いやうにすること。簡單にバックアップ出來ないと駄目だ。時間がかかるのも駄目。そして、次に、當り前だが、物理的に別のメディアにバックアップすること。

從つて、簡單さや速さや値段から考へて、現時點では、別のハードディスクにバックアップを取る、と言ふのが一番良い方法だと思ふ。かみさんのパソコンの場合は内藏のハードディスクにしたが、USB の外附けハードディスクやネットワーク・ストレージでも良い。(念のために言ふが、物理的に同一のハードディスクの別パーティション、と言ふのは駄目である。)

レイド構成のハードディスクを使ふ、と言ふのは、バックアップと言ふ觀點からは、ちよつと的外れだ。あれは、ハードディスクの信頼性を向上させるための仕組みであつて、バックアップを取るための仕組みではない。壞れにくい(一部分が壞れても復舊できる)と言ふだけのものだから、いざ壞れてしまつた場合の被害の大きさは、通常のハードディスクと同じである。さらに、絶對に壞れないとしても、間違つて消してしまふと言ふ人爲的なエラーをカバーしてくれるものではない。だから、レイド構成のハードディスクを使つてゐても、別途、バックアップの方策を準備する必要は殘る。

うちでは、バックアップ用のソフトウェアとして BunBackup といふフリーソフトを使つてゐる。これは良いですよ。お奬め出來ます。

一度、かみさんがファイルを消してしまつて、慌てたことがあつた。間違つて上書き保存したのだ。しかし、BunBackup の世代管理機能のおかげで、無事にデータを復舊することが出來た。

*

と言ふ次第で、まづ、バックアップ用のハードディスクを確認する。無事に中身を見ることが出來た。そして、最後のバックアップは、パソコンが壞れる直前に取つてあつた。これで一安心である。教育したとおりに、ほぼ毎日バックアップを取つてゐるやうで、日ごとの世代管理フォルダが綺麗に竝んでゐる。なかなかよろしい。こういふ事に關しては素直に言ふことを聞いてくれるんだな、とか思ひながら、バックアップ・データを吸い出した。

次に、壞れたと思はれるメインのハードディスクを確認する。ん、見える。データの吸い出しを試みたところ、それも問題なく完了できた。よしよし、ではあるが、しかし、さうすると、どこが故障してゐるのだらうといふ疑問が出て來る。問題のハードディスクに對してチェック・ディスクを走らせて見たが、不具合は見つからなかつた。

ともかくも、かみさんのパソコンは、まだ一年間の無償保證期間内だから、メーカー(エプソン)に送つて修理して貰ふことにした。

2008 年 10 月 31 日 (金)

仕事のメモ

新しいシリーズに着手する。畫面系ではこれが最後のシリーズだ。

一つ目、割と簡單だらうと思つてゐたのだが、結構、骨がある。一日、おねおねとプログラムを書いて、どうにか、終りが見える所まで漕ぎ着けた。


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