樂しい日記 2010年6月

結局、drupal による「樂しい日記」は、この六月が最後になつた。

2010 年 6 月 3 日 (木)

小澤一郎さんのこと

先週末には岩座神で葬式があつたりもして、相變はらず忙しい。

今まで、政治については何も書かないで來た。ジェントルマンの嗜みとして政治と宗教は話題にしない、といふやうな理由ではない。單に、政治については書くべき事が思ひつかない、といふだけの理由だ。

しかし、鳩山さんと小澤さんが一蓮托生の形で民主黨の代表と幹事長を辭めたので、一つだけ、氣になつてゐる事を書いておく。鳩山さんについては書かない。小澤さんについて書く。

去年の總選擧で民主黨は歴史的な大勝利を收めて自民黨から政權を奪ふことが出來た。國民が自民黨に失望して、こんな事なら、いつそのこと民主黨に政權を取らせてみようか、と思つた結果がさうなつたのだと思ふ。民主黨に對する期待が大きかつたとは思へない。もし、いくらかでも期待する所があつたとすれば、民主黨に對してではなく、一人の政治家、小澤一郎に對してであつただらうと思ふ。正直に言ふと、僕自身も、「剛腕」として名高い小澤さんに漠然とした期待を持つた一人である。

ところが、彼は、何もしないうちに辭めてしまつた。

小澤さんは何をしたか。

金を集め、票を集め、勢力を集めた。

それはそれで良い。誰だつて、何かをするには力が必要だ。まして國政を擔はうといふ政治家だから、大きな権力を手許に引き寄せなくては何も出來ないだらう。その過程では多少後ろめたい手段を取つても良いと思ふ。をかしな事は全部秘書のせゐにして、知らん顔を決め込むのも有りだ。頭の輕い泡沫候補を立てて選擧で人數を稼いでも構はない。

また、集めた金と權力から少しぐらゐは甘い汁を吸つても良いと思ふ。

けれども、政治家として何もしないのなら、どれだけ金や票や勢力を集めようとも、全く無意味だ。小澤さんは政治家として何もしないうちに辭めてしまつた。

小澤さんは、檢察に邪魔をされ、鳩山さんに足を引つ張られて、何もすることが出來ないうちに辭めざるを得なくなつてしまつた …… とは、僕は思はない。短いやうだが、10ヶ月あつたのだ。小澤さんが何かをする氣があるなら、もうちよつと、何か意味のある事をすることが出來た筈だ。小澤さんがやつた事として僕が思ひ出せるのは、陳情の窓口を自分に一本化したこととか、若手議員を大勢引き連れて外遊したこととか、業界の要望を受けて高速道路政策に橫槍を入れたこととか、そんなことだけだ。

僕には、小澤さんには政治家としてやりたい事が無かつたやうに見える。或いは、何をして良いか分らなかつたのかも知れない。「剛腕」といふものも、政治家としての有能さを言ふものではなかつたらしい。


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