樂しい(減量)日記 2004年8月
2004 年 8 月 1 日 (日)
体重 74.6 kg 体脂肪率 22.4 % ウォーキング・マシン 30分
減量予定(改訂版)
減量予定(改訂版)の発表である。
現在の体重は 74 kg、体脂肪率は 23 % である。それが、徐々に減少して、来年(2005年)1月10日頃に、63.5 kg、17 % にまで達する。そして、そのまま増減せずに2ヶ月以上経過する。
すばらしい。予定だけれど。
減量のペースは、「健康的な減量のめどは、1ヶ月に 2kg まで」との説に従っている。
減量方法(改訂版)
減量するための方法をメモしておく。
- 毎日、記録を取る
-
これが一番大切だろうな。
安易に「忘れた」とか書いて済まさずに、面倒でも、きちんと記録しましょう。
- 腹七分目
-
「腹八分目」よりもちょっと少なめに食べる。ただし、朝昼晩と三食食べる。
今年の初めに減量を開始したときは「腹六分目」という標語であった。最初は空腹感に苛まれて苦しかったが、今では、いわゆる「胃袋が小さくなった」というやつで、食欲のレベルが低くなり、以前ほどの量を食べなくても、活動を阻害されるような空腹感に襲われることはなくなっている。
ただ、最近、「腹八分目」ぐらいにまで戻っているような感じでもあるので、もう一度、意識して食物摂取量を減らそうと思う。
- 砂糖が入った甘いものを飲まない
-
これも、いつの間にか、気がゆるんで、たまに甘い缶コーヒーを飲むことがある。
やめやめ。甘い缶コーヒーは厳禁。
- 間食をしない
-
時々、チョコレートを食ったりしている。好きなんだよな。
駄目。菓子は食わない。
- 週に3回、30分間歩くか泳ぐかする
-
前回、運動をしなければいけない、運動をしよう、と思ったことは思ったのだが、思うだけで、結局、実行に移さなかった。
今回は思うだけでなく、実際に運動をする。無理のない、出来るレベルから始める。
- 無理はしない
-
変な薬や健康食品は飲まない。
酒は、なるべく控えるが、禁じない。
祭や「反省会」では、減量を気にせずに、飲み食いする。
ということで。
蒸暑い休日
帽子を買う。LLサイズなのだが、まだきつい。人並み外れて大きな頭なのだ(中身はともかくも)。
散髪に行く。暑いので丸坊主にしてもらう。うーむ(謎)。いやーん、とか言われても、もう切ってしまったものは仕方がない。そのうち見慣れるさ。
夜、糀屋稲荷の八朔祭に行き、坂本のおいちゃん(誰)の家から花火を見物する。
2004 年 8 月 2 日 (月)
体重 74.1 kg 体脂肪率 22.3 %
仕事のメモ
うんうん唸って、提案書(何)を作成する。それだけの一日。
減量に関するメモ
昨日書いた減量方法(改訂版)を再度改訂する。運動に関する部分。「毎日、30分間歩く」というのは、どうも、無理だ。「週に3回、30分間歩くか泳ぐかする」ということに改める。
2004 年 8 月 3 日 (火)
体重 計測できず 体脂肪率 計測できず たくさん歩く
こどもおちばがえり
朝、たいこ弁当の交差点(どこ)で、子供たちをおぢばがえりのバスに乗せる。じゃあね、ということで。
仕事のメモ
某所(どこ)で会談。
こどもおちばがえり(続き)
会談をすませて、じゃあね、ということで、はちべえたちと分かれて、電車で天理へ向かう。
夕方、天理に到着して、一向に合流。
詰所で夕食。
楽しみにしていたパレードは雨で見学中止。
2004 年 8 月 4 日 (水)
体重 74.4 kg 体脂肪率 24.4 % たくさん歩く
こどもおぢばがえり(二日目)
朝のおつとめ。
プール。うちの子供たちは急に生気を取り戻して大はしゃぎ。
ぴっきー・ステージ(何)。
昼食はカレーライス。昨日もお昼はカレーライスだったそうだ。僕はちょっと食い過ぎた。おかわりをした上に、子供が余したものまで引き受けたのだ。
決戦忍者村(何)。これは子供たちみんなに大人気で、一度出てきて、もう一度入る子が続出。
チャレンジ遊びの世界。
そして、最後は、恐怖の館。二人とも心底怖かったようで、泣き叫いてしがみつく。周囲の大人たちが大喜び(何じゃ、そりゃ)。
バスに乗って、アイスクリームでクーリング・ダウンしながら帰途に着く。
嘆願書提出の報告書
かみさんは、今日、役場の教育委員会を訪問して、嘆願書を提出した。
××教育長と××課長は、かみさんと嘆願書を鼻先であしらった。彼らの無礼きわまる対応に、かみさんは胃が痛くなるほど腹を立てている。
ともかくも、署名に協力してくれた人たちに経過を報告しなければ、ということで報告書を書く。
2004 年 8 月 5 日 (木)
体重 74.4 kg 体脂肪率 23.4 %
仕事のメモ
さて、なにをしようか。急ぎの仕事は無い。では、と言うので、あまり気が進まないが、シブチンの旦那さん(誰)のリクエストに着手する。
少し進めたところで、ボス(渾名)から急ぎのリクエスト。彼が作っているプログラムとの繋ぎの部分をこしらえる。
メモ
車の修理兼車検が完了したので、夕方、会社を退けてから取りに行き、その足で、岩座神へ子供たちを迎えに行く。
かみさんは、夜、嘆願書の結果報告についての寄合。
昨日作った報告書はちょっと毒が強すぎるかもしれない、ということで、書き直した。毒が強いと言っても、それは、××教育長と××課長があまりにもアレ(どれ)であることの正確な反映に過ぎないのだが。
2004 年 8 月 6 日 (金)
体重 73.7 kg 体脂肪率 22.7 %
仕事のメモ
久しぶりに、少し規模の大きいプログラムを、一から作り始めている。最初はデータを表示する機能から作る。コーディング三昧。
2004 年 8 月 7 日 (土)
体重 73.2 kg 体脂肪率 23.0 % 水泳
町会議員に相談する
例の件(何)、教育委員会を相手にしていては、腹が立つばかりで埒が明かないので、これまでの経過をまとめて、町会議員の辻さんに相談することにした。
プール
今日は、友達のかずまくんも一緒にプールに連れて行く。
かずまくんは、保育所の頃から別のスイミング・スクールに通っていて、現在4級だそうだ。このスクールの生徒ではないので、うちの子供たちが練習している間、別の所で一人で遊ばないといけない。一時間、ひっきりなしに泳いでいた。よく疲れないもんだ。
帰って、少し遅めの昼食。
夕食会
夕方、かずまくんも一緒に連れて、教会へ行く。子供たちのための、ささやかな夕食会。お母さん方が料理を作ってくれていた。唐揚げ、肉団子、サラダ、ウィンナー、大学芋、龍田揚げ、ピーマンの天麩羅、お好み焼、焼き蕎麦、おにぎり、ジュース、お茶、スイカ、ビール、酒、キムチ、、、少し大人用のものも混じっていますけど。
2004 年 8 月 8 日 (日)
体重 73.3 kg 体脂肪率 25.0 %
のどかな休日
イズミヤで買い物。長太郎で昼食。アビーロードでコーヒー豆。
子供たちを岩座神へ送る。
かみさんの仕事の手伝いを少々。
岩座神で夕食。
2004 年 8 月 9 日 (月)
体重 73.5 kg 体脂肪率 23.5 %
仕事のメモ
コーディング三昧。表示系の鬱陶しい所(スクロール制御、表示倍率制御)の骨格が出来た。まあ、悪くないんじゃないかと思う。
メモ
辻議員が早速に教育委員会を訪問して下さったらしい。
××教育長が、辻さんから報告書(毒抜きでない方)を突き付けられたのだろう、あわてて幼稚園を視察しに行ったようだ。そして、かみさんに電話を架けてきて、嘆願書に目も通さないうちに「返答」をしたことの弁解をしたり、部下の××課長の無礼を謝ってみたり、したそうだ。
気分が悪くなるから、この人たちとはあまり関わりたくない。
2004 年 8 月 10 日 (火)
体重 忘れた 体脂肪率 忘れた
仕事のメモ
引き続き、コーディング三昧。傾き補正機能(何)を実装しようとしているのだが、ちょっともたつく。機能自体の実現方法には問題がないのだが、ジョブ制御の骨格が決らない。さらに、ユーザーインタフェイスがしっくり来ない。
月例祭
夜、月例祭。
2004 年 8 月 11 日 (水)
体重 忘れた 体脂肪率 忘れた
愛知
早朝から、はちべえ(誰)と連れだって、愛知へ出張。帰途、名神高速で盆休みの渋滞に巻き込まれた。中国道の下りは大丈夫だった。
2004 年 8 月 12 日 (木)
体重 72.7 kg 体脂肪率 24.5 %
大掃除
早朝 6:30 から会社で大掃除。昼までで完了して、弁当を食って、13:30 ごろに解散。
2004 年 8 月 13 日 (金)
体重 計測できず 体脂肪率 計測できず
猪対策の電柵を張る
昨晩、岩座神のうちの田圃に猪が入った。田圃を歩き回って稲穂を食い散らかしている。
放っておくとまた来るので、対策をしなければならない。長井の叔父さんに手伝ってもらって、田圃の周りに電柵を張る。
岩座神に泊る。
2004 年 8 月 14 日 (土)
体重 計測できず 体脂肪率 計測できず
墓参り
早朝から岩座神の株内の墓参り。自分の家の墓だけでなく、株内七軒、全部の墓に供え物をし、みんなで一緒に経を上げて、先祖を弔う。帰り道、うちの家の縁側で休憩。
枯木を伐り倒す
墓地にある木が一本枯れていて、いつ墓石の上に倒れるか分らない状態になっていた。これは放置できない、今のうちに安全に伐り倒して処分しておこう、ということになった。
え、その、今日やるんですか、とは思ったが、うちの株内にいる山林作業のベテラン二人が段取りを相談して、やる気まんまんなものだから、他の者も従わざるを得なかった。
「チリホールで引っ張っといて伐ったら、どうっちゅう事ない」という話だったのだが、いやあ、結構、大変だった。
昼寝
昼寝。
たかひろさんが「おまえの車、磨いておいてやったぞ」と言ったと思うが、構わず、昼寝を続けた。顰蹙ものだな。
バーベキュー
夕方、牧野の方が一段落付いたので、かみさんが子供たちを連れてやってきた。
夜、みんなでバーベキュー。たかひろさん夫妻、ひろちゃん夫妻と娘さんたち、まさみちゃん、そして、僕とかみさんと子供たち。
ちほちゃんと子供たちとで花火。
2004 年 8 月 15 日 (日)
体重 74.5 kg 体脂肪率 24.1 %
のどかな盆休み
昼前、市原へ墓参りに行く。帰りに、ハーモニーパークで昼食。
かみさんは昼寝。
子供たちはちほちゃんと遊んでいる。
夕方、かずじい(誰)が来訪。
夜、町の夏祭。
帰って風呂に入って、体重を量ってみたら激増していた。食い過ぎ、飲み過ぎだ。仕方あるまい。
2004 年 8 月 16 日 (月)
体重 74.5 kg 体脂肪率 22.2 %
仕事のメモ
午前中、ボス(渾名)およびはちべえ(誰)と、作戦会議(何)。
午後、盆前から続きのコーディング。設計を変更した「傾き補正機能」のユーザー・インタフェイスが完成した。まあ、これで良いか。悪くはないと思う。しかし、最初の設計どおりの方が使いやすい面もあるな。とりあえず、これで措いて、先を急ごう。
役員会に呼び出される
夜、風呂から上がって、さあ、ビールでも飲もうか、と思った所に、岩座神の公会堂から電話がかかってきた。区長さん(誰)が、デジカメで撮った写真のデータを持って、すぐに出て来てくれ、という。行かずに済ませる理由がなかったので行く。
行ってみたら、農業改良普及所普及センターの○○さんを囲んで、役員さんが集って、何やら、PowerPoint でプレゼン資料を作っていた。11時半ごろまで、うだうだ(何)と談じ合い。
2004 年 8 月 17 日 (火)
体重 73.7 kg 体脂肪率 22.4 %
仕事のメモ
引き続き、ごにょごにょとコーディング。選択領域の指定機能と編集機能を実装。うん、これはこれでよろしい。
手紙を書く
夜、かみさんにせっつかれて手紙を書く。ペンで書こうとしたが、我ながら、あまりの悪筆にあきれて、ワープロで失礼することにした。
2004 年 8 月 18 日 (水)
体重 73.2 kg 体脂肪率 23.7 %
仕事のメモ
引き続き、ごにょごにょとコーディング。選択領域をデータ化する機能(何)の実装に突入。
「今回は見合わせる」と言ってきたそうだ。見積りが高かったのか。それとも何か気に入らない事があったかな。
2004 年 8 月 19 日 (木)
体重 73.3 kg 体脂肪率 23.0 %
仕事のメモ
今日も、また、ごにょごにょとコーディング。選択領域をデータ化する機能(何)が一応は出来た。まあ、それなりに遊べるようにはなったのだが、何か、コードが息苦しくなってきた(何)。この辺で、一旦スクラップにするかな。よし、スクラップだ。
2004 年 8 月 20 日 (金)
体重 忘れた 体脂肪率 忘れた
溶連菌感染症
昨日から熱を出して咽が痛いと言っている啓作を小児科に連れて行く。かみさんの診断(何)では溶連菌感染症だったのだが、医師にはそれは言わない。綿棒で咽の粘液を少し取って、テスターにかける。5分後に結果が出た。赤いプラスがくっきりと浮き出ていて、やはり溶連菌感染症だとのこと。むかし、かみさんから見せられた妊娠検査器の青いマーカーを思い出した。「ほら、これ。青い線が出とるやろ。私がサインペンで書いたんやないで」云々。薬を処方して貰って帰る。
月例祭
教会の月例祭。
2004 年 8 月 21 日 (土)
体重 計測できず 体脂肪率 計測できず
蕎麦の種蒔き
早朝から岩座神で蕎麦の種蒔き。
今年から、手押しの種蒔き機(ごんべえ)の他に、トラクターに付ける蒔種機も使用することになった。
棚田オーナーの人が二人手伝ってくれた。クラインガルテンからも、助っ人が数人。
好天のおかげもあって、例年より作業が早く完了した。
鶏肉を焼いて慰労会。
メモ : 闇黒日記「信仰について書く」
全文を引用する。
平成十六年八月十五日
新暦ではあるが、世間的には御盆なので、信仰について書く。
人は、自分が單に生れて育つて稼いで遊んで死んで行くだけの存在ではないと思ふのならば、永遠の一部であると云ふ信仰を持つ事になる。そのやうに考へるのでないのならば、その人は自己の存在は刹那的なものだと考へるのであり、自己の存在を主張しながらそれを達成し得ずに敗北者としての意識を持ちながら死んで行くか、飽くまで快樂を追求して自己の存在から目を背け續けるか、のどちらかの途を擇ぶしかない。
人が、自らのみならず、人一般の永遠を信ずるならば、自らのみならず、死者の永遠をも信ぜざるを得ない。その時、死者が生前に信じた正義、死者が生前に從つた流儀は、當然の如く、永遠に連なるものである。ならば、死者の正義や流儀を、永遠に連なるものとして、永遠を信ずる生者は受容れざるを得ない。ここに、「傳統の保守」と云ふ態度が生ずる。そして、保守の態度は信仰に基く。
死者が死んだ事もまた事實であり、死者を肯定するのならば、死者の死もまた肯定すべきものである。永遠に連なるものとして、死そのものもまた生の一部として受容れるべきであると、保守の立場は認める。保守の立場は、現實肯定の立場であり、同時に現實を越えると看做される死をも肯定する理想主義の立場である。
人の死は嘆くべきものである。しかし、同時に、人は(ただ一人の例外を除いて)皆、死ぬ。これは或種の慰めである。死後の世界があるにしろ無いにしろ、慰めである。死後の世界があるのならば人は死者と再會するだらうし、ないのならば人は永遠に嘆かずに濟むからである。
さて、マルクシズムに據れば「宗教は阿片である」。阿片として信仰・宗教が極めて強い力を持つのは、生と死の永遠の事實に或種の囘答を與へ、それが慰撫を齎すからである。合理主義と現實至上主義、そして快樂主義は、不合理の極みであり非現實の世界に屬し快樂との斷絶を意味する死を何うにも出來ない。それらが罵り續けても、信仰と宗教とがなくならないのには、信仰と宗教とに人の永遠の懸念が反映してゐるからであり、死への恐怖・生の喪失を心理的に合理化する效力を備へてゐる爲である。
が、近代において、我々は、科學的な合理性による心理的な合理化の相對化を進めてしまつてゐる。近代的な人間は、最早、信仰の世界に留まる事は出來ない。かといつて信仰の世界を排除しようとしても、し切れないのが現實である。
しかし、信仰と、信仰の拒絶との葛藤は、例へば、早くパスカルの時代に存在した。パスカルが「損をする事のない賭け」としてキリスト教の信仰を奬めた事は、思想史の知識を持つものは知つてゐる。だが我々日本人が、キリスト教の信仰を持つ事は必ずしも可能ではなく――そもそも、賭けとしての信仰なるものを認める文化を、我々日本人は持たない。賭事に何らかの神秘性を感ずる文化が西歐にある事は、今すぐには詳しく論證出來ないが、ドストエフスキーの小説でも眞面目に採上げられてゐる事、確率の學問が成立した事等から、日本人は想像して良い。にもかかはらず、それを事實として認識出來ないのは、日本人が賭事をアンダーグラウンドに屬するものと看做す文化に屬してゐるからである。彼我には文化の差異があり、我々は我々の信仰しか、我々のものとして身近に感ずる事は出來ない。
キリスト教の狹義が如何に強靱であつても、我々日本人には、御盆になると先祖や近親の靈が家に歸つて來る、と云ふ、餘りにも嘘臭い信仰の方が、寧ろ心理的には納得出來る信仰である。そして、キリスト教でなくとも、この我々の信仰は、信じて損をするものではないのである。靈の供養などの名目で金を卷上げる新興宗教はあるが、信者は當座、心理的には幸福である。騙されたと感じた時に、はじめて元信者は損をしたと云ふ意識を持つ。そして、我々は必ずしも、新興宗教の商業主義を持つ必要はないのである。福田恆存は、「信じてゐる」と述べたが、何を信じてゐるかは言はなかつたし、それが何かを具體的に述べる事を否定した。御利益が保障されない信仰で十分である。ただ、パスカルに倣つて「賭け」として信仰を受容れて良いのである。「何かに利用される」事を嫌つて信仰のやうな非合理的なものを全て排斥しようとするのが現代の風潮だが、利用されない爲に或種の信仰形態を信じないやう努める一方で、何かを信じてゐても一向、構はない筈である。そして、そのやうなもののみを、私は推奬するだけである。それを或種の主義に利用しようとするものと極附け、否定して見せるのは、例へば「天皇主義」のレッテルを貼つた高橋氏のやうに、否定する事で利益を得ようとする或種のイデオロギーが背景にある。
私は、理想主義と、理想を求める人間性を肯定する現實主義とを肯定し、理想も人間性も無視した利益主義・便宜主義を超えるべき事を主張する者である。
御盆であり、敗戰の日であるので書いた。
うん。
2004 年 8 月 22 日 (日)
体重 74.0 kg 体脂肪率 25.0 %
農作業
午前中、母にせっつかれながら、農作業をする。
昨日蒔いたばかりの蕎麦の種を鹿から守るための網の設置。そして、休耕田の草刈り。
お般若
午後、岩座神の寺の般若会。
闇黒日記「信仰について書く」を読む
全文を引用しておいて、「うん」だけでは、良くない引用の見本のようなものだ。無断転載だから消せ、と言われると釈明しづらい。だから、という訳ではないが、もう一度丁寧に読んでコメントを書く。
平成十六年八月十五日
新暦ではあるが、世間的には御盆なので、信仰について書く。
筆者(野嵜さん)の「新暦ではあるが」というのは、ちょっと曖昧だ。だが、言わんとする所は、何となく分るような気がする。
お盆というと普通は(新暦の)8月15日だが、地方によっては、新暦の7月15日がお盆であったり、旧暦の7月15日がお盆であったりする。日本には三つのお盆がある訳だ(盆踊りの知識:お盆入門3 - 三つのお盆)。
このうち、歴史的に由緒正しく、季節感的にも合理的なのは、旧暦7月15日(今年は新暦8月30日)のお盆だ。
旧暦7月は「初秋」だ。秋と言っても、まだ暑さは残っている。気温の絶対値だけを比べれば、盛夏とあまり違わないかも知れない。けれども、ここが大事なのだが、暑さの絶頂は過ぎている。上向きのベクトルから下向きのベクトルに変化してしまっている。「暑いときが夏、涼しいときが秋」ではなくて、「暑くなってゆくときが夏、涼しくなってゆくときが秋」というのが、日本人の伝統的な季節感だ。暑さの絶頂は夏の終りであり、秋の始りなのである。
先祖の霊が家に帰ってくるというお盆の時季としては、そういう意味での「秋の初め」が相応しいだろう。それに、旧暦なら、盆踊りの空に上がる月も確実に満月だ。
日本の年中行事は、ほとんど皆、旧暦による方が、季節感と合致する。雛祭りもそうだし、端午の節句も、七夕もそうだが、何よりも正月(「初春」)がそうだ。寒さがきわまって、冬が終り、春が始る時季を一年の始りだとするのが旧暦の正月である。そうでない新暦の正月では、「初春のお慶びを申し上げます」の挨拶にも実感がこもらない。
「月遅れの○○」というのがよくある。いや、よくあった、と言うのが正しいかもしれない。僕が子供の頃は、雛祭りは4月3日、七夕は8月7日にやっていた(端午の節句はどうだったか、記憶が曖昧でわからない)。季節感とのズレを解消するために、一月遅らした日に行事をするのである。しかし、今では、新暦のとおりに強行されている場合が多いのではないかと思う。たぶん、月遅れという形で何とか季節感をとどめるのは、もう、お盆だけだろう。
「御盆なので、信仰について書く」というのは自然な事だと思う。というのは、日本人は、ふつう、ほとんど無意識に近い形で「(祖)霊教」とでも呼ぶべきものを信仰していて、それが最もはっきりと目に見える形を取るのがお盆だからだ。
2004 年 8 月 23 日 (月)
体重 74.0 kg 体脂肪率 21.2 %
大阪
はちべえ(誰)と大阪へ行って同級生(誰)に会う。
2004 年 8 月 24 日 (火)
体重 73.7 kg 体脂肪率 22.7 %
仕事のメモ
相変わらず、ごにょごにょとコーディング。
メモ
夜、かみさんの仕事を手伝う。
一月ほど前だったか、デスクトップ・パソコンに換装して載せていた Celeron 1.3 GHz が熱暴走し始めたために、元の Pentium 3 500 MHz に戻している。さすがに、ちょっと大きな画像を扱ったりすると、非常に重く感じる。メモリが 384 MB しかないのもネックだな。そろそろ、新しい早いのが欲しくなっているのだが、うーん、お金がない。
闇黒日記「信仰について書く」を読む(2)
そもそも全文を引用したくなったのは、次の一節を読んで、そうそう、その通りだよなあ、と思ったからだ。
人は、自分が單に生れて育つて稼いで遊んで死んで行くだけの存在ではないと思ふのならば、永遠の一部であると云ふ信仰を持つ事になる。そのやうに考へるのでないのならば、その人は自己の存在は刹那的なものだと考へるのであり、自己の存在を主張しながらそれを達成し得ずに敗北者としての意識を持ちながら死んで行くか、飽くまで快樂を追求して自己の存在から目を背け續けるか、のどちらかの途を擇ぶしかない。
うん。
人間は必ず死ぬのだから、すべての利己主義は必ずみじめな敗北に終る。「自分が一番大切だ」というのは、誰もが持っているごく普通の考えであろう。それは、他人に対して威張って主張できるようなものではないけれども、別段咎め立てされるほど有害な思想でもないと思われている。しかし、どんなに大切に思っても、自分はいつか死んで無くなるのだ。
人は、自分よりも大切な何かを持たなければ(と言うよりも、自分よりも大切な何かに持たれなければ)、心を安んじることは出来ない。
そういう意味で、上の一節に対しては、ほとんど何の異論も無いのだが、少し、ひっかかるところがある。それは、「永遠」という言葉だ。僕自身も含めて、日本人は「永遠」というものを理解できないし、そもそも「永遠」というものを必要としていないのではないか、という疑念だ。
人が、自らのみならず、人一般の永遠を信ずるならば、自らのみならず、死者の永遠をも信ぜざるを得ない。その時、死者が生前に信じた正義、死者が生前に從つた流儀は、當然の如く、永遠に連なるものである。ならば、死者の正義や流儀を、永遠に連なるものとして、永遠を信ずる生者は受容れざるを得ない。ここに、「傳統の保守」と云ふ態度が生ずる。そして、保守の態度は信仰に基く。
この節は、最初の一文を除いて、何を言っているのか、よく分らない。
「永遠」という言葉が曖昧なのかなあ。
最初の一文は理解できる。「自らのみならず、人一般の永遠」の「永遠」は、「死後に存続する不滅の霊魂」の意味で使われていると考えても良いし、「神に造られたものとしての神性」と解しても意味が通じる。自分は死んだ後も生きると信じるなら、すべての死んだ人も生きていると考えるのが普通だろう。また、自分は神にとって大切な子供であると信じるなら、すべての死者もまた神の愛し子である筈だ。
しかし、「死者の正義や流儀」が「永遠に連な」っていて、それを生者は「受容れざるを得ない」と言われると、僕には、どういう意味か分らない。
2004 年 8 月 25 日 (水)
体重 72.7 kg 体脂肪率 21.2 %
仕事のメモ
午前中、ボス(渾名)、はちべえ(誰)と作戦会議(何)。
午後は、ごにょごにょとコーディング。
闇黒日記「信仰について書く」を読む(3)
死者が死んだ事もまた事實であり、死者を肯定するのならば、死者の死もまた肯定すべきものである。永遠に連なるものとして、死そのものもまた生の一部として受容れるべきであると、保守の立場は認める。保守の立場は、現實肯定の立場であり、同時に現實を越えると看做される死をも肯定する理想主義の立場である。
ここも、いまいち、よく分らない。
僕自身の理解に引きつけて書き直すと、次のようになる。
死は否定できない事実として存在する。我々は死そのものを生の一部として受け入れなければならない(「現実肯定の立場」)。そのためには、「永遠に連なる」ために、何らかの信仰が必要である(「理想主義の立場」)。
そういう事なら分る(気がする)。それが「保守の立場」である必要は無いように思うのだが、まあ、別に構わない。
人の死は嘆くべきものである。しかし、同時に、人は(ただ一人の例外を除いて)皆、死ぬ。これは或種の慰めである。死後の世界があるにしろ無いにしろ、慰めである。死後の世界があるのならば人は死者と再會するだらうし、ないのならば人は永遠に嘆かずに濟むからである。
ここは、「ただ一人の例外を除いて」という但し書きさえ無ければ、非常に分りやすい所だ。
しかし、分りやすさと引き換えに、ある種の弱さが見られる所でもある。「死後の世界があるのならば人は死者と再會するだらうし、ないのならば人は永遠に嘆かずに濟む」というのは、哲学者の言葉であって、信仰者の言葉ではない。
だから、余計に、「ただ一人の例外」という言葉が気になる。いったい誰を指しているのか、全然見当が付かないのだ。
2004 年 8 月 26 日 (木)
体重 73.0 kg 体脂肪率 23.0 %
仕事のメモ
ごにょごにょとコーディング。こればっかり。
闇黒日記「信仰について書く」を読む(4)
さて、マルクシズムに據れば「宗教は阿片である」。阿片として信仰・宗教が極めて強い力を持つのは、生と死の永遠の事實に或種の囘答を與へ、それが慰撫を齎すからである。合理主義と現實至上主義、そして快樂主義は、不合理の極みであり非現實の世界に屬し快樂との斷絶を意味する死を何うにも出來ない。それらが罵り續けても、信仰と宗教とがなくならないのには、信仰と宗教とに人の永遠の懸念が反映してゐるからであり、死への恐怖・生の喪失を心理的に合理化する效力を備へてゐる爲である。
が、近代において、我々は、科學的な合理性による心理的な合理化の相對化を進めてしまつてゐる。近代的な人間は、最早、信仰の世界に留まる事は出來ない。かといつて信仰の世界を排除しようとしても、し切れないのが現實である。
ここは分りやすい。
しかし、これは上記の論に反対の意を表明するものではないが、筆者(野嵜さん)は、信仰や宗教をその効用の面から考えようとする傾向が強すぎるのではなかろうか。同じような傾向は、彼が天皇(制)について論じるときにも見て取れるように思う。
しかし、信仰や宗教を心理的な(または社会的な)効用としてのみ捉えようとすると、魅力に乏しい抜殻しか残らないことになるだろう。
2004 年 8 月 27 日 (金)
体重 忘れた 体脂肪率 忘れた
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
有給休暇を取って、早朝から四人でユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行った訳だが、うちの子供たちにはまだ早かったようだ。怖がってアトラクション会場に入ることを頑なに拒絶した。ヒラパーにすればよかった。
久しぶりに串万で夕食。満足。
2004 年 8 月 28 日 (土)
体重 計測できず 体脂肪率 計測できず
プール
子供たちをスイミング・スクールに連れて行き、自分も泳ぐ。
続けているとそれなりに上達するもので、クロールの息継ぎが割と楽に出来るようになった。最初のうちは、鼻から水を吸い込んでゲホゲホすることが多かったのだが、それが無くなった。
子供たちは少し高い所からプールに飛び込む練習などをしている。
メモ
かみさんの仕事の手伝い。
バーベキュー
夜、岩座神の公会堂で、宇仁青年会のバーベキュー。こっちはもう青年ではないのだが、地元ということで、区長さんと二人で遊びに行く。暇だったら出て来い、と言って、もとゆきさんとかずまくんを呼び寄せる。午前1時ごろまで飲む。
2004 年 8 月 29 日 (日)
体重 71.6 kg 体脂肪率 24.3 %
渡り廊下の取壊し
朝から教会の渡り廊下の取壊し作業。
廃材の整理を担当する。家からチェンソーを持ってきて、角材や板材をバリバリと小さく切る。
15分ぐらい作業をした段階で、ばたんきゅー、体が使い物にならなくなった。昨晩の酒のせいらしい。シャツを脱いで、30分ぐらい、日陰で横になる。冷たいお茶をぐびぐびと3杯飲んだら、体が楽になった。二日酔いというよりも、脱水症状だったらしい。
水分をたっぷり摂りながら、夕方まで作業を続ける。きれいに片付いた。
2004 年 8 月 30 日 (月)
体重 計測できず 体脂肪率 計測できず
台風(1)
会社を早退して、岩座神の家の雨戸や戸口を補強する。
岩座神に泊ることにする。
9時ごろから、猛烈な風と雨。
2004 年 8 月 31 日 (火)
体重 72.6 kg 体脂肪率 22.1 %
台風(2)
夜半過ぎ、雨と風はおさまった。
が、何となく興奮して、寝付かれず、深夜のテレビを見てしまう。里親をしている教会長夫妻のドキュメンタリーをやっていた。
朝、起きたら、茅葺の屋根がかなり傷んでいた。田圃の稲もべったりと倒れている。
岩座神から出勤。
仕事のメモ
相変わらず、ごにょごにょとコーディング。ようやく完了の目途が立った。
メモ
家の電話機が使えなくなった。台風で停電したときに故障したらしい。かみさんがメーカーのサービスに問い合わせたところ、型が古いので新品に買い換えた方が良いと思います、との返事。
会社の帰りに電気屋に寄って新しいのを買った。
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