樂しい日記 2003年1月
2003 年 1 月 1 日 (水) 元旦
初詣 : 天理
神殿でそそくさとお勤めを済ませて、外へ出て、屋台でおでん、焼鳥、たこ焼、熱燗でお祝い。
1時ごろに天理を出発。運転はコロのおばちゃん。最後部座席のシートを倒して寝る。3時半頃に岩座神に帰着。
初詣 : 岩座神
7時、岩座神の五霊神社へ初詣に出掛ける。おっと、一番乗りだ。時間を間違えた。
引き続いて、みんな揃って、神光寺へ初詣。
初詣 : 教会
子供たちを連れて教会へ初詣。駐車場で、のぶおさん(誰)、もーさん(誰)が帰るところに会う。教会は、ほとんどみんな帰ってしまった後だった。
宴会 : 牧野
牧野で、坂本の一家を招いて、新年の宴会。ええと、何人だ? 子供が6人、大人が9人、総勢15人か。たっぷり飲み食いした後、眠くなったので、退座して夜まで寝る。
2003 年 1 月 2 日 (木)
岩座神でのんびりと
朝、起きると、雪が少し積っていた。電話で確かめると、岩座神はソリ遊びが出来るほど積っているというので、行きがけに靴のヒラキへ回って、ソリを2台仕入れる。
たっぷりと雪遊び。
昼食後、かみさんはホーム炬燵にもぐりこんで、昼寝。元日はいつも忙しいので、二日の昼寝が楽しみなんだそうな。
かずじい(誰)とみきちゃん(誰)が来訪。あれこれと歓談。
2003 年 1 月 3 日 (金)
偽仕事始め : 弁当配達サービスの手伝い
岩座神の母から、ボランティアでやっている弁当配達サービスを手伝ってくれ、と言ってきた。道に雪が積っていて、自分の車では出られないから、と。
行ってみると、棚釜までは何ともないのに、岩座神だけは道が白いのである。母の車のノーマルのタイヤでは、ちょっと危ないだろう。冬用タイヤを履かそうか、と言ったのだが、どっちみち雪のときは運転しない、と言うので、そのままにしている。
給食センターまで僕の車に母を乗せて行って、配達する弁当を受取ろうとしたら、三が日の間は弁当配達サービスは休みだ、と言われた。何じゃ、これは。連絡ミスかな。すごすごと引き返してお終い。
偽仕事始め : EXCEL の修復
久しぶりに友達のガソリン・スタンドに立寄ったら、最大級の熱烈歓迎を受けた。EXCEL のシートがショートカットから開かなくなってしまって困っている、と言う。20人ぐらいの友人や知人が入れ代り立ち代りして修復を試みてくれたが、どうにも埒が開かない、お前が来るのを一日千秋の思いで待っていた、さあ、これを見てくれ、とパソコンの前に座らせられた。
EXCEL を起動しておいて、ファイル・ダイアログを使う場合は、問題なくファイルを開く事が出来る。ところが、エクスプローラやデスクトップから、ファイルやショートカットをダブルクリックして開こうとすると、EXCEL は起動するが、ファイルが無い、みたいな変な事を言って、ファイルが開かない。拡張子の関連付けの周辺がスカタンしている模様。
ごちゃごちゃいじってみたが、訳が判らないので、修復インストールをしてみる。ダメ。アンインストールしてから再インストールしてみる。これもダメ。どうなってんだ、訳が判らん。ふと思いついて、HKEY_CURRENT_USER\Software\Microsoft\Office 以下をごっそりと消してみる。お、直った。直った直った。
欣喜雀躍した友人がお年玉をくれたので、ガソリン約30リットルと洗車が只になった。
偽仕事始め : 家族サービスなど
子供たちを連れてジャスコで買物。悠助が持っている移動基地(みたいなもの)を啓作に買ってやる。
帰り道の喫茶店でソーダ・フロートやらコーヒーやら。
冷たい雨。
夕方、小林さんのお母さんの通夜。
2003 年 1 月 4 日 (土)
のどかな休日
小林さんのお母さんの葬式。雪が舞っていた。
子供たちを連れて、國延分教会の月次祭に参拝。と言っても、祭典終了後、直会も終りかけた頃に。
2003 年 1 月 5 日 (日)
冬休みの終り
寝坊。何か喉が痛い。風邪を引いたらしい。
仕事をしたいかみさんの要望にしたがって、子供たちを連れて岩座神へ行く。子供たちをおばあちゃん(母)に預けて(押しつけて)帰るつもりだったのだが、昼飯を食ってホーム炬燵に入ったら、そのまま寝てしまった。気が付いたら夕方。かみさんも来て、夕食。牧野へ帰って、子供たちを風呂に入れる。
さあ、これから、宿題を片付けねばならない。さっさとやっちまおう。
まれさん(誰)、帰って来た。
2003 年 1 月 6 日 (月)
仕事始め
冬休みの宿題を朝5時ごろまでかかって片付ける。
夜の間に雪が降って積った。渋滞が予想されたので、いつもより45分ほど早く家を出た。家を出て3分後、カーブの所に放置されている車を発見。前輪が不自然にひん曲っている。雪の量は大した事ないが、夜間冷え込んだので、道路はかなり滑りやすい状態になっている。15分後、田んぼに落ちかけて電柱にひっかかっている車を発見。175号線まで出ると、道に雪は無くなった。会社のあたりは、雪が降った痕跡すらない。結局、普段より10分ぐらい余計にかかっただけ。
定例の新年のミーティング。
一日中、ゼミ(何)。
2003 年 1 月 7 日 (火)
会議
午前中、定例の会議。
午後、ゼミ(何)の宿題(何)を片付ける会議。くたくた。
2003 年 1 月 8 日 (水)
仕事のメモ
ボス(渾名)と松(誰)の仕事を横目で見ながら、納品する豪華パソコン(何)のセットアップ。○○製織の若旦那の相手やら、○○商事のお姉ちゃん(敬称)の相手やら、見知らぬエンジニアの相手やら、何やかやとしながら、丸一日かかって、まだ終らない。プリンタとタブレットが手付かずで残っている。ところで、SCSIカードが一枚余るんだけど、どうすんの、これ。ガメておきますか。
お年玉
奈良からお年玉が届いた。うしし。さっそく聴いている。
2003 年 1 月 9 日 (木)
仕事のメモ
豪華パソコン(何)のセットアップの続き。何とか全部終了。梱包して発送。
風邪で二日休んだ柳(誰)の仕事の進み具合を確認。まあ、そんな所だろう。
2003 年 1 月 10 日 (金)
ISDN ルーターの勉強
納品先(の面倒を見ているシステム会社)が、リモート・サポートに使用する pcAnywhere の経路として ISDN ルーターを使いたいと言うので、会社の倉庫に眠っていた YAMAH RT80i を引っ張り出してきた。
インターネット経由でなく、ISDN ルーターで直接に接続する訳だ。そういうの、やった事ないんですけど、、、と呟きながらマニュアルを見ると、「LAN間接続」というのがある。あ、これね。
しかし、ISDN ルーターって、面白いですな。remote setup なんてのも出来るんだ。今となっては、回線速度が大いに不満だけれども、それさえ我慢すれば、いろいろと使い途がありそうだ。と言うか、いろいろと使われているのかな。どうも、僕の認識が数年遅れているようだ。
実験のために、口を開けたままにしておく(謎)。
月例祭
夜、岩座神布教所の月例祭。ポンのおいちゃん(誰)は、かなりの速度でかなりの量のお神酒を聞し召したので、母が家まで送り届けた。岩座神に泊る。
2003 年 1 月 11 日 (土)
のどかな休日
母と二人で、ポンのおいちゃん(誰)の車を家まで回送する。
ISDN ルーターの勉強の続き
自宅の YAMAHA RTA54i と会社の YAMAHA RT80i を接続する実験。おお、繋がる、繋がる。トロいけれど、繋がる。
しかし、コールバックが出来ない。どうやら、会社の方の回線が「通話毎非通知」の設定になっていないらしい。(しかし、「通話毎非通知」というのは、誰が決めたのか知らないが、理解を拒絶しようという悪意すら感じられるような、ひどい用語だな。普通の人間にも分るように翻訳すると、「発信者の回線番号を原則として相手方に通知する」という事だ。)会社側の回線番号が通知されないので、こちら側で着信できない。まあ、とりあえず、これで良いだろう。
2003 年 1 月 12 日 (日)
のどかな休日
ポケモンの玩具のために、マクドナルドでハンバーガーを食う羽目になった。
子供たちを預けようと思ってかみさんが電話をしたら、岩座神のおばあちゃん(母)は風邪でダウンしていた。昨日は何ともないように見えたのだが。
夕方、食事を持参して、四人でおばあちゃん(母)を見舞いに岩座神へ行く。ほぼ快復した模様。
2003 年 1 月 13 日 (月) 成人の日
岩座神 : 総会
毎年、成人の日が、岩座神部落の住民総会。
今年は、役員改選の選挙はない。
平成14年度会計報告、平成15年度予算案審議、平成15年度行事予定審議。
平穏無事に終了。と言っても、朝9時から、会食をはさんで、午後2時過ぎまでかかった。
ゲロの後片付けをする。本人(誰)がやらないんなら、まあ、僕がやっても良いかと思った。
夕方、かみさんが子供たちを連れて来て、一緒に食事。
2003 年 1 月 14 日 (火)
東京 : 日本橋
日本橋堀留町で YAMAHA RTA55i と格闘。何で ping が通らないんだ、って、これ、アドレスが違うやんか。繋がってしまえば、何も難しい事はない。
東京 : 羽田
時間をもてあましたので、羽田空港でインターネット・カフェを試した。WWW のブラウズが出来る、ただそれだけ。つまらん。もう行かない。
2003 年 1 月 15 日 (水)
仕事のメモ
別件の納品準備。こっちのパソコンは必要なものしか付いていないので、楽勝。
はちべえ(誰)と○○繊維へ商談に行く。何か意識のズレを感じる。
HASP(何)の調査。
2003 年 1 月 16 日 (木)
仕事のメモ
委員会(何)の会議へ、はちべえ(誰)と松(誰)との三人で乗り込む。まあ、そんなところでしょう(謎)。
若旦那(誰)のところへ納品。
通夜
夜、岩座神であっきゃん(誰)の通夜。
香典場の役が当った。
2003 年 1 月 17 日 (金)
葬式
朝8時から岩座神へ葬式の手伝いに行く。会社は年休。家族サービスのスキーはキャンセル。この辺(播州の田舎)では、葬式は近所の者が寄ってたかって執行することになっている。これは会社の仕事に優先する公的義務であるというのが常識。大きな顔をして休んでよろしい。
大きな部落だと死者の出た家の属する隣保だけが動くようだが、岩座神は小さい村なので部落全体が葬式にかかる。葬儀委員長は区長。昨夜の通夜で役割が発表された。男も女も、全員が何らかの役を割当てられる。
今回の僕の役割は香典場。香典の受付と記帳集計。三人のうちの一人。吹き晒しの玄関先での仕事なので、普段は穿かないパッチ(ズボン下)を穿いて、肩に使い捨てカイロを貼り付けて、礼服を着込んで、オーバーを羽織って、というフル装備で臨んだのだが、あいにく、いや、日頃の精進(何)のおかげで、非常に良い天気で暖かかった。しかし、慣れない作業で肩が凝った。ボールペンで字を書くなど、普段、ほとんどしていないもんな。
ビールや酒をかなり飲んだ。
家族サービスのスキー
おじいちゃん(義父)、おばちゃん(義姉)、かみさん、子供たちは、一日、スキー場で遊んだ。天気も良し、人出もまばら、雪の状態も良しで、たいそう楽しかったらしい。ただし、急遽、僕の代役を仰せつかったおじいちゃんは、くたくたに疲れたようだ。
2003 年 1 月 18 日 (土)
のどかな休日
坂本の叔父さんの顔写真を拡大する仕事。かみさん経由で、若い時の免許証を預っている。その免許証に貼られている写真が自分でも気に入っているので、葬式のときの写真として使いたいから、今のうちに引き伸ばしておいてくれ、とのこと。縁起でもない、とか、実は、あんまり思わない。喜んでくれるんなら、まあ、良いだろうと思って、引き受けることにした。しかし、病気をする前の若いハンサムな顔も悪くはないが、病気に打ち勝って明るく暮している現在の叔父さんの顔の方が良いと思うけど。
ブツの検分
届いたブツ(何)は、CD ではなく CD-ROM であった。カーステレオで聴こうとしたら、無音状態が延々と続いたので、これは何か違うと気が付いた。あらためて、パソコンにセットして、検分中。
2003 年 1 月 19 日 (日)
厄神さん
牧野の厄神さんのお祭り。銭投げ、っていう呼称でよいのか、厄払いのために参拝した人が、神殿でお祓いを受けた後、子供たちに小銭をばら撒く慣行がある。ガキども(敬称)が銘々に獲物を入れる袋をぶら下げて境内にたむろしている。うちの子供たちにも稼がせようと連れて行ったら、ちょうど、スーツ姿で参拝に来た○ちゃん(誰)に出会った。本厄なんだと。わあ、こっちこっち、とか怒鳴ったら、パラパラと投げてくれた。あ、もう終りですか、そんなんでは厄は落ちんぞ、こら、もっと投げろ。しかし、うちの会社の給料(以下略)。
結局、子供たちが拾ったのは、10円玉数個と1円玉数個。一日中居て、こまめに拾えば、そこそこの小遣になるのだろうけれど、ずっと居続けるのも退屈だし、子供たちも一回の経験で満足したようなので、露店の鯛焼を買って、お宮さんを後にした。
ボーリング
子供たちを初めてのボーリングに連れて行った。ガーターのガードを立ててもらい、なるべく軽いボールを選ぶ。しかし、子供連れの客が多くて、一番軽い4ポンドのボールは一つも残っておらず、5ポンドのボールを使わせることになった。少し重過ぎるようで、2度、レーンの途中でボールが止ってしまった。まだちょっと無理だったみたいだが、子供たちは楽しんだようだ。
ThinkPad 600E 起動せず
ThinkPad 600E が、とうとう、起動しなくなった。
かなり前から予兆は出ていた。朝一番など、マシンが冷たい状態のとき、起動の途中でハングアップすることが多くなっていたのだ。けれども、再起動を試みると、問題なく立ち上っていたので、そのまま使ってきた。そのうち、スタンバイ状態からの復帰のときにも、ハングアップするようになった。もうそろそろ逝くかもしれないと思っていたので、データのバックアップは万全だ。取り返しのつかない損失はない。買ってから3年半経過しており、EMS(拡張メンテナンスサービス)の期限も満了しているから、もう替え時だと言えば替え時だ。しかし、どうしよう。絶対にこれが欲しい、これが良い、というノートが見当らない。
2003 年 1 月 20 日 (月)
月例祭
会社を休んで、教会の月例祭に参拝。朝の準備の手伝いから、夕方の直会(なおらい)まで。
ThinkPad 600E 復活か
ThinkPad 600E のハードディスクは、当初は 10GB だったが、1年ほど前に換装して、今は 30GB になっている。10GB のやつは、変換アダプタ(2.5インチHDDを3.5インチHDDとして使用するためのもの)をかまして、かみさんのデスクトップにインストールし、データのバックアップ領域として使用している。
ものは試し、元のハードディスクに戻してみるか、と。
かみさんのデスクトップの 10GB から、バックアップ・データを移動する。ThinkPad から 30GB を抜き取って、10GB を装着。起動、する訳ない。そりゃそうだ。Windows 2000 をインストールしてみる。無事にインストール完了。起動も出来る。悪いのは ThinkPad でなくて、30GB か?
それでは、と、30GB をデスクトップに接続してみる。中身は読み書きできる。あ、出来ない個所もある。チェック・ディスクに掛ける。不良セクタもスキャンして回復。
もう一度、ものは試し、30GB を ThinkPad に戻す。起動した。
何かよく分らんが、復活したか?
2003 年 1 月 21 日 (火)
ThinkPad 600E 復活
朝一番の冷えた状態からでも、ThinkPad 600E は無事に起動した。復活したらしい。まだ信用は出来ない、と言うか、もう信用は出来ないが。
Windows XP の「簡易共有」に嵌る
納品したばかりの若旦那のところで障害が発生。話で聞くだけでは、何か、ネットワーク上の共有の設定がおかしいということだけしか分らない。行って、見てみる。共有フォルダに対する Everyone のアクセス権がフルコントロールになっていないのが障害の原因だった。しかし、これ、どうやって設定を変更するんだ。分らん。
分らないときは Web を検索、という事で、分りました。「簡易共有」を無効にすれば、Windows 2000 のように、アクセス権を自由に設定できる。
FAQ らしい。これでオーケー。
しかし、「Microsoft Windows XP Home Edition では、簡易共有を無効にすることはできません」、ですか。仕事には使うな、っちゅう事やね。
畦畔工事の説明会
夜、7時半から、岩座神で畦畔(けいはん)工事の説明会。畦畔ってのは、田圃(たんぼ)のアゼのこと。
2003 年 1 月 22 日 (水)
ネゴシエーション
午前中に一件、午後から一件、松(誰)と連れだって、ネゴシエーション(何)に出向く。吊し上げを食らったり(謎)、一緒に困り果てたり(謎)、どっと疲れた。
早々に対策を講じる必要を感じていた所へ、旦那さん(誰)から、どないなってまんねん、説明してえな、という電話。それはこうで、あれはそうです、じゃ、また、明日、という事で今日のところは勘弁しちゃる(違)。
Solaris 起動せず
好い加減、疲れたところへ、客からヘルプ・コール。先日、X???X がコピー機を引き揚げに来て、コンピュータの後ろの配線をさわった。それ以後、コンピュータが起動しなくなった、とのこと。
どうも、コピー機の SCSI インターフェイス・ユニットを撤去したときに、SCSI のデイジー・チェーンを修復せずに帰ったらしい。
予備のケーブルやターミネータを持って訪問。案の定、外付の光ディスクとハードディスクの間でデイジー・チェーンが切れたままになっている。インターフェイス・ユニットは X???X の所有物だから撤去するのは良いんだけど、何だろね、この仕事っぷりは、と、ぶつぶつ言いながら、ケーブルを繋ぐ。電源投入。起動しない。何やこれ? disk が bogus ? ディスクが偽物? 何で? えっ、コンピュータが動いている最中に、黙って入ってきて、何も言わずに、後ろの配線を外して機械を持って帰った? ほんまかいな。何という荒業。無茶するにも限度があるだろう。
Solaris をインストール用の CD-ROM から起動。どうにか fsck でディスクを修復することが出来て、事なきを得た。
しかし、X???X に何とかしてもらってくれ、と言って、放置して帰るのが筋だったか。まあ、良いけど(良くないか)。
Solaris 起動せず(2)
隣の国でも Solaris が起動しないらしい。先日来、電話であれこれ言ってくるのだが、もうひとつ要領を得なかった。今日、やっと、FAX で大体の事情がのみこめた。7年前に某社から買ったシステムが、ハードディスクの故障で起動しなくなった。販売元の某社からは、保守期間が切れているので面倒を見るつもりは更にない、と言われて、もう、製造元であるお前の所に頼むしかないのだ、とのこと。ハードディスクを交換して Solaris を再インストールするから、お前の所のソフトウェア(出来れば韓国語版)を送ってくれ、と言う。
7年前の SUN か。そら、故障もするだろう。この際、気前良くあきらめて、Windows 版に乗り変えるのが向うにとっても得策なのだが、と思う。それに、Solaris 版には簡単なインストーラが付属していないので、CD-ROM か何かでひょいひょいと入れると言う訳には行かない。そもそも、韓国語版は某社が作成したもので、うちには無い。お願いだから諦めて下さい、という感じなのだが、どうも、そういう気は無いらしい。
どうするかな。費用さえ出してくれるなら、出張して英語版をインストールしても良いのだけれど、7年前の SUN では、たとえ無事に稼動できるように出来たとしても、次に何かあったときに、面倒を見切れないだろう。どうしよう。
2003 年 1 月 23 日 (木)
仕事のメモ
旦那さん達(誰)に報告(何)。まあ、そんな所で(謎)。
先週の金曜日(葬式で休んだ日)にはちべえ(誰)が納品した最近の上得意さん(誰)の所へ、操作説明などの目的で訪問。
韓国から、早く返事をくれ、との催促。いや、もう、たった今、FAXで返事します、と、まるで蕎麦屋の出前である。
そんな所に、名古屋方面から電話。前任者(誰)のプログラムに障害が出た。泣きそう。
2003 年 1 月 24 日 (金)
PostScript カラー・レーザー・プリンタ
X???X の代理店(どこ)のおっさん(敬称)から PostScript カラー・レーザー・プリンタをせしめる。2年前に X???X が販促用に只で置いて行った半端な型落ち商品が倉庫に眠っているのを知っていたので、くれ、と言ったら、10万円、いや、8万円でもいいから、買ってくれ、と言われた。ああ、そんなら、と、一昨日の経緯を説明して、相殺を主張する。いやあ、それは、と、納得しなかったようだが、まあ、何でもよろしい、今日のところは取敢えず貰って帰ります、と言って、ボス(渾名)と二人で車に積みこんで帰る。いやいや、心配しなくても、要らなくなったら返しますがな。
どこと言って取柄の無い、図体のでかい、速度の遅いカラー・レーザー・プリンタだが、PostScript 対応のネットワーク・プリンタというのだけは値打だ。何に使うかと言うと、SUN からの出力に使う。名古屋方面で出たバグ退治のために、出力機が必要になったのだ。
さて、バグですが、何が何やら、さっぱり分らん。
2003 年 1 月 25 日 (土)
出勤日
土曜だが、出勤日。
ほぼ、丸一日、ゼミ(何)の宿題(何)を片付けるための会議。いつものように、問題はあそこ(どこ)に帰結するのだが、それ(どれ)は与件であって、ある意味、どうにも解決できない部分が残るわけだ。
お昼は花屋敷(どこ)で、かみさんと子供たちと一緒に食事。
支援費制度、ホームヘルプサービス上限設定
政治は苦手だ。
支援費制度とか、ホームヘルプサービス上限設定とか、実のところ、私には何の事やら分らなかった。知らなかったのである。あれこれ読んでみた結果では、以下に引用する『新潟日報』の1月19日(日)の社説が比較的理解しやすかった。
障害者の支援費 福祉サービス後退は許せない
『新潟日報』2003年1月19日(日)社説
四月から始まる障害者福祉の「支援費制度」をめぐり、障害者団体と厚生労働省の議論が紛糾している。
厚労省がこれまでの方針を突然転換し、ホームヘルプサービスの利用時間に実質的な上限を設けることを明らかにしたためだ。
障害者団体は「ホームヘルパーの利用が制限されたのでは、地域での自立生活は困難になる。何のための支援費制度か」と反発し、先週は連日、車いすの障害者や支援者が厚労省を訪れて抗議と交渉を重ねた。
障害者が怒るのはもっともだ。厚労省は一貫して「サービス利用に上限は設けない」と障害者に説明してきた。県や市町村に対しても「上限を設けないように」と指導していたはずだ。
制度開始を間近に控えての方針転換は関係者を欺くに等しい。支援費制度の理念を損ない、障害者福祉を後退させるものだといっていい。
障害者の福祉サービスに関して、行政がサービス内容や事業者を決めていた「措置制度」は三月末で廃止される。代わって支援費制度に移行する。
利用する障害者自身が、受けたいサービスや事業者を選んで、自分の人生を切り開いていけるようにするというのが支援費制度の理念だ。
介護保険と同じように「利用者本位」の制度に改め、事業者間の競争を促す狙いがある。
ホームヘルプの上限設定が明らかになったのは年が明けて間もなくのことだ。当初、厚労省は否定していたが、障害者団体の追及を受けて認めた。
関係者によると、厚労省は一案として(1)身体障害者の日常生活支援で月上限百二十時間(2)重度の知的障害者で月上限五十時間(3)中・軽度の知的障害者で月上限三十時間―を挙げて検討している。
厚労省は「国庫補助事業なので、上限設定は市町村に補助金を公平に交付するための基準にすぎない。障害者一人ひとりの利用を制限するものではない」と説明する。
これに対し、障害者団体は「支援費制度の実施が補助金に大きく依存する以上、厚労省の交付基準は市町村への圧力となり、利用時間を制限することにつながる」と反対し、撤回を求めている。
障害者の不安は的外れではない。厚労省は、障害者団体に追及されて「国の補助金によるヘルパー制度は四時間までで、それ以上のサービスは市町村の責任でやってほしいということだ」との考えを明らかにしている。
身障者で月上限百二十時間というと、一日にならして四時間だ。これでは重い障害のある人はいままで受けていたサービスを削られることになり、命にかかわる。
政府は昨年末、四月から十年間の障害者施策の方向を示す「新障害者基本計画」と、前期五年間の重点事項を定めた「新障害者プラン」を発表した。
その中で、入所施設整備に偏っていた施策を転換し、地域での生活支援を重視する方針を打ち出した。
支援費制度は、地域で暮らしたいと望む障害者を助ける大きな力になると期待が集まっていた。
なかでもホームヘルプサービスは、地域生活を支える柱だ。それが十分に利用できないとなれば、障害者は再び、施設か親元へ帰るしかない。
障害があっても、成人したら地域でアパートなどを借りて自立生活を送りたい。十六日にはそうした生き方を築き上げてきた全国各地の障害者ら約千人が厚労省に詰め掛けた。
支援費制度への移行も、「施設から地域へ」を掲げた新障害者計画やプランも、結局は障害者施策を縮小・後退させるだけではないのか。
危機感を抱いた障害者団体は団結し、二十日から再度厚労省と交渉する。支援費制度のスタートを目前にした国の姿勢後退は、あまりにも寒々しく、とても容認できるものではない。
http://www.niigata-nippo.co.jp/column/index.asp(「社説 日付検索」)
財政逼迫の折から仕方が無い、と、あなた(誰)は思うだろうか。
しかし、『毎日新聞』の1月23日の社説によれば、ホームヘルプサービスの来年度の国庫補助金278億円は、高速道路5km弱の建設費に過ぎないそうだ。
という次第で、私は、抗議のメールを厚生労働省、厚生労働大臣、首相官邸に送付した。
-
厚生労働省(メール送信フォーム)http://www.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html
-
坂口力 厚生労働大臣 g02158@shugiin.go.jp
-
首相官邸(メール送信フォーム) http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
以下は関連するリンク。
-
まれびと / Village idiot - 日々是ゴム消し 2003.1.23, 1.24 http://www.geocities.jp/marebit/
-
「ホームヘルプサービスに上限?」 緊急抗議行動・2003.01 http://www.arsvi.com/index.htm#z
2003 年 1 月 26 日 (日)
蕎麦打ち大会
岩座神で、蕎麦打ち大会。
いつものように、アマチュア蕎麦打ち名人の二人が講師。どうも、「蕎麦打ち道」みたいなものがあるようで、二人とも二段の試験に合格した、と言っておられた。三段がアマチュアでは一番上の階級だそうなので、名人と呼んでも良いはずだ。惚れ惚れするような綺麗な蕎麦が打ちあがるのをうっとりと眺める。あれを食いてえ、と思うと、自分で打つ気が一気に萎えた。
午前中、棚田オーナーからの参加者はいつもよりかなり少なかった。
午後、杉原谷小学校の親子ふれあい教室の一行が大挙して参加。大賑わい。しかし、葬式の精進家の手伝いのように、男衆には何とも手持ち無沙汰な長い一日であった。外で焚火の番をする以外に、これといって仕事が無いのだ。
子供たちは朝から夕方までおばあちゃんの家で過し、蕎麦打ち大会の会場にもそれぞれ単独で歩いてやってきた。二人とも、一人で歩き回れる範囲が相当に広くなってきた。
澤先生のゼミ
蕎麦打ち大会終了後に、澤先生の景観形成村作りゼミ。フォト・コンテスト、ガイド・マップ、案内標識の話。とりあえず、案内標識から着手する。
2003 年 1 月 27 日 (月)
仕事のメモ
午前中に一件、午後から一件、松(誰)と連れだって、ネゴシエーション(何)に出向く。その間に、旦那さん達(誰)がもめているというので、ボス(非渾名)がそっちへ行く。行ったのは良いが、旦那さん(誰)との話を途中で切り上げて、後はお前等に任せた、と言ったまま、帰ってこない(謎)。仕方が無いので、ちいボス(誰)と善後策を協議して、明日の会合の準備をする。
合間を縫って、(1) 停電後に起動しなくなった名古屋方面の SUN ワークステーションを遠隔操作(電話)で起動させる(キーボード上の電源ボタンを押してもらう)、(2) 何もしないのに消えてしまったという数十個のファイルを復活させる(フォルダごと別のフォルダに移動していたのを元の場所に戻す)、(3) 名古屋方面(別口)の障害を確認して回避策を伝える、(4) 中国語のテキスト・ファイルを開いてみる、(5) 今頃までどこにおるんじゃ、というかみさんの質問に答える、といった用事を片付ける。バタバタとして、落ちつかない一日。ああしんど。
訪問セールスマンの暴言
昨日、かみさんが玄関先で車の掃除をしていたら、パンフレットを片手にリフォーム会社か何かのセールスマンが近寄ってきて、「○ー○ーハウジングと申しますが」と声を掛けてきたそうだ。ええい、鬱陶しいと思って、無愛想な顔で、断ち切るように「要りません」と返事をしたら、「ブス」と言われた。一瞬、何を言われたのか理解できず、「あんたに言われとうないわ、このブオトコ」と言い返そうとした時には、セールスマンは立ち去っていた、とのことである。今になって、思い出すと腹が立って仕方が無い、日記に書いて、無礼なセールスマンに仕返しをしてくれ、と言う。
これで仕返しになるのかどうか、ちょっとした恥の上塗という感じもするが、まあ、こういうこともあった、という事で書いておく。
これに関連して思い出すのは、会社に架って来る「○○さまぁ、わたくしスガワラ(一例)と申しますがぁ、このたびぃ、わたくしどもの会社がぁ、、、」という早口で上滑りな声の電話だ。たいていは事務所の受付が追い返してくれるのだが、たまに、ブロックを掻い潜ってこちらまで来てしまうことがある。えい、くそ、五月蝿い、と思って、喧嘩腰の応対をして電話を切ると、これが非常に後味が悪くて、しばらくの間、仕事に身が入らなくなったりする。こっちは悪くない、あっちの所為だ、と思ってもダメだ。
腹を立てずに、丁寧に、親切に、しかし、相手に長々と話す時間を与えず、きっぱりと断って、さっさと回線を切る、というのがベストだと思うのだが、これがなかなか難しい。何か、良い手は無いものか。
2003 年 1 月 28 日 (火)
仕事のメモ
始業1時間前に集合して対応を確認した上で、4人で会合に臨む。何とか丸く収まった模様。やれやれ。
前任者のプログラムにあった印刷の障害を修正。やれやれ。
支援費制度、ホームヘルプサービス上限設定 - 合意
支援費制度、ホームヘルプサービス上限設定の問題(1月25日)をめぐって、障害者団体と厚生労働省との交渉が続いていたが、27日に合意に達したようだ。
DPI(障害者インターナショナル)日本会議 > 支援費制度 ホームヘルプサービス上限撤廃 !
2003 年 1 月 29 日 (水)
中国語の勉強
ちんぷんかんぷん。
鄭さん(誰)が翻訳した *.rc は、そのままでは Visual Studio にロード出来なかった。プログラマじゃないんだから、当然といえば当然だ。ちょこちょこっと手を入れる必要がある。
しかし、そもそも、どういうエディタでどうやって開けば良いのか、それすら分らない。最初、エディタは xyzzy で良いと思った。ファイルを開くときにいろんな文字コードを指定できるからね。で、文字コードは GB2312 って奴だろうと見当が付いた。おお、それらしい文字が出てきました。Simplified Chinese っちゅう奴やね。しかし、何か、コピー・アンド・ペーストをすると文字が勝手に変ってしまう。挙動不審。これは具合が悪い。安心して使えない。
(今わかったのだが、クリップボード・エンコーディングの設定が違っていただけ、という事らしい。xyzzy で良かったのだ)
あれこれ、いろんなエディタを試して、長らく倉庫の肥しにしていた秀丸まで引張り出してきた。試しに最新版にアップデートしたら、中国語や韓国語を扱うことが出来るようになっていた。あ、これこれ、これでよろしい。
ダイアログのフォントは何がよろしいんですか。判らん。適当に PMingLiU にしておく。
ええっと、で、リソースだけの DLL ってのは、どうやって作るんだったかな。忘れてしまった。忘れたときのウェブ検索で、「リソースのみのDLLを作成する」というページを見つける。要は、Win32 Dynamic Link Library のプロジェクトを作って、リンクのオプションに /NOENTRY を追加すればよい。
しかし、Visual Studio でも、ちょっと文字化けしますな。まあ、よろしい。何とかなる、だろう(本当か)。ビルドする。
とりあえず、ビルドした中国語版 DLL をプログラムに読込ませてみる。同じように、ちょっと文字化けする。
実行時の環境で検証しなくてはならないのか。さあ、どうしましょう。Windows 2000 のコントロール・パネルの「地域のオプション」で何とか賄うことが出来るのかしら。「規定値に設定」というボタンから、システム・ロケールを「中国語(中国)」に設定してみる。再起動、と。ん? 何も変らん。いや、何かちょっと変だ。xyzzy のメニューが文字化けしている。しかし、当社のプログラムはそれらしい中国語の UI を表示した。文字も化けていない。立派なもんだ(当社比)。良いでしょう。
という次第で、どうにか、作業を進める目途が立った。
開発作業に支障をきたすので、「地域のオプション」は元に戻す。検証用に別のマシンを用意したほうが良い。Windows そのものの UI まで中国語にするには、中国語版か、英語版 + Multilingual User Interface Pack というのでないと無理なんだな。
Windows 2000 MUI
MUI for Windows XP & Office XP
寒い
大雪を期待して定時に帰る。
2003 年 1 月 30 日 (木)
中国語の勉強(続き)
期待に反して、雪は積らなかった。出社するしかあるまい。
一日中、昨日の続きで、黙々と中国語の勉強(違)。
翻訳の妥当性は判断できない。ダイアログのレイアウトを調整するだけ。
小物(何)は全部片付けたが、メインのプログラムが手付かずで残っている。これが群を抜いて大きい。あと二日ぐらいかかるだろう。
2003 年 1 月 31 日 (金)
Windows XP Professional 英語版 + Multilingual User Interface Pack
他国語版の検証用にマシンを一台用意する。と言っても、余っているマシンは無いので、ThinkPad のハードディスクを差換えて使うことにする。換装前の 10GB のが余っているからね。
Windows XP Professional 英語版 + Multilingual User Interface Pack の導入。英語、簡体中国語、繁体中国語、日本語、韓国語、ドイツ語、フランス語、イタリア語。これだけを入れるだけで、4GB 以上を消費した。
丸一日つぶれた。
閲覽モードとパスワードの詳細については、閲覽モードとパスワードについて をご覧下さい。