兵庫県加美町「女性の集い」

( 2001 ( 平成13 ) 年 2 月 11 日、加美町住民センター )

天理よろづ相談所病院 前副院長 今中孝信

健康至上主義は新たな不健康を作り出す

人間は健康でなければいけないという健康至上主義は、新たな不健康を作り出します。わが国では、世界一の平均寿命が続いていますが、国民の満足感、幸福感は乏しいのです。長生きすることこそが人生の最大の目的であるという考え方は通用しなくなっています。いわゆる「健康」志向の生き方は、健康に対する間違ったとらえ方に基づきます。

健康はイメージとして存在しても、厳密には定義できません。まして検査の数値や結果が健康を決めるものではありません。医療はもはや医者任せにしている時代ではなく、患者さん一人ひとりが、自分の健康観や信条を持ち、社会の中で自分に何ができるか考えていくべきです。そうすることで生きがいがうまれ、健康感あふれる生活ができるようになります。

完全な健康は存在しない

WHO ( 世界保健機構 ) による健康の定義 :

健康とは、単に病気でないとか身体が弱くないということではなく、何事も前向きな姿勢で取り組めるような、肉体的、精神的及び社会的に完全に調和のとれた状態である。

澤瀉久敬博士による健康の定義 :

( おもだかひさゆき 阪大で医学概論を講義 文学博士 医学博士 )

朝、目が覚めたとき、体に異状を感じず、すぐに起きられるというだけでなく、また、ただ気持ちがさわやかであるというだけでなく、目が覚めるや否や、その日の仕事に対する熱意がわいて、じっとしておれないという状態、それが本当の健康といえる。

健康は一人ひとり異なる

人間は一人ひとり異なった個性をもっており、健康もそれぞれの考え・価値観によって総合的に判断する必要があります。そのためには「人間とは何か」を理解しなければなりません。澤瀉博士は人間の特性として次の6つを挙げています。

  1. 物質である
  2. 生物である
  3. 意識をもっている
  4. 社会生活をしている
  5. 人格をもっている
  6. 死ぬことを自覚している

1) 2) 3) の特性から生ずる問題については生物科学的にアプローチできます。しかし、4) 5) 6) の特性については、そうはいきません。最近は人間の特性が遺伝子ですべて規定されているという考え方もありますが、私は違うと思います。

4つ目の特性である社会的存在についていえば、人間は人間社会の中で人間になる。オオカミに育てられたら、オオカミの行動しかとれない。オオカミに育てられた少女を人間社会に保護して再教育しても言葉も覚えなかったという事実はこのことを如実に物語っています。一卵性双生児は遺伝子のコピーですが、育て方や環境によって全く同じではありません。人格も当然異なっています。6つ目の特性として、人間は寿命に限りがあり死ぬことを自覚しています。これによって霊的 spiritual な悩みが生じ、生き方も変わってきます。こうした社会的存在、人格的存在、霊的存在としての人間の健康を考えなければなりません。つまり、一人ひとり異なる個人に対して総合的に健康を捉(とら)える必要があるのです。

健康は「顔つき」でわかる

それではどうして総合的に健康状態を判断すればいいのでしょうか。人間は、身体の異状だけでなく、心の悩み、家庭や職場の問題などがあれば顔つきに表れます。したがって、「顔つき」で診断しても大きな間違いはないと私は考えています。 「顔つき診断」は特に朝起きた時が重要です。目覚めとともにバネ仕掛け人形のように飛び起きているか。その日、積極的に取り組む仕事があるか。要するに気持ちがワクワクとしていて、他人から見れば顔つきが生き生きしているかどうかです。

ちなみに、健康を辞典で調べてみますと、広辞苑(岩波書店)では「身体に悪いところがなく、すこやかなこと」とありますが、これでは具体的でありません。新明解国語辞典(三省堂)によりますと、「(肉体的・精神的な異状がなく)日常の社会生活や積極的行動に堪えうる体の状態」としており、「肉体的・精神的な異状がなく」を括弧に入れている点が素晴らしいです。

検査結果の正常・異常は確かではない

一般に健康というと、健康診断において異常がない「健康」を意味します。「健康」を何で診断しているかといえば、主として検査結果です。検査結果が正常範囲よりはずれると、異常ないし病気と診断されます。それでは、正常範囲をどうして決めているのでしょうか。例えば、正常と考えられる 100 人を検査して、極端に値が低かったり高かったりする 5 人を除いた 95 人の値を正常の範囲としているのです。最近では正常値というと、誤解を招きやすいというので基準値という言葉を用いることが多いのですが、いずれにしても確かなものではありません。正常値はいろいろな因子で変化します。数値で示されますと、いかにも科学的で正確のようにみえますが、実は顔つき診断(見た目の正常)と本質的に変わらないのです。

健康診断は“病気づくり”の面もある

健康診断は、病気の予防・早期発見などのために全身の健康状態を診断しますが、検診はある病気があるかどうかを診断します(各種のがん検診など)。健康診断は生活習慣病の予防・早期発見に役立ちますが、次のような問題点もあります。このことを納得して診断を受け、上手に活用するとよいでしょう。

  1. 検査結果が異常であればすぐに病気ということにならないし、逆に正常であれば健康であるということも言い切れません。健康診断が病気づくりになっている面があります。
  2. 早期に発見し、治療を早くすることが、必ずしも意味のあることかどうかは証明されていない部分も多いのです。健康診断については、「フィンランド症候群」(資料1)が有名です。肺ガン検診については、「メイヨークリニックの実験」(資料2)があり、アメリカでは 10 年以上前に肺ガン検診を中止し、第一次予防として禁煙に的を絞っています。
  3. 健康診断は費用がかかり、検査によっては受診者の心理的・肉体的負担が大きいのも問題です。
  4. 健康診断に医師の診察や面接が脱落していることが多く、受診者には健康診断の意味が理解されず、その結果が十分生かされていません。検査結果だけで自動的に診断され、肌理(きめ)の細かい生活指導が行われていません。オーバーに再検査や精密検査が指示され、ドック担当医師は診断の結果について責任を免れようとしています。病院にとっては検査をした方が収入になる側面もあるのです。

資料1 「フィンランド症候群」

フィンランド保険局が「食事の指導や健康管理の効果」について調査しました。40 歳から 45 歳の上級管理職 600 人を選び、定期検診、栄養学的チェック、運動、タバコ、アルコール、砂糖、塩分摂取の抑制に従うように説明し、これを 15 年間実施し経過を観察しました。同時に同じ職種の 600 人を対照群にして、このグループには目的を話さず、ただ定期的に健康調査票を記入させるようにしました。15 年後に意外な結果が出ました。健康管理されていないグループのほうが心臓血管系の病気、高血圧、ガン、各種の死亡、自殺のいずれも少なかったのです。

資料2 「メイヨークリニックの肺ガン検診の有効性に関する調査」

これは RCT ( randomized controlled trial : 無作為対照試験 ) で行われ、11 年間まで追跡調査され、検診を受けたグループからは、206 人が肺ガンを発病して、その 5 年後の生存率は 23% でした。検診を受けなかった対照グループは、160 人の肺ガン発病者が出て、5 年後の生存者は 15% でした。しかし、肺ガンによる死亡は検診グループで 122 人みられ、対照グループが 115 人とはっきりした差がありませんでした。つまり検診で肺ガンは見つかりやすくはなりましたが、肺ガンの死亡率は減少しなかったという結果です。

自分のしたいことができれば健康

医療はもはや医者任せにしている時代ではありません。これからの医療は病気・医師中心の医療から患者中心の医療への転換が求められています。患者一人ひとりが自分自身の健康観を持つ必要があります。身体的な健康だけでなく、社会的な健康も重要です。大きな社会的貢献でなくても、身近な人の世話をすることでもよいのです。

自分は何に喜びを感じるのか、何をしたいのか。目的を達成するためには、病気があっても、「健康」が少しくらい損なわれることになってもかまわない。こうした生きがいがあれば、健康とは言えない生活であっても病気にならなかったり、病気がかえってよくなることもありえます。身体の内側から健康観が溢(あふ)れてきます。

生かされていることに感謝して今日一日を生きたい

今、求められているのは一人ひとりの価値観・人生観・死生観です。元気なのは自分だけのせいではありません。病気であるのも自分の責任だけではありません。人間は人の間で生かされている。世話になるときは、感謝して世話になるのがよいのです。死ぬときは、すべてお任せです。

がんで死ぬのも悪くありません。身辺整理ができます。大きな仕事ができることがあります。最期まで介護してもらえ、泣いて見送ってもらえます。別れの挨拶ができます。がんの患者さんをみていますと、死を自覚することにより立派な生き方に変わることも珍しくないのです。

健康であっても、病気であっても、生かされていることに感謝し、今日一日を精いっぱい生きたいものであります。

<参考図書>

  • 今中孝信 : 『生き方が健康を決める』 天理教道友社 1992
  • 篠原佳年 : 『快癒力』 サンマーク出版 1996
  • 五木寛之 : 『こころ・と・からだ』 集英社 1996
  • 和田秀樹 : 『わがまま老後のすすめ』 ちくま新書 1999
  • 藤田紘一郎 : 『清潔はビョーキだ』 朝日新聞社 1999
  • 米山公啓 : 『健康という病』 集英社新書 2000
  • 近藤誠 : 『医原病』 講談社新書 2000
  • 飯島裕一 : 『健康ブームを問う』 岩波新書 2001
  • 高田明和 : 『脳から老化を止める - 40歳をすぎても脳細胞は増やせる』 光文社 2001
  • 日野原重明 : 『「新老人」を生きる - 知恵と身体情報を後世に遺す』 光文社 2001

本稿は、2001 ( 平成 13 ) 年 2 月 11 日、兵庫県加美町婦人会「女性の集い」においてなされた、天理よろづ相談所病院 前副院長 今中孝信氏の講演 "「健康」について考える"のレジュメ(要約配布資料)です。

ウェブ文書としての体裁を整え、氏の許可を得て、皆さんの閲覧に供する次第です。

木原 記す

2001年7月

最終更新日 : 2011-01-19