樂しい日記 2002年10月

2002 年 10 月 1 日 (火)

愛知県

台風が近づく中、中国自動車道、名神高速道路を走って、愛知県へ、つーちゃん(誰)を応援に連れて、ユーザーとの打ち合せのために出張。雨の高速道路の3時間というのは、けっこう、神経が疲れる。

車中、あれ(どれ)のこと、これ(どれ)のこと、はみーごたち(誰)のことなど、僕の中で懸案となっている事柄について、つーちゃん(誰)の考えをただすことが出来た。

ユーザーとの交渉は、まあまあ、双方にとって納得の出来る線でまとめることが出来た。しかし、問題は、スケジュールだな。既にもうパンパンに詰ってます。

2002 年 10 月 2 日 (水)

仕事のメモ

出張の後片付け。

2002 年 10 月 3 日 (木)

対策会議

対策会議(何の?)。

2002 年 10 月 4 日 (金)

保育園の運動会

有給休暇を取って、子供たちの保育園の運動会を観に行く。かみさん、おばちゃん、岩座神のおばあちゃん、そして私。おじいちゃんは、仕事が入ったので、欠席。坂本の叔母さんと従兄弟の嫁さんが、毎年のように、お昼の弁当にと言って、散らし寿司を届けてくれた。

お父さんは力持ち

「お父さんは力持ち」という競技に出た。先生から「お父さん、お願いします」と言われて気軽に引き受けたのだが、これが、あなた、競技名から想像するようなヤワなゲームではなかったのですよ。

ゲーム「お父さんは力持ち」の説明図

このゲームでは四つのチームに分かれて得点を競う。まず、図のように、正方形のフィールドの四隅に箱が置かれており、箱の周囲に玉(玉入れ競技に使うもの)がばら撒かれている。そして、フィールドの中央には、リング状になったロープが正方形に整えて置かれている。次に、各チームから一人づつの選手が登場して、中央に置かれたロープの内側に入る。そして、プロテクター(タオルを5枚重ねぐらいにしてゴムひもを付けたもの)を腹に装着し、自分のチームの箱に相対する位置でロープを手に取って腹に当てる。このとき、選手と箱との距離は2mぐらいある。これで準備完了だ。ホイッスルとともにバトル開始。ロープを腹に当てたまま、他の三人をひきずって前進し、玉を拾って箱に入れればよいのだ。制限時間は1分。短いようだがそれで十分だ。へとへとに疲れ切って次の選手と交代することになる。

このゲーム、むちゃくちゃ面白い。選手にとっては非常にハードだけれど、観ている分にはこんな面白いものはない。どの選手も、形相を変えて渾身の力をふりしぼっているのに、なかなか箱に近づけない。引きずられて、すべったり、転んだり、這いつくばったり、靴が脱げたり、いやもう、大変である。

このゲームが良く出来ていると思うのは、4人の選手にある程度の力の差があっても、一方的な結果にならないという点だ。確かに力の強い選手が有利であることは間違いない。最も力の強い選手が、箱に最も近づくことが出来る。しかし、箱に近づけば近づくほど、他の3人から受ける抵抗力が大きくなってくる。ある程度のところまで前進すると、バランスが取れて前進できなくなり、なかなか玉を拾うところまで行き着けないのである。そして、各選手がやっきになって、バランスを崩して前進しようとするので、すべったり転んだりの観客を喜ばせるパフォーマンスが自然と演じられることになる。

昼食には、おじいちゃんも間に合って、家族七人でお弁当を食べる。

2002 年 10 月 5 日 ()

のどかな休日

のどかな休日。perl をいじって遊んでいる。

過ぎた日のキーワード」がだいたい思い通りのものになった。

2002 年 10 月 6 日 ()

加美町住民会議

午後、加美町の住民センターで、加美町住民会議。

合併問題に関して、関西学院大学総合政策学部教授の長峯純一氏の基調講演があった。

9月11日に岩座神の公会堂であった「合併問題についての懇談会」で得た以上の情報は得られなかった。

2002 年 10 月 7 日 (月)

仕事のメモ

午前中、営業会議。あらためて、仕事がパンパンに入っていることを確認した。

午後、織物のシミュレーション技法に関するレクチャー。

蔵前の姉ちゃん(敬称)、浜松の旦那、大阪日本橋の小母さん(敬称)、地元の口やかましい姉ちゃん(敬称)などと電話でやっさもっさ(何)。ボス(渾名)も渋谷の姉ちゃんたちと pcAnywhere と電話でのったらくったら(何)。

日程が決る

日程(何の)が決った。10月23日が X day になる。

悠助のリクエストに応えて、機関車トーマスの玩具を取りに、子供たちを連れてかみさんと岩座神まで夜のドライブ。

2002 年 10 月 8 日 (火)

仕事のメモ

出張の段取り。あっち(どっち)にも行かなきゃならない、こっち(どっち)にも行かなきゃならない。

あーあ、疲れた、もう帰ろう、と思っていたところへ、○○商事のちいボスから電話。もう一台入れようという事になったから、明日、うちのボスとよろしく話をつけてくれ、とのこと。

2002 年 10 月 9 日 (水)

仕事のメモ

朝、○○商事の社長に電話して、価格交渉。決っちゃった。元気だな、この会社。

2002 年 10 月 10 日 (木)

月例祭

夜、天理教岩座神布教所の月例祭。

寒い。ホーム炬燵が欲しいぞ。

2002 年 10 月 11 日 (金)

仕事のメモ

はちべえ、まつと一緒に組合を訪問。

はちべえと一緒にテリーさんを訪問。

2002 年 10 月 12 日 ()

秋祭り準備

朝8時から、岩座神五霊神社の秋祭りの準備。村中総出。今年はクラインガルテンからも数名の人が手伝いに来てくれている。

僕は、福引の景品の買出しに、ひとっちゃんと、氷上町のジャパンへ出掛けることになった。

12時半ごろに帰ってきたら、すでに準備は完了していた。

梅干のラベル

一旦、牧野に帰って、梅干のラベルの第2刷(100枚)を製作。

秋祭り宵宮

夕方から、子供たち、かみさん、おじいちゃんも一緒に、岩座神で会食。スキヤキ、鯖鮨、巻寿司、鮪の刺身。他に誰も酒を飲まないので、缶ビールを半分空けただけ。

9時ごろ、神社に参詣。福引(啓作は4等、4等、4等。悠助は4等、4等、3等)。曳山車(ひきやま)の宮入り。餅撒き(啓作も悠助も興奮しまくり)。

2002 年 10 月 13 日 ()

秋祭り

朝、五霊神社秋祭りの祭儀。

だらーっと半日過ごす。

午後3時から、祭りの後片付け。

2002 年 10 月 14 日 (月) 体育の日

棚田の収穫祭

岩座神で、棚田オーナー田の収穫祭。

2週間前に刈り取って稲木(いなき)に掛けて天日干しにしていた稲を脱穀(だっこく)・籾摺(もみすり)して、玄米を収穫する。今年は、1オーナーあたり48kgぐらいの収量があった。新米のおにぎりと豚汁でお祝い。

2002 年 10 月 15 日 (火)

愛知県 : 尾張一宮

ぞろぞろと連れ立って尾張一宮へ出張。

昼食は味噌煮込みきしめん。ちょっと苦い(焦げ臭い)味が気になるのだが、こういうものなのかも知れない。

化けてます

空白のページが表示されています。ソースを見たら、こうなってた。

(前略)...<TITLE>過ぎ行く今は星の瞬き(昭・不姪> 写瀕K 蓿繙就蒡碵蜚絎笂鵞 鱚貊‰・跂鼈繞槇 ・鞳就・・・齠⊂鹿氾祖> 実歪Y ・・就0旭旭唖> 屡仮過ぎ行く今は星の瞬き</H2>...(後略)

ダウンロードしたけど、ほとんど聞き取れない(謎)。

2002 年 10 月 16 日 (水)

大阪 : 南船場

はちべえと連れ立って大阪は南船場へと出張して、ソフトウェアのデモと商談。「10%値引きしてくれ」との話。つまりは商談成功という事だ。後の交渉は、はちべえに任せておけば大丈夫だろう。

大阪 : 船場

昼飯に立ち寄った食堂で、のっけから、婆さんに「何か用事?」と詰問された。客には見えませんか、そうですか、と言って出てしまえば良かったのだが、カツ丼を注文してしまった。爺さんと婆さんが二人でやっている薄汚れた食堂で、それは別に構わないのだが、不機嫌な婆さんが相棒の爺さんを罵り続けたのには、まったくもって閉口した。爺さんは病気でもしたのだろう、きびきびとは動けない様子だった。それが婆さんにはひどく気に食わないらしくて、客の耳目も構わずに、「何べん言うたら分るねん、早う、どんぶり出してんかいな」などと、とげとげしい口調で爺さんに命令する。「おばちゃん、頼むからやめてえな。不味い飯が余計に不味うなるやんか」と言いたいところだ。勿論、何も言わずに、そそくさと食べて、逃げるようにして金を払って出たけれど。

○○産業にご機嫌伺い。

ていさん

会社に帰って、中国人留学生のていさんと会見。

対策会議

あれ(どれ)の対策会議。

2002 年 10 月 17 日 (木)

千葉 : 新検見川

朝、5時に起きて、6時前に出発。中国道を伊丹まで走る。7時20分の飛行機で羽田へ飛ぶ。電車とバスを乗り継いで、千葉は新検見川、働く母の住むマンションに10時半に到着。Sun Workstation や fiery PostScript server などの結線を解いて、輸送に備える。梱包は無し。11時過ぎに、両国から来た迎えの車に機器を積み込んだ。ちょうど去年の今頃、どたばたしながら納入したシステムだ。

働く母は出産後も仕事を続けるつもりで、デザイン用のシステム一式を新調して、自宅に設置していたのだ。会社にとっては稼ぎ頭の重要なデザイナーだったから、費用は全部、会社が出した。

しかし、実際にやってみると、働く母は働く母で、育児と仕事を両立することが非常に難しいことを知り、会社は会社で、現場から離れたデザイナーの感覚が微妙にずれていく事に気が付いた。そして、一年後、働く母は引退を決め、デザイン・システムはごっそり会社へ移設することになった訳である。今、母の胎には二人目が宿っているそうだ。

東京 : 両国

両国でマシンを再セットアップして、既存のネットワークに接続する。結構、手間取る。

新しいデザイナーが一人入っていた。何か、頭の良さそうな元気の良い姉ちゃん(敬称)。そして、○○から預かっている新人のデザイナーが、もう一人。

余った時間で、講習会。新しい方のシステムの基本的な使い方の復習、および、画期的な新機能(自画自賛)の説明。

7時35分の飛行機で帰る。

2002 年 10 月 18 日 (金)

匿名希望の○○さん

匿名希望の○○さんから電話。もう一度詳しい話を聞きに今からそちらに行きたい、とのこと。是非どうぞ、という訳で、はちべえと二人で応対する。思ったより早く、具体的な話になってきた。

三人で串万で昼食。接待交際費で落とす。

成約

一昨日の南船場の件、成約した。

英語

つーちゃん(誰)が、英語のパンフレットがあったと思う、出してくれ、と言う。しかし、英語のパンフレットなんか作った覚えがない。うんうん唸って、既存の日本語のパンフレットを翻訳する。少し変なところがあるかも知れないが、まあ、いいだろう。来週、パキスタンからの客人達に見せるということだ。さあ、どんなもんでしょう。

ボス(非渾名)が、イタリアからの問い合せのメールを転送してきて、対応しておいてくれ、と言う。メールは英語で書かれていて、少し変なところもあるが、意味は通じた。英語で返事を書く。意味は通じると思う。

展望台

夜、岩座神で景観村づくりの勉強会。展望台を作りましょう、という方向に、先生(誰)は話を持って行きたいようなのだが、さあ、どうするんだろう。

2002 年 10 月 19 日 ()

のどかな土曜日

のどかな土曜日。

久しぶりにかみさんと二人でデート。礼服を新調しに行き、その後、キャロット・ハウスで昼食。「今日はお休みですか」「ええ、そうです」。ん? あれ? 今日は電話番出勤の土曜日だったかな? そんな気もする。しかし、今から会社に出ても、架かってこない電話の番以外には用事らしい用事は無いし、今週は十分に働いたし、もう良いだろう。気が付かなかったことにする。

谷五郎

夜、加美町青少年補導委員会の主催による講演会。講師は谷五郎さん。AM神戸でラジオ番組の司会というか喋り手をしている人。いや、良かったです。

2002 年 10 月 20 日 ()

法事

朝から、岩座神で、親戚の法事。昨日新調したばかりの礼服を着る。と言うか、前の礼服が小さくなっていたので、慌てて新調したというのが真相だ。

親戚と言うのはずっと昔から「新宅」と言っている家なのだが、いったい何時頃に分家したものなのか、よくは知らない。今では、血縁としては、非常に薄い関係になっているが、盆や正月や法事などとなると、昔ながらの本家(ほんや)と新宅という関係が表面に出てくる。

おじいさんの五十回忌とおばあさんの十三回忌。おばあさんには、子供のときに、お菓子を貰った記憶がある。「あんたは難しい子やから、何なとあげても喜ばんしなあ」と言われたのを思い出す。

法事の勤行で声明を聞いた。古い賛美歌のような澄んだ響きが快く、思わず居眠りをしてしまった。

里帰りの準備

しばらく子供を連れて岩座神に里帰りすることになる。ただし、夫婦仲がこじれた訳ではないので、ご心配なく。かみさんが明後日から二週間ほど病院に入ることになっており、その間、子供たちの面倒を岩座神の母に見てもらうことになったのだ。そういう訳で、子供たちや僕の衣類を岩座神に運び込んだ。

月例際なので、教会へ顔を出す。

今夜は四人、牧野で寝る。

2002 年 10 月 21 日 (月)

英語(続き)

英語版のインストール媒体およびセットアップ・マニュアルを作成。

成約(別件)

はちべえから、○○から注文を貰った、との報告。もっと時間がかかると思っていたので、何か、棚ボタのような気分。

里帰り一日目

かみさんの入院は明日からなのだが、今夜から、子供たちを岩座神に泊める。

さすがに心細いのか、子供たちは普段とは様子の違うはしゃぎ方をする。

2002 年 10 月 22 日 (火)

里帰り二日目

朝、子供たちを保育園まで送って行く。悠助の機嫌が良くない。母親の不在がじんわりと効いているような感じ。心配していた啓作の方が、むしろ、諦めて気分を切り替えようとしているように見える。

かみさんは今日から入院なのだが、「来なくて良い」というので、会社に出る。

子供たちは、保育園が終わった後、おばちゃんに連れてもらって、病院へ最初のお見舞いに行った。入院しているところを見せておく方が、覚悟が決って良いだろう、という事。

仕事のメモ

英語は一段落させて、今日は、操作マニュアルの改訂に着手。

鹿ちゃん、松と相談の上、気心の知れた○○製織の社長を訪ねて、ヒアリング(何)を行う。「後報(こうほう)」ってのを初めて知る。うひー、っちゅう感じ(謎)。

渋谷方面から電話。時期が時期だけに、ちょっと難題。

里帰り二日目の夜

9時ごろ、かみさんから電話。子供の声が聞きたくなったらしい。

子供たちが寝た後、日記をまとめて書く。

2002 年 10 月 23 日 (水)

手術

子供たちを保育園に送った後、○○商事へ直行する。がんちゃん(誰)をつかまえて打ち合わせをしたかったのだが、二三軒回ってから出社するとのことで、まだ来ていなかった。

西脇市民病院へ行く。かみさんの病室を教えてもらっていないことに気付いたが、見当をつけて探したら、すぐに見つかった。かみさんは手持ち無沙汰にテレビを見ていた。子供たちのことを少し話す。すぐに僕も手持ち無沙汰になった。

かみさんの暇つぶし用の本を仕入れるために、近くの本屋へ行く。適当に見繕えという指令なのだが、さあ、何にする。まあ、中島らもで良いだろう。『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』が積んであるのを見つけたので、これも仕入れた。

12時ごろ、主治医である柴田医師から、病状と手術の内容に関して、説明を受ける。おばちゃん(義姉)が同席してくれた。

手術までまだ時間があるということで、昼食を食べに行く。

病室に戻ってくると、隣のベッドの患者さんが、もう手術に行かれました、と教えてくれた。手術室の前に行ってみると、おばちゃん(義姉)が待合のベンチに座っていた。手術の時間が急に早くなったそうだ。僕に連絡を取ろうとしたが、携帯電話が通じなかったとのこと。12時半ごろ、僕がのんびりとニシン蕎麦を食べている間に、かみさんは「一生うらんでやる、言うといて」と七回言って、手術室へ連れて行かれたらしい。

14時10分ごろに手術が終了。「どうや、大丈夫か」、「痛い」、「痛いか」、「痛ーイ!」、「怒るな」、「イーターイー!」。大丈夫らしい。

病室でかみさんに付き添う。痛いと言うが、僕は少しも痛くないので、申し訳ないが、実感が伴わない。手を握る。考えてみると、こんなに長時間手を握ったことは今まで無かった。

おばちゃん(義姉)に後を委ねて、5時半ごろ、病院を出て家に帰る。

子供たちは三日目になって、岩座神での生活にかなり慣れてきたようだ。

2002 年 10 月 24 日 (木)

ヒアリング

鹿ちゃん(誰)、松(誰)とヒアリングに出掛ける。午前中は○○、午後は△△。それだけで、ほぼ、一日が終り。

入院三日目

昼休み、弁当を持って、病院へかみさんに会いに行く。ぐったりと疲れた表情で横になっていた。昨日、僕が帰った後、痛みがひどくなり、吐き気も催して、苦しんだそうだ。

里帰り四日目

子供たちを風呂に入れている間に、コロのおいちゃんが様子見にやってきて、「どないしたんや、どないしたんや、どないしたんや」と、母に事情聴取をして帰った。まあ、何も言っていなかったから、心配するよね。

2002 年 10 月 25 日 (金)

○○某の○○さん来訪

名古屋方面から、○○某の○○さんが来訪。午後を丸々、応接に費やす。疲れた。

入院四日目

○○さんの来訪を控えていたため、昼休みに病院へ行くことが出来なかった。

Netscape Communicator(Navigator) 4.x

「エージェント集計」を見ると、現在でも、Netscape Communicator(Navigator) 4.x を使っている人の数は、少ないと言えば少ないが、無視できるほどに少ないとは言い切れない。そのためか、Netscape Communicator(Navigator) 4.x のデタラメかつバグバグな CSS 解釈に頭を悩ませて、対応策に苦慮している Web ページ作者は、いまだに、非常に多いようである。「過ぎた日のキーワード」を見ると、"Netscape", "Navigator", "4.7", "CSS", "スタイルシート" などのキーワードで Web を検索した結果、このサイトにやって来る人が結構多いのだ。

現在、softark.net のすべてのページは、Netscape Communicator(Navigator) 4.x では CSS がオフになるように書いている。結局、それが一番お互いの為になると思う。

という次第で、Netscape Communicator 4.7 に追記。

2002 年 10 月 26 日 ()

里帰り六日目 : 久しぶりの牧野

朝、子供たちを牧野に送っていく。今日はおばちゃんが休みで、一日中、子供たちの面倒を見てくれることになった。

病院に寄ってから、大阪へ行く。

大阪 : 南船場

昼過ぎに南船場に到着。蕎麦屋で昼飯。荷物を搬入。前後して、はちべえも到着し、荷物を搬入。30分ほどでセットアップを完了。

4時過ぎまで、みっちりと操作講習。

たいがいの場合、1時間もやると、「これで大体一通りなんですけれど、今日のところは、この位にしましょうか」、「ふう。まあ、だんだんと使うてみんと判らんわなあ」みたいな感じで終了になるのだが、ここのデザイナー達は非常に積極的と言うか腰が軽くて、「ちょっと、これ、俺、自分でやってみるわ」と言って、練習を始めてしまう。理解も早いので、かなり高度な所まで講習を進めることが出来た。

デザイナー達と呼んだのは、20台から30台のお兄ちゃん(敬称)で、みんな、デザインだけでなく営業をこなしている。と言うか、営業職が、みんな、自分でデザインもしている。面白いな。

デザインの仕事は客に近いところでやらんと駄目ですよねえ、と社長に言ったら、デザイナーと営業を別にしたら、営業は「デザインが悪いから売れへんのや」言うし、デザイナーは「デザインは良えのに営業が下手でよう売らんのや」言うからな、自分で作って自分で売る、というようやないとあかん、との返事であった。客の好みを早く正確にフィードバックするためにも、営業が自分でデザインをする必要がある、とも。

プログラムは非常に好評で、僕もはちべえも気を良くしたのだが、それにしても長時間の講習でこってりと絞られて疲れた。

入院五日目

帰りに、赤松のサービスエリアで買った天津甘栗を持って、病院に寄る。

子供たちは牧野にお泊り。僕は岩座神で久しぶりに羽をのばす。かみさんから電話で、おばちゃんのご機嫌がだんだんと斜めになりつつあるとの報告。ご苦労さまです。

2002 年 10 月 27 日 ()

蕎麦の脱穀

朝から晩まで、岩座神で、蕎麦の脱穀作業。各戸から一人づつ出役。棚田のオーナー、クラインガルテンの住民、神戸大学農学部の学生なども、有志が手伝ってくれた。午前中は露が付いていたためか、脱穀機の中に蕎麦の茎や実が詰まりやすく、能率が上がらなかった。ほぼ8時間労働。くたくた。

里帰り七日目

夕方、蕎麦の脱穀作業の慰労会は欠席して、子供たちを牧野へ迎えに行く。今日も、一日中、おばちゃん(義姉)に面倒を見てもらった。昨日の朝から今日の夕方まで、お疲れさまでした。

かみさんは順調に回復している模様。

2002 年 10 月 28 日 (月)

ヒアリング

午前中に一件、午後に一件

電話

名古屋方面から一件、東京は両国から一件、渋谷から一件。東京へ出張しなければならない。明日はもう詰っているので、明後日だ。

入院七日目

家に帰る前に病院に寄る。

今日は退屈していたところに、長井の叔母さんが来て、漫談をしてくれたので大助かりだった、とのこと。両隣の患者さん(ここは三人部屋)とも親しくなって、お見舞いの食料を分け合っている。点滴も外された。何と言うか、もう、のんびりだらだらと切傷(とは呼ばないか)の回復を待つ以外には、何もすることが無いらしい。お隣の旦那さんが持ってきてくれた折詰の寿司をぱくつく。

2002 年 10 月 29 日 (火)

ヒアリング

午前中に一件、午後に一件

カウンセリング

経営コンサルタントのおっちゃん(敬称)が会社に来ていた。

おっちゃん(の所属するコンサルタント会社)は、「性格診断テストの結果を元にして、企業の人材配置を最適化し、かつ、個々の人材を活性化させます」みたいな謳い文句を掲げて営業しているらしい。

先週の月曜日に、社員一同、性格診断テストを受けさせられた。ボス(非渾名)とつーちゃん(ちいボス)もテストを受けたらしい。

会議室で、ボス(非渾名)とつーちゃん(ちいボス)が見守る中、おっちゃんと面談する。後で他の人に聞くと、立場、年齢、性格などに応じて、かなり内容の違うカウンセリングになったようだ。若い人は、「そんな事でどうするんや、もっと積極的に行かんかい」みたいに発破を掛けられたり、「10年後の会社と自分についてレポートを書け」と宿題を出されたりもしたらしい。

まあ、いろいろと面白かったです。

里帰り九日目

病院に寄ってから帰宅。

8時半頃、かみさんから子供たちに定時の電話。悠助は明日の遠足に持っていくお弁当の内容を事細かに報告している。啓作が「僕なあ、おかあちゃんの事が心配なんや」と言う。

遠足前夜ということで興奮しているのか、寝床に入ってからも、どたばた騒いで、なかなか寝ない。これをやり始めると次の夜からひどく苦労することになるのだが、と思いながら、「お話」を始める。とりあえず「むかしむかし、あるところに」で始めて、その後は、思いつくまま、適当に話を進めるのだ。しかし、いきなり、「昔はあかん」とクレームが付く。「ほんじゃ、あるときのこと、ピカチューが一人で道を歩いていると、、、」。

2002 年 10 月 30 日 (水)

東京

5時過ぎに起きて、東京へ出張。

まずは両国。トラブルの回復と、予防措置の適用。あれこれと話をしたいこと、話さなければならないことがあるのだが、何と言うか、忙しすぎるな、ここの人たちは。

午後は渋谷。ここには、昨日、ボス(渾名)が納品に来た。セットアップに少し漏れがあるので、それを追加して修正。ジャカードに関してレクチャー。

予約した便より2時間早い飛行機で帰る。

入院九日目

岩座神に帰る前に、病院に寄る。

退屈で仕方がないそうで、話し相手になる見舞い客が来ると、「離さへんで」とばかりに、掴んで帰さないようにしていると言う。みんな、最後には、もぞもぞしながら、「もう、帰っても良えやろか」と切り出す。中には、次の見舞い客が来たのを見て、ほっとして逃げ帰る人もいる、と、楽しげに話す。迷惑な病人やなあ。

草加せんべいを置いて逃げる。

スーツを取りに牧野に寄る。

今夜の「お話」は、健康ランドのバスの運転手をしているおじいちゃん(誰)が道で大かぼちゃを拾う話。かぼちゃから生まれたカボちゃんは、昆布と梅干とシャケを入れたおにぎりをおばあちゃんに作ってもらって、鬼退治に出掛ける。途中、ピカチューが出てきて、カボちゃんに「ぴかぴかー」と話し掛けるが、何を言っているのか判らないので、ニャースに通訳してもらう。

2002 年 10 月 31 日 (木)

大阪 : 堂島

ヒアリングは、はちべえと松(誰)に任せて、大阪の堂島に出張して、システムのプレゼンテーション。プロジェクターをセットしかけてから、ディスプレイ・ケーブルを持参し忘れていることに気付く。てっきり、プロジェクターのケースの中に一式入っているものと思い込んでいたのだ。「うわー、手抜かりやなあ」、「おお、とんでもない手抜かりや」、「あちゃー」、「貸して貰えるかどうか、聞いてみよか」、「お願いします」、という訳で、ディスプレイ・ケーブルを客に借りて事なきを得た(本当か?)。

反応は上々の部類。多分、売れると思う。

入院十日目

会社が終ってから、病院へかみさんに会いに行く。

同室の患者さんの一人は今夜も逃走して、ベッドはもぬけの殻。家が病院の近くにあるそうだ。もう一人の患者さんからケーキを頂戴した。

里帰り十一日目

今夜は、お爺さんとお婆さんと孫と犬と猫と鼠が大きな蕪(かぶ)を「うんとこどっこいしょー」と引き抜く話。って、これはそういう絵本がある訳ですが。


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