樂しい日記 1999年12月
IIJ4U はちょっとパブリックな『岩座神レポート』、@nifty はちょっとプライベイトな『牧野日記』。気分を変えて。
もののけ対策(?)とか、まれびと対抗(?)とかいう噂もあるが、気にしなくても構わない。良い子にとっても無害な日記にするつもりだ。
毎日更新する(予定)。
12 月 21 日 (火)
昨日は、元県議会議長、K氏の葬儀。
県知事が弔辞を述べたり、J党総裁やF株式会社社長が弔電をよこしたり、一言で言えば、実力者にふさわしい盛大な葬儀だった。
ともかく寒かった。
12 月 22 日 (水)
楽しいリンクに『まれびと village idiot』を追加。
まれびとさんとは、Bob Dylan のファン・サイト『How to Follow Bob Dylan』の掲示板で知り合った。的確な言葉で僕の好きな Dylan や The Band, Neil Young を語る。
まれびとというのは、さぁ、どういう意味なんだ? 詩人? 預言者? 辞書的には「客人」と書くらしい。ここには属さない人ということだろう。
もうひとつの方、「もののけ」というのは、ニフティのプログラマーズ・フォーラム FPROG に棲息する「言葉の使い手」たちのことだ。などと決めてかかると危険か? まぁ、いい。こだわらない。『墓場ブラウザー EXCELLENT』は「もののけ」のサイトへのリンク集。『もののけ日記ブラウザ』は「もののけ」の日記へのリンク集。
12 月 23 日 (木)
要望(?)に応えて、白紙の雑誌、月刊○○ 1999年12月号を発行。せめて4ページぐらいのものにしたかったのだが、ページ間のナビゲートをどうすればいいのか分らなかったので、1ページだけである。
これで白紙と言えるだろうか。もっと削れるのか。
12 月 24 日 (金)
今日から東京へ2泊3日の出張。
お供は、ThinkPad 600E。このノート・パソコン、もう少し薄くて軽ければ何も言うことがないのだが、あ、それと内蔵モデムの安定性がもう少し高ければ文句なしなんだが、あ、もうひとつ、ネットワーク・インタフェイスが内蔵されていると完璧なんだが、ともかく、私のお気に入りなんである。VAIOなんか駄目なんである。Panasonicも良いけれど、600E 程じゃないんである。
12時すぎに東京に到着。恵比寿のYさんを訪問。メンテナンス作業。そして、新しいソフトウェアのデモ。
15時、原宿へI社を訪ねる。メンテナンス作業およびユーザーの要望聴取。
16時ごろ、Yさんから携帯に電話。うげげ、メンテナンスでミスったか。
18時、ふたたび恵比寿でメンテナンス作業。やれやれ。
20時、叔父の家に転がり込む。ホテル代を浮かそうとの、せこい魂胆である。
自宅へ電話。啓作の下痢が止まらず、どうやら入院になりそうとの事。悠助も40度の高熱だと。ありゃありゃ。
12 月 25 日 (土)
叔父の家から出勤、両国のC社へ。
ひっこしの手伝いだ、要するに。C社ではうちのソフトが Sun のワークステーションで動いている。インクジェット・プリンタやらカラー・コピー機やらも周辺機器としてぶら下がっている。ユーザーや運送屋に任せておくわけにはいかないのだ。カスタマ・エンジニア? そんなもん、居りますかいな。開発者自ら出向くのであります。
17時ごろ、作業終了。有り難いことに、全部、1日で終わった。明日は予定より早く帰れる。
今日も叔父の家に泊めてもらう。
自宅へ電話。啓作、やはり、入院。悠助も点滴を受けに通院。うーむ。
12 月 26 日 (日)
8時45分の新幹線で帰る。2時過ぎに市民病院に到着。
啓作はかみさんに付き添われてベッドの中。悠助はおばちゃん(義姉)に付き添われて、外来で点滴。悠助も高熱が出ていて、一緒に入院させたいのだが、病床が空いていない。
いったん、啓作をおばちゃんに見てもらって、悠助を連れてかみさんと帰宅。飯を食ったり風呂に入ったりしてから、おばちゃんと交代。かみさんは家で悠助の面倒を見たり、たまっている家事を片付けたり。
明日は、岩座神のおばあちゃんにも応援を頼んだが、会社は休まざるを得ない。いや、24日に出た筈のボーナスだけは受け取りに行くか。受け取り次第、早退けだ。うーむ、顰蹙か。クリスマスの土日を返上して出張したんだから、そのぐらい許されるでしょう。
双子が病気すると、ほんと、人のやりくりが大変なのだ。
12 月 27 日 (月)
啓作は昨夜ぐっすりと眠ってくれた。かみさんを恋しがって夜泣きするのでないかと心配したのだが、体調も回復しているのだろう、朝までほとんど目を覚まさずに眠りつづけた。
9時半ごろ、岩座神のおばあちゃんと交代して、会社に行く。出張経費の請求と賞与の受取りだけして、早退。明日は仕事納めの大掃除だが、欠勤させてもらうことにした。うーむ、やはり顰蹙か。
病院に戻る。外来でやって来たかみさんと悠助も合流。賑やかで良いね。
啓作は肝炎に罹ったようなのだが、今日の検査で順調に回復しているらしいことが判った。
今日はかみさんが病院で啓作の付き添い。僕は悠助を連れて岩座神へ行く。牧野は、おばちゃん(義姉)は深夜勤務で不在、おじいちゃんは一昨夜の悠助の守で疲れてダウンなのである。
12 月 28 日 (火)
朝、悠助を連れて病院へ。午前中はそれだけでおしまい。
午後、年賀状の作成。うーむ、今日中に終わらないぞ。
夕方、病院へ行って、かみさんと交代。啓作、微熱があって食が進まないが、その割に元気。昼寝をたっぷりしたようで、夜、なかなか寝付かず、楽しそうに遊ぶ。
12 月 29 日 (水)
隣のベッドのなおちゃん(10ヶ月)と仲良くなってしまった。
お母さんが「ちょっと」と言って出て行ったきり、5分経っても10分経っても、帰ってこない。なおちゃんは、ベッドの中でばたんばたん、のたうち回って泣いている。我慢できなくなって、抱き上げた。すると泣きやむ。あやすと笑う。いやぁ、女の子も良いもんだ。
しかし、ベッドに降ろすと泣くので、ちょっと困る。お母さんが帰ってくるまで、30分近く、だっこし続けになってしまった。
昼前、かみさんと交代。
家へ帰って、年賀状作成の続き。うーん、インクジェットは綺麗なんだが、大量印刷には向かない。
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もう一つのサイト、『岩座神レポート』に作成した年賀状を掲載。この可愛らしい子供を見るが良い、って訳で、よくある親ばか丸出しだ。画像のサイズが大きい ( 50 KB 超 ) が、黙って辛抱して見ること。
読んではいないと思うが、ディオさんに。「子供はええでぇ。人生観、変わるでぇ」
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最後は余計なお世話というものだ。脳天気な説教親父は、自分でも嫌いだったことを思い出した。
子供がいない人は、欲しいのに子供が出来ない、とか、子供は欲しくない、とか、それぞれに理由があって子供がいないのだから、「子供がいなくてはならない」と聞こえるようなことは言うべきでなかった。
しかし、人は自分よりも大切な何かを持つべきだ。そして、その何かは自分の思い通りにならず、かと言ってそれから逃げることも出来ない、というものが良い。そういうものとしては、僕のような凡人には、子供が一番手っ取り早いのだと思う。
やっぱり説教臭いか。人生論は嫌いだ。
12 月 30 日 (木)
年賀状、まだ宛名書きが済んでいなかった。うーむ、面倒くさい。省力化を目論んで作ったはずの Access による住所録もいまいちだ。一応、年賀状の宛名印刷機能もあるのだが、Word の差込印刷機能と組み合わせて使う仕様になっているので、使い勝手がよくない。だいたい、1年も経っているので、使い方を忘れてしまっている。何でマニュアルが無いんだ、と文句を言うべき相手もいないので始末が悪い。
気が付いたら、Access のレポートによる宛名印刷機能を作成し始めていた。こんなことするから、生涯一プログラマ、なんだ、きっと。
間に合うのか、って、まぁ、何とか間に合ったのだけれど。
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悠助は完全に回復したらしく、外来の通院治療も一段落。
啓作はまだ入院が続くが、1日か2日、外泊が許可される模様。
夕方から悠助を連れて岩座神へ。
12 月 31 日 (金)
午前中、岩座神のお宮さんの迎春準備。今年は「おとう」が回ってきている。「おとう」とか「おとうにん」とか言うが、「お当(人)」で、つまりお宮さんの当番のこと。
午後、ちょっと昼寝。久しぶりの洗車。
悠助はおじいちゃん、おばあちゃんと機嫌よく遊んでいる。
かみさんが病院から電話。何とか啓作の外泊許可が下りたそうで、6時ごろに牧野に帰るとの事。
夕食を済ませて、牧野へ。久しぶりに全員そろった。
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