樂しい日記 2002年9月
2002 年 9 月 1 日 (日)
宮普請
朝から、岩座神で宮普請。村の山の間伐。
岩座神レポートの改訂
岩座神レポートの改訂作業を続行中。改訂といっても、中身にはほとんど手を着けず、体裁を整える程度。
2002 年 9 月 2 日 (月)
仕事のメモ
朝からはちべえと○○商事へ行って、見積りを提示。漏れていたものを追加して、若干値段を下げて、その場で契約。
営業会議。メンバーの異動に関して、ようやく、フィックス。仕事の予定の方は、まだちょっと不確定要素があるね。
○○織物へはちべえと一緒に行って、○○氏と会談。一応は断りを入れる、ということで。○○氏、ガキみたいに駄々こねるだけなのは、大人の交渉とは言わないと思うぞ。
プログラムの機能追加、ゴリゴリと進めて、完了。
2002 年 9 月 3 日 (火)
マニュアルの更新
マニュアルの内容をプログラムに合せて更新する作業。こっちの方が手間がかかる。遅々として進まない。どうせ誰もまともに読んでくれないんだ、と思うと、気乗りもしないし。
おっと、マニュアルを書き直したり書き足したりしているうちに、プログラムの方の不備に気付いた。
2002 年 9 月 4 日 (水)
バージョン 1.0
プログラムの機能追加を今度こそ完了。これは良いよ。例のチューリップ(何)は画期的だったが、これでもう満開だ。いやあ、我ながら素晴らしい。
まだもう少し追加したい機能があるけれども、プログラムの完成度も十分に高まったことだし、このあたりで正式にバージョン 1.0 を名乗らせても罰は当らないだろう。
Mozilla と Opera
Mozilla 1.1 と Opera 6.05 をインストールして、このサイトの表示を確認している。
今までは Internet Explorer 6 でしか表示を確認していなかった。あ、やっぱり、具合の悪いところがあるな。直さなきゃいけない。
このサイトでは、すべてのページにおいて、最低三つの外部スタイル・シートを指定している。最初の一つは "softark.css" で、すべてのページに共通するスタイルを設定するもの。二番目は "print.css" で、"softark.css" を印刷時に限って若干修正するもの。そして、三番目あるいはそれ以降に、日記とか記事とかのコンテンツの種類によって異なるスタイルを設定するものや、ページ固有のスタイルを設定するものが来る。
IE と Opera は、細部にちょっとした違いが見られたが、ほぼ、私の思っているとおりにスタイルを設定してくれた。しかし、Mozilla は、他の二者とは全く異なる結果を見せた。Mozilla は、二番目以降の外部スタイル・シートを無視したのである。
原因は、私がそれぞれのスタイル・シートに異なる title を与えていたことだった。IE と Opera は、title が異なる場合でも、二番目以降のスタイル・シートを最初のスタイル・シートに対する補完あるいは修正として扱う。しかし、Mozilla は、二番目以降の title の異なるスタイル・シートを最初のスタイル・シートに対する代替として扱う。これは Mozilla の挙動が正しくて、IE と Opera は間違った事をしているらしい。
ということで、すべてのページのソースをあわてて書き換えた私であった。
これで、まあまあ、ひどい違いは無くなった訳だ。まだ少し、細部を詰める必要があるけれど。
ええと、Netscape Communicator (Navigator) 4.x については、どんな見え方になっていようと、私は知りません。好きにしてください。
2002 年 9 月 5 日 (木)
Netscape Communicator 4.7
Netscape Communicator 4.x なんぞ知ったこっちゃない、と、昨日は言ったのだが、やはり気になるので、インストールして試してみた。相変わらずひどいね。今時、こんなのを我慢して使っている人の気が知れない。切り捨ててしまっても良いかと思うのだが、最低限度のアクセシビリティーだけは確保することにした。すなわち、すべての文字が読めるようにだけはしておく。見出しだとか、テーブルだとか、あちこちで間の抜けたレイアウトになるが、それぐらいは我慢してもらおう。
2002 年 9 月 6 日 (金)
大阪で事務所の模様替えの手伝い
朝から、はちべえと一緒に、大阪に出向いて、事務所の模様替えの手伝い。
本当の仕事は、パソコンのセットアップとソフトウェアの納品なのだが、事のついでに机のレイアウトも変更しようという事になっては、手伝わない訳にはいかない。いや、しぶしぶ、という事ではない。引越しとか模様替えとかっていうやつは、ちょっと楽しい。
この事務所には ADSL の 8 Mbps が入っていて、インターネットへのアクセスは非常に快適だ。うらやましい。
ほぼ丸一日かかった。
2002 年 9 月 7 日 (土)
のどかな土曜日
何をしたのか思い出せない長閑な土曜日。
車のホイールを洗ってやろう、フロント・ガラスを洗ってやろう、と思っていた筈だが、ホイールはブレーキ・ダストで真っ黒のまま、フロント・ガラスは油膜でビカビカのまま。うーん。頭をひねる。
岩座神レポートの改訂
岩座神レポートの改訂作業が最終段階に入った。
千ヶ峰のリンク集の改訂を完了。ページの移動などに伴うリンク切れの修正と、若干の文言の修正。
Web Design Group の Link Valet というリンク・チェッカが非常に便利。指定したディレクトリ以下のすべての文書について、リンク状態をチェックしてくれる。お奨め。
2002 年 9 月 8 日 (日)
のどかな日曜日
子供たちを連れて、かみさんとビデオ屋に行く。寿司を買って、岩座神で昼食。いったん、悠助だけを岩座神に残して、牧野へ帰る。と、ゆっくりする暇もなく、悠助に呼び出されて、啓作を連れて岩座神へ行く。長井の叔父夫婦に会う。チョコラ(犬)の散歩。夕食。子供たちを風呂に入れてから、牧野へ連れて帰る。かみさんは、子供たちの居ない間に、「北の国から」のビデオを観ることが出来たので、非常に満足げである。
岩座神レポートの改訂(続き)
加美町のリンク集の改訂を完了。リンク切れの修正、文言の修正、そして、ほんの少し、新しいリンクの追加。
残るは棚田のリンク集のみだが、これはかなり手間がかかりそう。ここ数年の間に棚田を扱ったページが激増しているのだ。網羅的なリンクは諦めるか。
2002 年 9 月 9 日 (月)
忘れかけていた見込み客
忘れかけていた見込み客の○○さんから電話があり、「今から訪問して説明を聞きたい」との急な話。いや、ちょうど良かった。こっちもブルーなマンデーをかこっていた所だ。ちょっと目が覚めた。しんのすけ(誰)と二人で応対する。
反応は良いけれど、不確定な要因があるので、どんなもんだかな。
岩座神レポートの改訂を完了
棚田のリンク集の改訂を完了した。「デッド・リンクを解消した」という程度のことだが。
これで、サイトの引越しに伴う『岩座神レポート』の改訂作業がすべて終了した。
2002 年 9 月 10 日 (火)
大阪日帰り出張
逃げるようにして大阪へ日帰り出張に行く。
何から逃げるのかというと、あれ(どれ)からも逃げたいし、これ(どれ)からも逃げたいし、彼(誰)からも逃げたいし、彼女(誰)からも逃げたいし、いや、もう、大阪で待っている彼女(誰)に捕まえられる方がまだマシだと思えてくるぐらい、とにかく逃げたいのであった。
その大阪の彼女(誰)は、思いの外、あっさりと解放してくれた。らっきー。しかし、まだ会社には帰りたくないので、あっちこっち、寄り道をする。
最後に寄った所で同級生(誰)に出会った。「おかんのムームー」みたいな服とパンチパーマの茶髪。しかし、それほど違和感が無い。何故だ。
いや、そんな事よりも、忘れかけていた見込み客(昨日の人とは別人)の○○さんが、たまたまそこに来ていた。つかまえて、デモンストレーション。以前よりも反応が良い。欲しそう。
月例祭
夜、天理教岩座神布教所の月例祭。
連絡メール
岩座神レポート移転の連絡メールを連発。
2002 年 9 月 11 日 (水)
気分転換
気分転換でもないが、はちべえと二人で、若い女性たち(詐称)のところへカラーコピー機を使わせてもらいに行く。
そのあと、○○産業を訪問。口やかましい姉ちゃん(敬称)とあれこれ会談。
合併問題についての懇談会
夜、岩座神の公会堂で、町長、助役をはじめとする町職員と住民とで、広域行政合併についての懇談会があった。
要は、国は、地方交付税や補助金を削減したい訳だ。そのためには、歳入面で地方交付税への依存率が高い小さな町村を合併という方法で無くさなければならない。「自主的な合併を促進する」と言いながら、小さな町村が合併をせずに生き残る道は完全に閉ざされている。これは強制的なものだ。
懇談会とは言うものの、内実は、合併せざるを得ない状況の説明会であった。
2002 年 9 月 12 日 (木)
東京:原宿(その一)
7:20 の飛行機で東京へ行く。
今回の出張の主たる仕事は午後から始るので、本当はもっと遅い便に乗りたかったのだが、飛行機が予約できなかった。
早く着いてしまったからには、遊んでいても仕方が無いので、主たる仕事の場所からちょっとだけ足を伸ばして、原宿のユーザーを訪問する。プログラムをアップデートし、姉ちゃんたち(敬称)とあれこれ話す。
東京:原宿(その二)
もう一軒、原宿のユーザーを訪問。前回、メールが送信できない、と言っていた所。ちょうど、システム管理者と出くわす。「おお」、「おお」、「メールが送れない、って言ってましたけど」、「うん、そうらしいねん」、「え、まだ?」、「うん、まだ、これから見るところ」、「あらら、そうなん」、「ええと、あれ? ネットワークが死んどるな」、「え?」、「ありゃー、ネットワーク・デバイスにビックリ・マークが付いとる」、「あ、ほんまやね」、「こら、あかんわ」、「ハードウェアの故障かなあ」、「開けて見てみよ」、「え、これ、ネットワーク・カードやないでしょ、たしか」、「うん、マザー・ボード直付けのチップ」、「開けても判らんでしょう」、「うん、多分、判らへんやろなあ」、「見ても判らんと思うけど、あ、そのネジ、手で回すやつ」、「あ、なるほど」、「で、そのまま、ひっぱる」、「こうか」、「そう」、「ほお、ほお」、「どう?」、「ふーん」、「わかる?」、「やっぱり、わからんなあ」、とか何とか。
結局、デバイス・ドライバの再インストールが効を奏したけれど、何か不安だな。
東京:渋谷
昼から、渋谷のユーザーを訪問。ここが今回の出張のメイン。ADSLモデム内蔵ルータ(Web Caster 600MN)の設置とセットアップ。
こんなの楽勝、とか思っていたのに、思いっきり躓いた。
ルータは、デフォルトの設定のまま使うと、何の問題もなく、機嫌よく動作する。インターネットへの接続も非常に快適。ところが、既存のネットワーク環境に合わせるために、ルータのアドレスを変更すると、とたんに変なことになる。インターネットに接続できない。ブラウザからルータの設定画面を見ることすら出来なくなる。ルータのアドレス変更が失敗している訳では無いようで、ping も通るし、DHCP機能も正常に動作しているように見える。あれこれ変えて何度か試したが、結果は同じように駄目。どうなってんだか、理由がわからない。
じっくりと調べるだけの時間の余裕が無いので、本末転倒だが、ネットワーク上の他の機器のアドレスをルータのデフォルト設定に合せて変えてやることにした。
時間がかかりそうなので、帰りの飛行機を遅い便に変更する。
2台ある Sun Workstation のうちの1台から作業を開始する。IP アドレスを変更するために sys-unconfig する。ん? あれ? 再起動できない。どうして? /(ルート)のファイル・システムのマウントに失敗する。どうなってんだ。"ls" コマンドすら使えない。
Solaris をインストール CD から起動して、ハード・ディスクを調べる。ユーザーのデータ領域は無傷で残っているようだが、"/" は fsck では復旧できそうにない。いや、復旧できるのかも知れないが、僕の知識では、出来ない。
飛行機をキャンセル。腹をくくって、OS の再インストールから始める。
このあとの作業は順調に進んだ。8時過ぎに全部の作業を完了。
あーあ、疲れた。
東京:調布市入間町
この時間からでは適当な宿が取れそうにないので、叔父の家に泊めてもらうことにした。夕食は街で済ませる。9時半ぐらいに入間町の家に到着。風呂を使わせてもらい、ビールを飲ませてもらう。申し訳ないが、極楽だ。12時半ごろまで、叔母さんと三人で話し込む。
2002 年 9 月 13 日 (金)
東京:恵比寿
叔父の家で豪華な朝食。
駅まで車で送ってもらって、とりあえず、新宿まで出る。さあ、どこに行こうか。元々日帰りのつもりだったから、今日の予定は全く立っていない。一番近いところは、恵比寿の小母ちゃん(敬称)のところだ。しかし、恵比寿の駅から電話をかけたが、誰も出ない。
東京:蔵前
電話をかけて、蔵前に行く。姉ちゃん(敬称)がいないが、兄ちゃん(敬称)とあれこれ話し込む。見込み客を紹介してもらった。
東京:両国
いつもの両国。兄ちゃん(敬称)が忙しそうにしていたので、プログラムを更新して、ちょっとだけ説明して、早々に退散する。
飛行機の便が取れたので、土産に草加煎餅を買って、さっさと帰る。
2002 年 9 月 14 日 (土)
のどかな土曜日
またもや、何をしたのか思い出せない長閑な土曜日。
そう、かみさんと子供たちを連れて、ビデオ・レンタル・ショップに行き、昼食を摂り、新しく出来た西脇の道の駅を見物した。昼食のファミリー・レストランで、食事を運んできたのが○○の姉ちゃん(敬称)だった。「こんにちは」、「おお、誰かと思えば」、「内緒にしてくださいね」、「うん」。
かみさんの仕事の手伝い。2点やっつける。
2002 年 9 月 15 日 (日) 敬老の日
のどかな日曜日
昼過ぎに起床。子供たちは既に岩座神に行ってしまっていた。
かみさんの仕事を手伝う。なんか、ややこしいのばっかりだな。4点こなした。あと2点。
夕方、かみさんと岩座神へ夕食を食べに行く。
2002 年 9 月 16 日 (月) 振替休日
のどかな振替休日
朝、子供たちを岩座神に送りがてら、ハーモニー・パークでモーニング・セットの朝食を摂る。評判どおり、ここの食パン、美味いですな。連休だからか、けっこう賑っている。
子供たちをおばあちゃんに預けて、かみさんと牧野に帰る。
かみさんは、「ちょっと十分だけ寝る」と言って、寝床にもぐり込み、昼まで起きてこなかった。たっぷりという意味では「十分」で字面は合っている。その間に、かみさんの仕事の手伝いで残っていた2点を片付けた。
梅ぼしのラベル
梅ぼしの容器に貼るラベルを作る。
この梅ぼしは、岩座神の梅ぼし(ばあさん)クラブ(仮称)が作って売り出している商品なのだが、ずいぶん前から、容器に貼るラベルをデザインして作ってくれと頼まれていた。延び延びになっていたところを、かみさんに急かされて、今日、やっと出来た。初版は39枚。耐水性のインクジェット用ラベルを使用。
夜なべ?
夕方、出来たてのラベルを持って、岩座神へ行く。夕食をとり、子供たちを入浴させ、歯磨きをさせて、牧野に連れて帰る。子供たちは、かみさんの思わく通り、車の中で寝てしまった。
ところが、まだ仕事が残っている。
明日の朝、しんのすけ(本名)くんに渡す約束のマスターCDがまだ出来ていない。それに、明日の朝のミーティングでやることになっている「三分間レクチャー」の原稿も出来ていない。うーむ。三連休で時間がたっぷりあった筈だが、どうなっているのだろう。のどかに構えすぎたか。
2002 年 9 月 17 日 (火)
仕事のメモ
具体的に何をどうしたという訳でもないのに、忙しくて目が回るような気がする。
いや、処理すべき案件が多かったのは事実だな。おまけに、あちこちから、飛び入りの電話もあって、中には、未処理案件を増やしてくれたものもあった。
しんのすけ(本名)とボス(渾名)の出張の準備、○○(何)のこと、○○商事への納品の段取り、口やかましい姉ちゃん(敬称)からの問い合せの電話、名古屋方面の電話の長い兄ちゃん(敬称)から会談を要望する電話、ASPからDLLを呼べなくて困っているという相談、それから、何だっけ、忘れた。
手に余ってる。一度、整理しよう。
2002 年 9 月 18 日 (水)
仕事のメモ
浜松の旦那から電話。パソコンを修理センター送りにした、とのこと。ご愁傷さま。データの大部分はバックアップしてあったそうだ。データさえ無事なら、どうっちゅうことないです。
明日の会議(何)の準備。
机の上を整理。あー、大事なコピーが無い、間違って捨てたか、と思ったら、別のところから出てきた。やれやれ。
アプリケーションの販売と開発とに関しては、はちべえ(誰)とボス(渾名)に大部分を肩代わりして貰おうと思う。ついでに、はみーごコンビ(何)にも手を借りたいところだ。FF(ファイナル・ファンタジーとかじゃありません)の仕事、ぽしゃったら良いのにな、と思う。そうしたら、あれとこれとに一人づつ入って貰える。
寝る前に
結城さんの文章教室で「うまいですねえ」と誉められた。誉められるとやっぱり嬉しいもんだ。橿原の叔父にも「情理を兼ね備えた良い文章を書く」と言われたことがある。東京の叔父に至っては「小説を書いたらどうだ」とまで言ってくれた。
「いやぁー、それほどでもぉー」と、ここはクレヨンしんちゃんの声色で応えるところだな。良い文章、優れた文章なら、インターネット上にごろごろと転がっている。
2002 年 9 月 19 日 (木)
仕事のメモ
会社に帰って、遅蒔きながら、対策会議(謎)。
2002 年 9 月 20 日 (金)
仕事のメモ
昨日の続きで、対策会議の結論を踏まえて、プロジェクトの説明文書を作成する。こいつを先に作っておかなければいけなかった訳だ。
ボス(非渾名)に見せると、「頼むからフォントを12ポイント以上にしてくれ」と言われる。10ポイントでは読みにくいですか。御意。
ボス(渾名)、はちべえ、新しい方のあきちゃんに、来週の東京出張の準備やら、ユーザー・サポートやら、何やかやと指示を出す。
アプリケーションの販売促進のための資料が十分に揃っていない。きちんと作りたいのだが、手が回らない。
天晴会
月例祭の日なので、夜、教会へ行って、天晴会(何)で飲み食い。
吉田さんに富士登山の話を聞く。
明日の稲刈りにそなえて、岩座神に泊る。
2002 年 9 月 21 日 (土)
稲刈り
朝から岩座神で稲刈り。これまでは人に頼んでやってもらうことが多かったのだが、去年から、おじいちゃん(牧野の義父)のコンバインを借りて、僕がやっている。
昨日のうちに、義父がコンバインを岩座神に運び込んでくれている。おまけに、米を作っている田圃が5枚あるのだが、そのうちの3枚について、作業を済ませてくれている。稲の倒伏が一番ひどかった田圃も済んでいる。
という訳で、申し訳ないが、あとは楽勝である。
9時ごろから作業を開始。9時半ごろ、義父が手伝いに来てくれた。12時過ぎに、稲刈りの作業は完了。
義父が乗ってきた軽トラックにコンバインを積み、親父の形見の軽トラックに籾(もみ)を積んで、牧野へ持って帰る。コンバインを載せた方を僕が運転する。
乾燥機も義父のものを使わせてもらう。と言うか、乾燥から籾摺(もみすり)までは、すべて、義父にやってもらう。乾燥機には昨日の分が既に入っていて、今日の分を追加すると、けっこうな量になった。乾燥機の規定の容量を30%ぐらいオーバーしたようだ。大丈夫かな。まあ、大丈夫でしょう。明後日には籾摺が出来るだろうとのこと。
午後、perl をごちょごちょとさわって遊ぶ。アクセス・ログの解析のまねごと。
2002 年 9 月 22 日 (日)
東条湖おもちゃ王国
子供たちを東条湖おもちゃ王国に連れて行って遊ばせる。
朝、10時過ぎに家を出発して、帰ってきたのは夕方の 5時過ぎ。疲れた。夕食は岩座神。
2002 年 9 月 23 日 (月) 秋分の日
籾摺(もみすり)
朝起きると、義父が既に籾摺の準備を完了していた。収穫した段階から稲がよく乾いていたようで、思ったより乾燥に時間がかからなかったとのこと。乾燥や籾摺は義父の領分で、僕は、ああ、そうかいな、と思うだけ。下働きに徹するのみ。
1時間半ぐらいで籾摺が完了。「青が多いなあ」とのこと。収穫が若干早過ぎたらしい。収量は21袋あまり。
軽トラックの助手席にかみさんと子供たちを乗せ(道路交通法違反)、荷台に玄米を8袋、屑米を数袋、籾殻を5袋載せて岩座神へ運ぶ。墓参りをして、初穂のお供えを教会へ持っていく。岩座神で昼飯を食って、牧野へ帰る。
稲刈り(牧野)
午後、義父が牧野の田圃の稲刈りをしているのを手伝う。これも下働きで、収穫した籾の運搬と、乾燥機への搬入の作業をする。1時間ぐらいで終了し、シャワーを浴びて、さっぱりする。
余暇村
ちょっと休んで、さあ、これから自分の時間、と思ったら、昼寝から起きた啓作が、「お父ちゃん、余暇村公園、連れてって」とのリクエスト。うへえ、とか思うが、気分を切り替えて、「よっしゃ、行くぞ」と、二人を連れて元気良く出発する。って、大袈裟やね、すぐ近くの公園なのに。
2002 年 9 月 24 日 (火)
彼岸花
山口百恵の歌(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)では「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」を「まんじゅしゃか」と読んでいた。作詞家は、「間違いだということは知っています。けれど、言葉の響きが『げ』より『か』の方が好ましいから、これで良いのです」みたいなことを言っていた。きつい姉ちゃん(敬称)たちであった。
僕は「彼岸花」という呼び方が好きだ。浅川マキの『港の彼岸花』だ(何が)。
岩座神の棚田の石垣の畦も、この時期には、彼岸花で真っ赤になる。何らかの効用を期待して植えているという話は誰からも聞いたことが無い。
メモ
かみさんから電話。
2002 年 9 月 25 日 (水)
仕事のメモ
出張準備。
その他の仕事は進捗なし。逃げることばかり考えている。
検索のキーワード
アクセス・ログ解析の真似事をして遊んでいるのだが、検索サービスを経由してやってくる人の割合が結構多いことに気付いた。一番多かったのは Yahoo! の検索サービスで、二番目が Google、三番目が biglobe のサーチ。四番目以降は、どれも割合が少なくて、どんぐりの背比べ状態。
検索に使われたキーワードを読み解いてみたら、これがまた面白かった。「数珠+自分で作る+通信販売」(してません)、「寝小便」(してません)、「USBマウス 勝手に動く」(動きません)、「天理教 被害」(受けてません)、「ないか」(何が)、「煙草+脳梗塞+写真+脳+関係+危険 公式」(お門違い)、「京都 東京 普通電車の料金」(そんなもん知るか)、「高速道路交通警察隊」(あ、これはお世話になりました)、「部落+地図 兵庫県」(君、何を探してるの?)、等々。
後から気付いたのだが、ちゃぷにさん(誰)の所に検索キーワードを解析するスクリプトが置いてある。参考にさせてもらおう。
2002 年 9 月 26 日 (木)
東京:青山
ボス(渾名)とはちべえを伴って、東京出張の一日目。
はちべえは新幹線、ボス(渾名)と僕は飛行機で行く。あやうく飛行機に乗り遅れるところだった。
渋谷でボス(渾名)と別れる。
青山ではちべえと合流。青山という街は何か嫌味ったらしい雰囲気だな(偏見)。居心地が悪い。
見込み客を訪問。担当者の反応は悪くない。
昼食は激辛グリーンカレー。
東京:渋谷
渋谷に戻って、客先で、セットアップ作業をほぼ完了したボス(渾名)と合流。
新しいソフトウェアの操作講習。講師はボス(渾名)に任せる。後で聞いたら、胃が痛くなるほど緊張したそうだ。
講習の間、社長や社長のお姉さんと、とりとめのない会話。「請求書、早う出してよ」というのだけは、忘れないようにメモする。ま、検収完了ってことだな(ええ加減やなあ)。
はちべえは、待ち時間を利用して、恵比寿方面へ単独行。
ADSL ルーター経由で pcAnywhere
講習終了後に、セットアップ作業の落穂拾いと、pcAnywhere のセットアップ。pcAnywhere は予定していなかったのだが、社長の提案に従って、急遽、駅前のビックカメラで仕入れて、インストールした。メンテナンスが非常に楽になるので、こちらとしても文句は無い。
ADSLルーター(または ISDN ルーター)を経由して pcAnywhere で通信する場合、セットアップおよび運用方法に、いくつか注意すべき点がある。
-
ホスト側のルーターで静的なアドレス変換が必要。
pcAnywhere が使用するポートを対象となるホストのアドレスへ割り振ること。
-
対象となるホストが複数台ある場合は、各ホストで、pcAnywhere の使用ポートを重ならないようにずらして設定する。
ルーターの静的アドレス変換においても、pcAnywhere の使用ポートを各ホストごとに割り振る。
-
pcAnywhere のセッションを開始するときに、その都度、リモート側で、ホスト側のグローバル・アドレスを知る必要がある。
ホスト側のオペレータにルーターの状態を見てグローバル・アドレスを調べてもらうという方法もあるとは思うが、ホスト・アドレスを告げるページ(の例)にアクセスしてもらうのが手軽で良いだろう。
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リモート側からは、セッションごとに、ホストのアドレスとポートを指定してアクセスしなければならない。
この辺のことは、去年の10月末から11月初めにかけて予習していたのが役に立って、わりと楽に設定が完了し、テストもすんなり通った。
東京:上野
上野の安ホテルに三人でチェックイン。
ボス(渾名)が「食うより飲む方が先だ」というので、近くの飲み屋で慰労。
2002 年 9 月 27 日 (金)
東京:蔵前
蔵前のユーザーを訪問して、ソフトウェアをアップデートする。非常に好評。と言うか、前回アップデートしたのは何時だったっけ。放置しすぎたか。
ボス(渾名)が新しいソフトウェアをデモして見せる。これも非常に当りが良い。
東京:蔵前(2)
ボス(渾名)は八王子方面へ単独行。
はちべえと見込み客を訪問。当りは良い。すぐにどうのこうのという話は難しいかもしれない。
雨が激しくなってきた。
はちべえは新幹線で帰阪。
羽田空港でボス(渾名)と待ち合わせて、飛行機で帰る。
永遠も半ばを過ぎて
中島らもの小説『永遠も半ばを過ぎて』が面白かったのでメモしておく。
ついでに、「楽しい日記」というのは「明るい悩み相談室」のパクリであることを告白しておこう。もちろん、中身をぱくってる訳ではない。
2002 年 9 月 28 日 (土)
のどかな休日
のどかな休日。perl をいじって遊ぶ。特に書くことは無い。
2002 年 9 月 29 日 (日)
棚田オーナー田の稲刈り・棚田コンサート
岩座神で棚田オーナー田の稲刈り。
同時に、棚田コンサート。坂庭省悟さんの「川のほとり」がとても良かった。
2002 年 9 月 30 日 (月)
Jcode.pm の設置
このサイトが間借りしている linux サーバーでは perl 5.00503 が使える。標準的なモジュールもインストールされているが、Jcode.pm は入っていない。どうしたらインストール出来るのか、サーバー管理者にお願いしないと駄目なのか、などと考えていたのだが、@INC で示される場所に Jcode.pm と Jcode ディレクトリおよびその中のファイルを置いておけば良いということだった。@INC には "." が含まれている。つまり、動かしたいスクリプトがあるのと同じディレクトリ、例えば /cgi-bin/ のディレクトリに置いておけば良いという事だ。簡単やね。ああ、動いた。
それにしても、時代は UTF-8 ですか(判ったようなふり)。
圧縮されたログファイルを読む
このサイトのアクセスログは、"access.log.1.gz" のような名前で圧縮保存されるようになっている。こいつを、'open ( LOGFILE, "/usr/bin/gzip -dc ../log/access.log.1.gz |" )' という感じで開くことが出来る。これは、ちゃぷにさんの検索キーワードを解析するスクリプトからのパクリ。簡単やね。ああ、動いた。
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