樂しい(減量)日記 2004年11月

いい加減に望みを捨てたらどうだ、と言われそうだが、一応、まだ、(減量)日記なのである。

さて(何がさてだ)、どうでも好い事だが、あんなもん食えるか、と長年思ってきた納豆が食えるようになった。しかも、食えるばかりか、大好物になってしまって、あれこれと食べ比べては楽しんでいる始末である。

それがどうした、「楽しい(納豆)日記」に改題するのか、とか言われると返す言葉が無いのだが、いや、まあ、その、だから「どうでも好いこと」です。申し訳ない。

2004 年 11 月 1 日 (月)

仕事のメモ

兄ちゃん(誰)用の部分(何)はこれで完成として、納品する。もう少し手直しがあるかも知れない。

おやっさん(誰)用の部分(何)に着手する。

父の誕生日

今日は父の誕生日だ。生きていれば、満77歳。

2004 年 11 月 2 日 (火)

仕事のメモ

おやっさん(誰)用の部分(何)を作る前に、土台固めと言うか、整地作業と言うか、既存の部分を手直しする。

実は、似たようでちょっと違うモジュール(何)が既にあって、これが、割と quick and dirty な造りの、特殊性丸出しなものになっている。こいつをもう少し行儀の良い姿に直さなければ、新しく作る部分との折合いが付かない。

何とか、準備完了。

2004 年 11 月 3 日 (水) 文化の日

長閑な休日

一日、岩座神のホーム炬燵で、のんびりとプログラムの手直しをしたりして、ぼんやりと過ごす。

子供たちはビデオゲームに興じている。

かみさんは家でお仕事。

おばあちゃんは文化祭を見に行ったり、食事の支度をしたり。

夕食は、かみさんも一緒に、鍋で水炊き。

2004 年 11 月 4 日 (木)

体重 74.2 kg 体脂肪率 25.3 %

仕事のメモ

来週から出社しなくて良い、お前(誰)が居なくても会社はまわる、と言われたそうだ。おめでとう、とは言わないが、気の毒に、とも言えない。やったー、これで自由だ、みたいな晴れやかな顔をしているんだもの。

ヘルプ・コールの多い一日。浜松の旦那さん(誰)。西脇の若社長(誰)。

土台固めの作業をもう少し、しこしこと続けている。

2004 年 11 月 5 日 (金)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

土台は何とか出来たので、おやっさん(誰)のためのプログラムを、、、むう、がりごりとは書けない。何か、ややこしいな。

2004 年 11 月 6 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

小さければ良い、というものではない

岩座神のおばあちゃん(母)が留守番電話が欲しい、と言う。じゃあ、ついでに FAX の付いたやつにするか、と言う訳で、電気屋に買いに行ったのだ。

先日、家のホーム・テレホンを買ったときにも思ったことだが、どのメーカーのどの機種も、子機が必要以上に小さい。もう少し大きい方が手に持ちやすい筈だ。ボタンや文字が小さすぎて、中高年の眼には非常につらいものがある。

何でそんなに小さくするのか。小さければ小さいほど良い、と思っているのか。使い易さ、ということを本気で考えているのか。それとも、コストの問題か。ボタンの押し心地が良くないのも多かったぞ。

あれこれ見たり触ったりした中で、一番マシだと思った機種を買って帰ったのだが、それでも、母は大きな虫眼鏡(父の遺品)を持ってきて、子機のボタンや文字を確認していた。

中には、如何にも老人用に作りました、という機種もあるのだけれど、そういうのは、対象ユーザーを子供扱いするような所があって、好ましくない。普通の、ごく当り前の機種を、もっと使いやすくしてくれ。

余談だが、思い出したので書いておく。テレビの馬鹿なレポーターが、インタビューするときに、相手の人を「お父さん」、「お母さん」、「おじいちゃん」、「おばあちゃん」などと呼ぶの、あれ、何とかならんか。誰ぞ、ブチ切れて、「おまえのような阿呆を息子(娘、孫)に持った覚えはないわ」と罵倒してやったら良いと思うのだが、如何なものだろうか。

長閑な休日

午後、いつものように、プール。やはり、子供たちは先週の検定にすべっていた。

プールの後、大急ぎで、子供たちをインフルエンザの予防接種に連れて行く。

かみさんが仕事で忙しいので、子供たちを連れて岩座神に行く。

2004 年 11 月 7 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

エルマーの冒険

親子劇場(何)で、子供たちと、人形劇「エルマーの冒険」を観る。

2004 年 11 月 8 日 (月)

仕事のメモ

おやっさん(誰)用の部分(何)を進めている。ややこしいと思った所(どこ)は、おおむね、綺麗に片付いた。

OLE オートメーションというのを今まで使ったことが無かったのだが、MFC を使ってクライアントを作るぐらいなら、そんなにも難しくはない訳だ。別スレッドにしたり、コール・バックでサーバーの作業進捗状況を表示したり、発生しうるエラー状況を漏れなくカバーしたり、と、手抜きもせずに、きちんと作ったのである。

ハードウェアがらみはこれで良いとして、あとは、あの鬱陶しいファイル形式(何)だ。

2004 年 11 月 9 日 (火)

仕事のメモ

じわりじわり(何)と、一歩々々踏み固めながらコーディング。

しかし、まあ、鬱陶しいファイル形式(何)だなあ。変に神経質なくせに、奇妙な柔軟性をサポートしていたり、二重三重の冗長なチェックをかけながら、肝腎のところが曖昧な解釈を許すようになっていたりする。もうちょっと単純に書けなかったのかね、これ。

地雷原を進むみたいなもんだ。ストレス溜りまくり。

2004 年 11 月 10 日 (水)

案内状

早朝というかまだ夜中に起きて、かみさんの依頼にかかる案内状の素案を作成する。地図に手間取る。

仕事のメモ

引き続き、じわりじわりとコーディング。ファイルを読む機能がほぼ完成した。

月例祭

夜、天理教岩座神布教所の月例祭。

ばたんきゅーで寝ていた。

2004 年 11 月 11 日 (木)

仕事のメモ

引き続き、じわりじわりとコーディング。

そろそろ、ファイルを書く機能を作成しよう。だが、その前に、メディアをフォーマットする機能とファイルを削除する機能を作っておく方が良いか、という訳で、そっちに手を着ける。フォーマットは、まあ、簡単だったが、削除がひどく鬱陶しい。こまっしゃくれたファイル形式、というか、ディスク形式(何)の面目躍如たるものがある。

2004 年 11 月 12 日 (金)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

引き続き、じわりじわりとコーディング。ただ黙々と。それだけ。

家に帰ってまで続きをやる。

文句を言いながらも、楽しんでいるんだな、実は。

ファイルを書く機能が、曲がりなりにも、動き始めた。

2004 年 11 月 13 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

長閑な休日

午後、いつものように、プールで泳ぐ。子供たちも、何とか、練習に付いて行っている模様。

プールの後、子供たちを散髪に連れて行く。これも、いつものように、松本さんのところ。

トイレの水が流れない、と、かみさんが言うので、コーナン(どこ)でラバー・カップ(何)を買って帰る。どうやら、今朝方、惚れ惚れするような立派な大便を放り出して、いやあ、あんたにも見せてあげたかった、などとかみさんに言ったのだが、そいつが奥の方でちょっと詰ったらしい。ラバー・カップでばふばふして、一件落着。

仕事の続きをやる。

2004 年 11 月 14 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた 、、、しかし、このごろ、すごく太ったという自覚はある

仕事をした休日

あれやこれやで中断されながら、一日中、黙々とコーディング。

深夜に至って、何とか出荷可能な状態にまで漕ぎ着けた。ほぼ満足の行く仕上がり。

いや、実は、非常に良く出来たと思うのだ、これ(どれ)。あなた(誰)に見て貰えないのが残念だ。後々、どこに出しても恥をかかないように、おやっさん(誰)にはまず必要ないだろうと思われる部分まで、丁寧に造り込んである。ユーザー・インターフェイスの使い勝手も極上だ。

さ、寝よう。

2004 年 11 月 15 日 (月)

仕事のメモ

午前中、おやっさん(誰)を訪ねて納品する。無事に動いた。

午後、脳味噌がクロック・ダウンして、あまり仕事にならない。昨日の夜更しがたたったか。

居眠りをする訳にもいかないので、先週から動かなくなっているデスクトップ機の復旧作業をすることにした。システムを入れたハードディスク・ドライブが死んでいるのだ。データを入れたドライブは生きているので、そっちにシステムを入れる。物置同然(何)のデスクトップなので、手間と金はかけない。

明日、急に名古屋へ出張、ということになった。あくん(誰)が辞めたので人手が足りなくなった訳だ。

2004 年 11 月 16 日 (火)

名古屋(どこ

午後、車で名古屋へ行く。今日はセッティングだけなので、大してする事もなく、定時のはるか前に切り上げて、宿に向かう。

2004 年 11 月 17 日 (水)

名古屋(二日目)

一日中、Exhibition(何)のブースに詰めている訳だが、何もすることがなくて、暇を持て余す。この展示会には集客力というものがほとんど無いのだ。

それは去年の経験からも予想できた事で、だからこそ、たった一人でブースのお守りをしている訳だ。出展しない方がもっと良かったのだろうが、何か義理があって、そういう訳にも行かなかったらしい。

お隣さん(誰)と情報交換したり、研究員のI氏(誰)や受賞者(何)のF氏(誰)と話したり、昔なじみの旦那さん(誰)とほんの少し商談をしたり。

夕方、5:00に会場が閉まると同時に、逃げるように帰る。明日と明後日は、はちべえが来る予定。

2004 年 11 月 18 日 (木)

仕事のメモ

起動しなくなったというノート・パソコンの復旧作業。

ハードウェアは問題ないようだが、Windows XP が起動しない。ソフトウェア的にシステムが壊れている。Windows の修復セットアップを試みたが、うまく行かない。

ハードディスクを抜き出して、別のパソコンに接続し、ユーザーのデータを吸い上げる。そして、リカバリーCD-ROM を使って、購入時の状態に戻す。ユーザーのデータを元通りに書き戻して、作業完了。

2004 年 11 月 19 日 (金)

仕事のメモ

英語版リソースの更新。

南の島(どこ)のお姉ちゃん(誰)と電話。

古い Microsoft Access のファイルのコンバートを少し試みる。うーん、これ、簡単には行きそうにない。断って下さい、という値段の見積りを書くことにする。

2004 年 11 月 20 日 ()

月例祭

教会の月例祭。

今日は子供達と一緒にプールに行けない。

建設中の信者会館だが、外観はほぼ完成。なかなか立派な姿だ。

内部は、二階部分はかなり工事が進んでいるが、一階部分はまだ天井も張られていない状態。

叔父が郡のPTCA子育てフォーラムに招かれて講演会をする。講師自身にレコーダーを渡して録音してくれと言うのは如何なものかと思う訳だが、かみさんが是非にと言うので、お願いした。

2004 年 11 月 21 日 ()

掃除と片付け

部屋の掃除をし、机の上を片付ける。これが結構な大仕事だったりする。

2004 年 11 月 22 日 (月)

仕事のメモ

中間ファイル(何)を読む機能を付ける。うわ、このファイル、穴だらけ。あそこ(どこ)ではこいつが使われている訳だが、よく無事で動いているもんだ。チェックサムまで間違って書かれているのだが、それでも問題が生じていないというのは、いったいどういう事だ。

こんぴらさん

こんぴらさん(何)の宵宮。いつものように、たかひろさんと二人で、松本さんの家に呼ばれて行く。飲んで食ってしゃべり倒す。

光ファイバー

良い気分で家に帰ったら、思いがけず、光ファイバーの端末設備が設置済みの状態で置かれていた。屋外工事(入線工事)は一週間ぐらい前に完了していたのだが、宅内工事はもう少し先の事だと思っていたので、ちょっと驚いた。何でも、夕方になってから急に、今から工事に行かせてほしい、と言ってやって来たそうだ。

k-opti.com の eo ホームファイバーです。

とりあえず、ノートだけ繋いでみて、最低限のセットアップをし、速度試験をする。20 - 30 Mbps っちゅうところ。ふーん。もうちょっと良い数字を期待していたけれど、まあ、こんなもんか。

それにしても速くなった訳だが、ISDN(64K) から ADSL(約600K) に乗換えた時のような感激は無い。それよりも、別の部分の遅さ(特に相手側サーバーの処理のもたつき)が目立つようになった感じがする。

2004 年 11 月 23 日 (火) 勤労感謝の日

光ファイバー(続き)

星電社に行って、ブロードバンド・ルーターを買う。店頭在庫中の一番安いやつにする。

ADSL ルーターと差し替える。

さて、この ADSL の方だが、どうしよう。

NTT のフレッツADSL は解約する。残しておいても意味がない。回線そのものは、かみさんが FAX 用に使っているので、残す。

問題は、OCN の契約だ。長い間使ってきたメール・アカウントをすぐに停止する訳にも行くまい。かみさんとおばちゃんも OCN でメール・アカウントを持っている。

もう一つは、モバイル時のインターネット・アクセスをどうするかという問題。k-opti.com はモバイルには使えそうにない。

さて、どうしよう。あまり考えていなかったのである。

2004 年 11 月 24 日 (水)

仕事のメモ

出張の段取りをする。行き帰りの新幹線の予約と、宿の予約。

メモ

OCN の契約をコミデ400に変更する。移行措置だから、一番安いやつでよいのだ。

モバイルは mopera で良い、ということにした。大して頻繁に外出先からインターネットにアクセスする訳ではないし、メールの送受信が出来れば十分だから、これで良い(筈)。

2004 年 11 月 25 日 (木)

風邪でダウン

午前中、風邪でダウン。

午後、ごそごそと起き出して、あれこれと仕事を片付ける。

忘れないうちにと、116に電話して、フレッツADSLを解約する。

2004 年 11 月 26 日 (金)

仕事のメモ

いくつかのバグを自由にする(謎)。

メモ

くろはた氏(誰)の佳品二つ。

こういうの、僕は好きだ。

2004 年 11 月 27 日 ()

のどかな休日

午後、子供達と一緒にプールに行く。水(温水だけど)に入るのは、やはり気持ちが良い。

プールから帰ると、啓作に○○ちゃんから返事の手紙が来ていた。「ごめんね」と書いてあった。初めての失恋ですな。まあ、良いさ。

メモ

何でこんなに気が重いんだろうと自問するのだが、おそらく、国・政治・経済・軍事等々、これまでそれほど意識せずに来たものたちが一斉に押し寄せてきて、態度表明を迫っているからなのだろうと思う訳だ。勘弁してくれえ、僕はそんな事は知らん、考えたくない、という感じなのだが、、、

その映像は、とても見る気になれないので、まだ見ていない。たぶん、今後も見ないと思う。

彼には愚かだと言われても仕方のない面があったかもしれない。明確な目的を持っていなかったがゆえの準備不足とか、状況判断の甘さとか。そして、ひょっとしたら、いくらか覚悟が欠如しているような所があったかもしれない。けれども、彼に道徳的に責められるような罪が何かあったかと問うと、それは無かったと思う。愚かさなら、僕自身の中にもっと酷いものが沢山ある。人には言えない罪もある。殺されたのが彼であって僕ではなかった、その事に何か正当な理由があったようには思えない。

あの9月11日のときもそう思った。その飛行機に僕は乗っていなかった。そのビルに僕はいなかった。そして、爆弾が落とされるアフガンの町にも、僕はいなかった。彼らは死んで、僕は生きている。そこにいた人達が間違っていたからではない。僕が正しかったからではない。

大袈裟に聞えるかも知れないが、あの時以来、僕の生活から、少しの後ろめたさも伴わない楽しみや喜びは失われてしまったように思う。あの日以来、世界の見え方が変ってしまった。僕はずいぶん無口になったような気がする。話が飛躍するようだが、敢然と世を出て神とともに歩むことを始めるのでなければ、平安は得られないのでないか、そのようにも思う。

9月11日を僕は個人的な事件として受け止めたと思う。と言うか、受け止めそこなっている訳だ。ところが、今回の事件は、ちょっと違う。事件は、僕が日本人の一人であることを否応なしに突き付けてきている。彼が殺されたのは日本人だったからだ。「テロリスト」が、日本人はイラク人を蹂躙している、と考えているからだ。これは世界に対する個人の生き方という問題であるよりも、自分が属する国の国際社会における行動をどうしたいのかという政治的な選択の問題だ。政治は好きじゃないし、選んで日本人になった訳でもないので、出来れば避けて通りたい問題だ。しかし、片方にイラク人である事の責任を無理矢理に取らされている人たちがいて、もう一方には日本人であるというだけで安全と繁栄を享受している自分がいる。これは明らかに不公平だ。知らない顔をしてやりすごす事は良くない。

「日本人である私と私の子供の安全で豊かな生活は何があっても守らなければならない。そのために必要なら、アメリカの政策に追随して、パクス・アメリカーナを脅かすテロリストどもを敵に回して戦い、奴らを殲滅すべきである。双方に多少の犠牲が出るのはやむを得ない。向こうの方が犠牲が大きいはずだから我慢しよう。勝たねば元も子もない。鬱憤晴らしに、生意気な北朝鮮をちょっと虐めてやれ。ただし、慎重にやれよ、、、云々」

少し単純化しすぎで、誇張が過ぎるかもしれないが、総体としての日本人がいま選ぼうとしている対外的な政治の方針は、そういうものだろう。違うか。とりあえず、そのような選択に対して、異議を唱えておきたい。

2004 年 11 月 28 日 ()

淡路島

家族総出(おじいちゃん、おばあちゃん、おばちゃん、かみさん、子供たち、ぼく)で淡路島へ鯛を食いに行く。

明石海峡大橋を渡り、そのまま高速道路で淡路島を縦断して、南端の淡路島南インターチェンジで降りる。大鳴門橋が眼前に見える宿(うめ丸)で、鯛づくしの昼食。鯛の宝楽焼が旨い。風呂にも入る。

帰りに昆布の佃煮を買いに行くと言うので行ってみると、なんだ、これは酒蔵ではないか。千年一酒造。藏を案内され、利き酒を勧められる。米だけで丁寧に造った酒はやっぱり旨いなあ。

岩屋からタコフェリーに乗って、明石へ。明石海峡大橋も良いが、急がない旅なら、タコフェリーも良い。

地元まで帰って、長太郎の饂飩や蕎麦で夕食。

2004 年 11 月 29 日 (月)

仕事のメモ

バグ・フィックスしたものをおやっさんと兄ちゃんの所へ持っていく。これで安定稼働する筈。

出張準備。と言っても、僕自身はほとんど何もする事がない。娘さん(誰)がちょっと困っていたのを手助けする。

2004 年 11 月 30 日 (火)

事故を目撃する

朝、篠山口まで車で行く。

途中、目の前で交通事故を目撃した。

片側一車線の県道、僕は、それなりの速度(周囲を苛つかせたり怖がらせたりしない速度、正直に言えば、制限速度の○割増しの速度)で走るワンボックス車の後を少し離れて追走していた。追越し禁止ではない長い直線区間にさしかかった時に、後から、軽自動車がそれなり以上の速度で僕の車を追い越して行った。一方、僕の前を走っていたワンボックス車は、トロトロと走る乗用車に追いついた所で、少し速度を落していた。僕は何となく厭なものを感じてアクセルを緩めた。近付かない方がよい、と思った。そして、ワンボックス車に追いついた軽自動車は、二台をまとめて追越すために反対車線に出て、更に速度を上げたのだが、一瞬遅れて、ワンボックス車がウィンカーも出さずに急に反対車線に出て乗用車を追越しにかかったのだ。あかん、と思った瞬間、軽自動車はワンボックス車を避けようとしてコントロールを失い、スピンして、くるりんと回転しながら反対車線の外にある幅1メートルぐらいの用水路に落ちていった。わちゃー。

やっちゃったよ、本当に。

僕は路側に車を停めて、どきどきしながら、携帯電話を持って、軽自動車の様子を見に行った。警察なり救急車なりを呼ばねばなるまい。しかし、ここの地名、何と言うのかよく知らないのだが、どうしよう。などと思いながら近付いてみると、どこかの工員とおぼしき兄ちゃんが路側に腰を下ろして、携帯電話を架けようとしている。あ、この兄ちゃんが事故を起したドライバーか、と、ちょっと驚く。すでに軽自動車から抜け出していたのだ。「大丈夫か」と声をかけると、大きな明るい声で「はい、大丈夫です」と答える。口の中が少し血で染っている。歯でも折ったか。しかし、体には、これという怪我は見当たらない。もう一度「ほんまに大丈夫か」と聞くと「ええ、大丈夫です」と答える。動転して眼を見開いた顔はニカッと笑っているようにも見える。「もしもし、ちょっと事故を起してしまいまして。○○のちょっと先なんですけど、溝に落ちてしもて、、、」と、勤め先だと思うが、電話を架けている。気の良さそうな兄ちゃんだ。

どうも、大丈夫らしい。放っておいて良いな、と思ったので、何もせずに現場を立ち去る事にした。

ワンボックス車と乗用車は、とうの昔に走り去ってしまっていた。軽自動車が他の車には接触せずに用水路に落ちたため、彼らは事故に気付かなかったのだろう。たぶん、バックミラーをあまり見ないドライバーたちなのだろうと想像する。

いやもう、びっくりしました。

名古屋

篠山口からJRで新大阪まで行き、新幹線に乗換えて名古屋へ行く。

名鉄とタクシーを乗り継いでやっと客先に着く。

作業は30分で完了。

再びタクシーと名鉄を乗り継いで名古屋まで戻り、新幹線に乗って東京へ向かう。

東京は両国

せっかく両国に来たんだからと、用もないのに挨拶に行ったら、日付が変ってまで飲み続けるはめになってしまった。

ばたんきゅー。


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