樂しい日記 2003年3月
2003 年 3 月 1 日 (土)
ゼミと会議と打合せ
出勤の土曜日。ゼミ(何)と会議(何)と打合せ(何)。疲れた。
中途半端版(何)用のノートのセットアップ
中途半端版(何)の稼働環境である Endeavor NT2000 というノートを自宅に持って帰って、セットアップの続きをやる。
以下、ここまで、悩んだ事の備忘録。
日本語キーボードで英語版 Windows を使う
日本製のノートに英語版 Windows XP を導入したため、そのままでは、キーボードのレイアウトが異なって、使い辛かった。デフォルトでは、キーボード・ドライバが "101/102 英語キーボードまたは Microsoft Natural PS/S キーボード" になるのである。これを "日本語 PS/2 キーボード(106/109 キー)" に変更する必要があった。
デバイス・マネージャからキーボードのドライバの更新を実行する。そうすると、「ハードウェアの更新ウィザード」が立ち上る。
「ソフトウェアを自動的にインストールする」では駄目で、「一覧または特定の場所からインストールする」を選ぶ。
次へ進んで、「次の場所で最適のドライバを検索する」ではなく、「検索しないで、インストールするドライバを選択する」を選ぶ。
次へ進んで、「互換性のあるハードウェアを表示」のチェック・マークを解除する。「標準キーボード」の中に "日本語 PS/2 キーボード(106/109 キー)" がある。これを選んで次へ進む。
「このデバイス・ドライバは互換性を確認できなかったから、インストールしないことをお勧めする」とか言われるが、強行突破する。
更に、「このドライバは PS/2 マウス ポート ドライバも上書きするぞ」とか言われるが、これも構わずに進む。
とどめに、「Windows を再起動しないと駄目だ」と言われる。もう、うるさいったらありゃしないが、まあ、これは止むを得ない。ということで再起動する。
以上で、キーボードの問題は解決。
Windows XP Professional 英語版 + Multilingual User Interface Pack
Windows XP Professional 英語版に多言語ユーザー・インターフェイス(Multilingual User Interface 略して MUI)パックを導入する。デフォルトの英語の他に、日本語、簡体中国語、繁体中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、イタリア語を入れる。まだ他にもあるけれど、使う可能性が少しでもあるものと言えば、これぐらいだろう。
Windows 2000 MUI
MUI for Windows XP & Office XP
Windows XP 地域と言語のオプション
MUI パックを導入した Windows XP Professional の「コントロール・パネル」の「地域と言語のオプション」は次のようになる。
地域と言語のオプション - 地域オプション
最初は、「地域オプション」のタブ。
通貨や時刻の表示形式と、現在地を選ぶ。このタブは、MUI を導入していない場合と同じ内容である。
このタブの項目は、変更して適用すると、その場で有効になる。
地域と言語のオプション - 言語
次に、「言語」のタブ。
「テキスト サービスと入力言語」の「詳細」ボタンを押すと、デフォルトのテキスト入力方式(IME)を変更する事が出来る。
インストール済みの入力方式の変更も、その場で有効になる。
図で赤線で囲んだ項目、すなわち、「メニューとダイアログで使われる言語」の項目が、MUI 導入によって追加されている。MUI 導入によって変化するのはここだけである。
「メニューとダイアログで使われる言語」というのは、正確に言うと、「Windows 自体が表示の面倒を見ている種々のメニューやダイアログで使用する言語」である。これは、個々のアプリケーションが自前で表示しているものには影響を及ぼさない。ただし、「ファイルを開く」や「印刷の設定」の一般的な機能を提供するダイアログや、「○○への変更を保存しますか? [はい]、[いいえ]、[キャンセル]( の中から選んでちょーだい)」などというような確認や質問のダイアログは、たいてい、大いに影響を受ける事になる。これらは、アプリケーションが Windows に表示を依頼している場合がほとんどであるからだ。
メニューとダイアログで使われる言語の変更は、いったんログオフして、再度ログインすると有効になる。
地域と言語のオプション - 詳細設定
最後に、「詳細設定」のタブ。
「Unicode 対応でないプログラムの言語」を選ぶ。何か、回りくどい言い方をしているような気もする。「Windows が普通に文字を処理する場合に使う既定の文字コード」を選ぶ。そうと言うと端折り過ぎかもしれないが、ほとんどのアプリケーションが Unicode に対応していない現状では、実質的にはそんな感じだ。
ここでの選択が、アプリケーションが自前で表示しているメニューやダイアログなどの文字に影響を与える。プログラムが前提としている文字コードと Windows が前提としている既定の文字コードが一致していないと、文字が正常に表示されない。例えば、日本語 ShiftJIS を前提として作られた日本製のプログラムは、簡体字中国語 GB2312 を既定の文字コードとする中国語版 Windows で走らせると、文字化けを生じて、中国人にも日本人にも読めないものになる。
Unicode に対応したプログラムなら、この既定の文字コードは表示に影響を与えない。日本語版のプログラムを中国語版 Windows で走らせても、日本語の文字が正常に表示される。(そのプログラムが中国語のユーザー・インターフェイスを提供するかどうかは、また、別個の問題。)
この「Unicode 対応でないプログラムの言語」を変更する機能は、MUI パックの導入如何にかかわらず、Windows XP および 2000 において提供されている。
変更後、Windows の再起動が必要になる。
コマンド・プロンプトやバッチ・ファイルから .reg ファイルでレジストリを操作する
アプリケーションのユーザー・インターフェイス言語を切替える際に、バッチ・ファイルでレジストリをさわりたかった。
Windows XP に限れば、reg.exe という便利なユーティリティーがある。これを使うと、コマンド・プロンプトやバッチ・ファイルから、ほぼ好き放題に、レジストリを操作する事が出来る。使い方は、コマンド・プロンプトで "reg /?" とやれば分る。
しかし、reg.exe は通常は Windows 2000 では使えない。一般的には、regedit.exe または regedt32.exe を使って、あらかじめ書いておいたレジストリ登録ファイル(*.reg)をレジストリにインポートするというのが普通だろう。この方法の場合、キーや値の登録は良いとして、削除はどうするのか。regedit.exe や regedt32.exe のコマンド・オプションを探しても適当なものは見つからず、ハタと困っていた。
いろいろ探した結果、以下のような書式でレジストリ登録ファイルを書けば、キーや値を削除することが出来ることを発見した。
キーとそのサブ・キーおよび値をまとめて削除する
キーの先頭に"-"(マイナス)を付ける。
[-HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Softark\Foo]
値を削除する
値のデータとして"-"(マイナス)を与える。
[HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Softark\Bar]
hoge=-
コメントを挿入する(おまけ)
行頭を";"(セミコロン)で始める。
; HKLM\SOFTWARE\Softark\Foo 以下をまとめて削除
[-HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Softark\Foo]
; HKLM\SOFTWARE\Softark\Bar 配下の値 "hoge" を削除
[HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Softark\Bar]
hoge=-
確認メッセージを出さずに .reg ファイルをインポートする
regedit.exe の /S(サイレント) スイッチを使う。
regedit /s hogehoge.reg
情報源
How do I delete a key and all its values from a .reg file?
How do I delete a value from a .reg file?
How do I place comments in a .reg file?
How do I apply a .reg file without the success message?
2003 年 3 月 2 日 (日)
のどかな休日
宿題を抱えている。
というような時に限って、他の事をやりたくなる。で、期限が迫ってきてから、うんうん唸る。
教会の御霊祭(みたまさい)。もう終っているだろうと思って行って見たら、ちょうど直会(なおらい)が始った直後だった。いや、そういう訳ではないのだけれど。連れて行った悠助は、一人で本を読んだりして、大人しく遊んでいる。少しだけ食事をいただいて、岩座神経由で帰る。
さ、では、宿題にとりかかろうか。
2003 年 3 月 3 日 (月)
仕事のメモ
ボス(非渾名)と一緒に、旦那さん(誰)と会合。
何か、ばたばた。
2003 年 3 月 4 日 (火)
東京 : 青山、恵比寿
はちべえ(誰)と青山へ出向いてデモ。好評。
恵比寿で松(誰)と合流。出し物(何)のセットアップ。データベースをいじっている最中にいきなり電源を切られて眼が点になる。まあ、問題は生じなかったから、良しとしよう。旦那さん(誰)にデモを見せる。「それから?」「いや、これだけ」。お互いに「うーん」と唸りたい気分。
電話で柳(誰)とあれこれ相談。
松(誰)はトンボ帰り。はちべえ(誰)と板橋のホテルにチェックイン。板橋には本当に何も無い、が、それでも、トン串で酒を飲む。
2003 年 3 月 4 日 (水)
東京 : 恵比寿初日
恵比寿初日。10:00に開場。ボス(非渾名)が合流。
叔父に会う。
渋谷の兄ちゃんたち、両国の姉ちゃんたちに会う。
舞台裏で喧喧諤諤の議論。
今日も電話で柳(誰)とあれこれ相談。
18:00に終了。さあ、ホテルに帰って今夜もトン串で、と思っていたら、大番頭さん(誰)に捕まってしまった。ありゃ、とか思ったけれど、しっかりと御馳走になってしまった。ホテルに帰ってばたんきゅう。
2003 年 3 月 6 日 (木)
東京 : 恵比寿二日目
恵比寿二日目。だるだる。はちべえは浅草橋、両国へ逃走。僕も渋谷あたりへとんずらしたい、と思っていたら、原宿方面から姉ちゃんたち(敬称)が訪ねてきてくれた。よし(何が)。
16:00をもって終了、撤収。羽田で飯を食って、17:30の飛行機で帰る。
雨。
2003 年 3 月 7 日 (金)
仕事のメモ
午前中は、開発会議。
石垣島からファックスが届く。旦那さんたちの所からもファックスが届く。松(誰)と打合せ。柳(誰)と打合せ。ボス(非渾名)と打合せ。はちべえ(誰)と電話で連絡。ばたばた。
2003 年 3 月 8 日 (土)
のどかな週末
靴のヒラキで子供たちの靴を買う。啓作はアバレンジャー(何)、悠助はピカチュー(何)。いつもの本屋で、ビデオの借り替え。ねだられて、本を買ってやる。啓作は迷路の問題集、悠助はおばけの本。長太郎で昼食。啓作はわかめうどん、悠助はきつねうどん、かみさんは牛筋うどん、僕は肉うどん。
家に帰って、他の三人は昼寝。僕は昭太郎さんのところで散髪をしてもらいながらうたた寝。
夜、畑中さんのうちで宅祭。
2003 年 3 月 9 日 (日)
のどかな休日
今日に予定されていた岩座神の山作業は雪のために延期された。やれやれ。
悠助が昨日から熱を出している。どうも、インフルエンザらしい。休日救急センターへ連れて行く。ここではインフルエンザの検査は出来ないから、明日にでも、医療機関で診察してもらってくれ、と言われた。
夕方、梅田さんの家のお通夜。
夜、岩座神でむらづくり委員会。岩座神の入口に立てる看板や、カレンダー、マップの話。
そのあと、AD君(誰)による補助金応募(何)の説明。
2003 年 3 月 10 日 (月)
仕事のメモ
午前中、大阪は本町で、デモ。マック・ユーザー。さあ、どうだろう。
会社に帰って、金曜日の準備。
はちべえ(誰)が一件受注。
インフルエンザと月例祭
梅田さんの家の葬式。かみさんが参列。
子供たちとかみさん、そろってインフルエンザとの診断を受けた。
かみさんにとっては、辛い日々の始りである。
夜、岩座神布教所の月例祭。みぞれが降って寒い。
2003 年 3 月 11 日 (火)
EPSON PX-7000
EPSON の大判インクジェット・プリンタ PX-7000 がやってきた。ボス(渾名)と二人で開梱して設置する。第一に設置場所が問題。動作音は非常に静か。印字速度は予想以上に速い。ただし、パラレルでなく、USB 2.0 で接続した場合。ネットワーク・カードを付けようかと思ったが、プリンタ・ドライバが CPU time とメモリをかなり食うので、パソコンを一台 PX-7000 専用のプリント・サーバーとして立てる方が良いようだ。PostScript サーバーである必要は、うちの場合は、無い。しかし、そこそこのメモリとそこそこ CPU が必要だろう。とりあえず、チャイナ・ノート(何)をあてがう。
A1ノビの出力、良いですな。「大きい事はいい事だ」というキャッチフレーズが昔あった。森永エール・チョコレート。山本直純。どうでも良いけど。
ボス(非渾名)のリクエストに応えて、60 cm x 180 cm のバナー印刷を試みる。Word は使えなかった。そんな大きなサイズは知りません、と言われる。Illustrator は挑戦を受けてくれたが、印刷でスカタンする。Windows 版の Illustrator ってのは、品質がいまいちなんだろうか。仕方なく、ラスタライズして、ボス(渾名)のプログラムに読込ませて印刷する。おお、出来るやんけ。
はちべえ(誰)のためにあちこちにファックスを送信(謎)。
メモ
子供たちが一日中家にいるために、かみさんが眉間に縦皺を浮べている。微熱がある割には、みんな元気である。いっそ、騒々しいぐらい。
寝る前に『いやいやえん』を一章読む。
2003 年 3 月 12 日 (水)
仕事のメモ
ミスった、PX-7000 でなくて、もうひとつ上の PX-9000 にすべきであった、と、後悔する。が、じっくりと交渉して調べた結果、これで良かったことが判明した。やれやれ。いや、どういう事かというと、平均的な反物の幅は 112 cm から 114 cm ある、という事だ。わかるかなー、わかんねーだろーなー。と、これは、なんたらチトセだったかな。どうでも良いけど。
メモ
子供たちは今日も保育園はお休み。
寝かしつける前に、今日も、『いやいやえん』を一章読む。
2003 年 3 月 13 日 (木)
仕事のメモ
明日のリハーサル(何)。丸一日、すったもんだする。どうも、しっくり来ない。と言うか、そもそも、決定的にネタ不足で、最初から苦しいのが目に見えている。スライドを最後に2枚追加して、おまけに、松(誰)のプログラムを見せる事にしたら、何とか格好が付いた。いや、付いたような気がした、と言うべきか。
合間を縫って、石垣島から電話攻撃(違)。
柳(誰)とボス(渾名)の方は、なんか、楽しそうにやっている。
メモ
かみさんが仕事がいっぱいあったため、子供たちは、今日は、岩座神託児所(違)で昼間を過した。熱は退いたようで、二人とも「治癒証明書」をもらい、明日から保育所に通うらしい。
悠助の指に刺った竹のささくれを取るのに大騒動。かみさんが針でほじくり出そうとするのだが、「こわいー」と泣いて逃げ回る。捕まえて抑えつけると、狂ったように泣き叫ぶ。
僕は、無理にやってもあかん、明日、矢持っつぁん(お医者)に連れて行ったら良えやん、と言う。しかし、かみさんは、いつものように諦めが悪く、しつこく悠助に迫るのである。今やったら、十かぞえる間に取ってあげる。今日ほっておいて、明日になったら、ずうぅぅぅっと中の方に入ってしまうで。そしたら、お医者さんに包丁で切って貰わんと、取れんようになってしまう。さあ、どっちが良いの。今取ろか、それとも、明日、お医者さんに行くか。今のうちに取った方が楽やで、とか、何とか、脅しながら選択を迫る。結局、悠助は「今取る方がいいー」と泣きながら言った。
で、めでたく、ささくれは取れました。やれやれ。
かずじい(誰)から、パソコンについて、なにやら面妖な症状を訴えるメール。ウィルスかな、と、ちらりと思う。情報が少なすぎて、判断できない。
2003 年 3 月 14 日 (金)
仕事のメモ
午前中に舞台道具を運び込んで準備。13:15開場、13:30開演。パワーポイントを使っての説明と、プログラムの実演。14:30終演。最初と最後の挨拶を除いて、主要なところ45分間ぐらいを、ほとんど独演会に近い形でやり通した。良く出来た、と思った。文句の多いボス(非渾名)を含めて、複数の関係者から良かったと言ってもらえたので、実際に良かったのだと思う。
別の階では、柳(誰)たちが、もうひとつの発表会。
夕方、石垣島と電話でやりとりしながら、pcAnywhere での接続をセットアップ。遅い回線(ISDN)だけど、無いのに較べれば、天と地の隔たり。
早々に帰宅。
2003 年 3 月 15 日 (土)
のどかな週末
子供たちと「ババ抜き」「七並べ」をする。普通のサイズのトランプ・カードは、まだ、彼らの手には大きすぎるようだ。
子供たちとビデオで『クレヨンしんちゃん モーレツ嵐を呼ぶ!オトナ帝国の逆襲』を観る。子供たちも僕も、クレヨンしんちゃんは大好きなのである。この作品も面白いのだが、子供向けではない部分が少し多いようで、悠助が「長いー、長すぎるー」と二度ぐらい怒った。僕はあぶなく涙をこぼしそうになった。
かみさんは、いかなごを煮て、美容院へ行く。
夕食は岩座神。東京の叔父が送ってくれた豚肉をよばれる。
2003 年 3 月 16 日 (日)
春の宮普請
岩座神で春の宮普請。先週の日曜日に予定されていたが、雪で延期された。二手に分れて、一隊はお宮さんの上の森から看板(何)用の間伐材を搬出する作業、もう一隊は中山(どこ)の間伐作業。朝の8時から夕方の3時過ぎまで。へとへと。口も利きたくない程に。
来年度の棚田オーナーの選考会が昨日あったのだが、何と、20組の予定が15組しか応募が無かったとのこと。PR活動をして、欠員を埋める努力をしてみてくれ、との依頼を受ける。さあ、どうだろう。
2003 年 3 月 17 日 (月)
仕事のメモ
昨日の疲れがそのまま出て、定例のミーティングで居眠りをこく勢い。
入力テスト・ツール(何)の説明会(何)。
メモ
コロのおいちゃん(誰)から、看板(何)の文字を切り出すための下書きを作ってくれ、との依頼があった。
かみさんの仕事の手伝いを少し。
2003 年 3 月 18 日 (火)
仕事のメモ
石垣島から電話。好感触だった、とのこと(何が)。
入力テスト・ツール(何)に事寄せて、別の物のセールスを試みる。忙しそうだから、あんまり期待できないか。
メモ
コロのおいちゃん(誰)から、矢のような催促。そんなに急ぐのか。
2003 年 3 月 19 日 (水)
仕事のメモ
うんうん唸りながら、石垣島用の文書(何)を書き上げる。
ちょいちょいと触って、英語のスキンを作成する。これ(どれ)は一件落着。
メモ
目鼻口だと?(謎)
2003 年 3 月 20 日 (木)
教会の月例祭
教会の月例祭。年休を取って、朝から教会へ行く。
笹原さんが言うところの「食えない奴」である笹倉先生の講話。
メモ
ヘルメットがニット帽に見えるだと?(謎)
2003 年 3 月 21 日 (金) 春分の日
メモ
だから、限られたドット数で、そんな細かい絵が描ける訳がないでしょうが!?(謎)
彼岸
岩座神に子供たちを連れて行ったら、母(おばあちゃん)が留守にしている。お寺へ行って見たら、彼岸の供養でほとんど村中みんなが参拝していた。
子供たちは、賽銭を投げ入れてしまうと、お寺の近くを探検しようと言う。仕方なく、というか、これさいわいとばかり、子供たちの後を追って、退屈な大人たちの群を離れて散歩する。良い天気。
お寺に戻って、子供たちはお菓子をせしめて、非常にご機嫌であった。
看板作り
岩座神の入口に立てる大きな看板の作成。村の役員たちと有志がコロのおいちゃん(誰)の木工場にあつまって作業。朝から仕事にかかっていたが、僕は午後から参加。看板の文字は、僕が印刷したのを元にして、翁(誰)の工房で糸鋸で板から切り抜いて作られた。今日は、看板を仮に立てるのが精一杯。文字を看板に貼り付けるまでには至らなかった。
すっかり夜になってしまった。
2003 年 3 月 22 日 (土)
のどかな休日
子供たちを連れて、ジャスコで買い物。子供たちに、自分の貯金(疑問)で玩具を買わせて、残高(何)をゼロにさせる(謎)。
ぼーっと過していたら、教会の役員会をすっかり忘れてしまっっていた。
2003 年 3 月 23 日 (日)
看板作り(続き)
朝から、岩座神で看板作り。くたくた。
2003 年 3 月 24 日 (月)
仕事のメモ
作文(何)。打ち合せ(何)。打ち合せ(何)。
AD君から、セキュリティー・ホール(何)の報告。大慌てで(以下略)。
2003 年 3 月 25 日 (火)
仕事のメモ
『○○の歩み』というのを書いて、AD君に渡す。
うーむ、Oracle なんぞ止めて、MySQL にしようか(謎)。
2003 年 3 月 26 日 (水)
仕事のメモ
ボス(非渾名)、松(誰)と一緒に、旦那さんたち(誰)との会合に出向く。まあ、そんな(どんな)線か。
柳(誰)、AD君、ボス(渾名)と、明日の打ち合わせ。まあ、そんな(どんな)線か。
役場から二人(誰)、来訪。AD君と対応。
プログラムに少し手を入れる。
2003 年 3 月 27 日 (木)
現地調査
午後、現地調査(何)。大過なく終了。しかし、疲れた。
メモ
大阪から、ゆうま君とおばあちゃんが来訪。
2003 年 3 月 28 日 (金)
納品
○○繊維に納品。fiery scan の設定って、どうやるんだったっけ? ああ、思い出した。ノープロブレム。
上げカード
「上げカード」の謎を解きに八千代町へ行く。これは製織そのものではなく、その準備段階で、経糸を通すときに使うものだった。理屈は単純だ。それさえ判ってしまえば、どうにでも出来る。プログラムでの対応も簡単に出来ると思うが、とりあえず、急ぎの案件があるそうなので、手作業で「上げカード」を作る方法をYH君に教える。
メモ
ゆうま君とおばあちゃん、滞在二日目。子供たちは嬉しそうに遊んでいる。
2003 年 3 月 30 日 (日)
お好み焼き作り
大教会(どこ)で少年会総会(何)。うちの教会は、いつものように、お好み焼きの模擬店を出す。
下痢が治らない悠助を家に残して、啓作を連れて行く。一人では気勢が上がらないようで、一通り模擬店を回って、悠助の分を含めて二人分の綿菓子やポップコーンを手に入れると、「帰りたい」と言う。おばちゃん(義姉)に迎えに来てもらう。
お好み焼きを作るのは、若い衆も多くて、手が足りているし、どういう訳か、酒もあるので、もっぱら親睦を深める方に回る。
小野市民病院
夜、悠助の下痢が止まらないので、今日の担当救急病院である小野市民病院に連れて行く。500ml の点滴を打って貰い、真夜中過ぎに家に帰ってきた。
2003 年 3 月 31 日 (月)
仕事のメモ
名古屋方面に対して、見積りを作成して FAX する。さっそく返事が返ってきた。儲けさせてくれない心算らしい。
しこしことプログラムに手を入れる。
メモ
悠助は、矢持っつぁん(誰)に診て貰ったところ、腸炎を起していたと言う。点滴を2本、打ってもらい、抗生物質と下痢止めを処方してもらったそうだ。
啓作は、と言うと、休園日の保育園に登園させられた。一時間後、かみさんが勘違いに気付いて、あわてて迎えに行った。本人は「いちばんやったで」と喜んでいたそうだ。「何しとったん」「ぼーっとしとった」そうである。
2003 年 3 月 29 日 (土)
のどかな休日
午後、ゆうま君とおばあちゃんを高速バスの乗り場まで送っていくついでに、本屋で買い物。
悠助はウルトラマンの本、啓作はお化けの本、ゆうま君は、あれ? 何だっけ。僕は、田辺聖子の『人生は、だましだまし』という本を買う。題名に反応したのだ。中身は読まなくても判るような気が、あなた、しませんか?
かみさんは疲れて、ばたんきゅう。
悠助が下痢気味。
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