樂しい(減量)日記 2004年9月

2004 年 9 月 1 日 (水)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

システムダウン

システムダウン(何)につき、一回お休み(何)。

2004 年 9 月 2 日 (木)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

システムダウン(続き)

引き続き、システムダウン。休み。

2004 年 9 月 3 日 (金)

体重 72.6 kg 体脂肪率 22.6 %

仕事のメモ

ごにょごにょとやっていた奴がようやく完成した。

ちょっと疲れた。

2004 年 9 月 4 日 ()

体重 計測できず 体脂肪率 計測できず

のどかな休日

いつものように、子供たちをスイミング・スクールに連れて行き、自分も泳ぐ。

啓作を連れて、岩座神でお泊り。

ThinkPad R31 ハードディスク故障(再び)

おばちゃん(義姉)の ThinkPad R31 を修理する。

ハードディスクが瀕死の状態。何とか、My Documents 以下のファイルだけは取り出すことが出来たが、その他は駄目。システムは救出できなかった。

前回のトラブルもハードディスクだった(2004年1月25日)。この R31 はハードディスクの排熱処理に問題があるような気がする。高熱にさらされる時間が長いために、ハードディスクが故障しやすくなっているのじゃないかと思う。

前回取り出したハードディスクがまだ生きていたので、そちらからシステムを吸い上げる。

新しいハードディスクを調達しなければならないが、当面は前回取り出したハードディスクを使うことにする。不調だった奴だけに、いつまで保つかは分らない。

2004 年 9 月 5 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

山で仕事

朝から夕方まで、岩座神の山で仕事。害獣防止柵の点検補修および枝打ち。くたくた。

2004 年 9 月 6 日 (月)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

システムダウン

システムダウンで一回休み。

2004 年 9 月 7 日 (火)

体重 計測できず 体脂肪率 計測できず

台風(18号)

会社を休む。

午後、風が強くなってきたので、岩座神へ行く。

午前中に、長井の叔父が来て、雨戸や大戸の補強をしてくれていた。

午後2時頃から暴風。茅葺屋根の尾根が風にまくられて崩れた。この屋根、もう駄目だな。

午後7時頃、風がおさまる。

2004 年 9 月 8 日 (水)

体重 73.1 kg 体脂肪率 23.5 %

仕事のメモ

久しぶりに職場復帰。

はちべえ(誰)と連れだって、旦那さん(誰)を訪問。ブツ(何)を見せた所、気に入って、買う気になってくれた。

屋根

岩座神の家の茅葺屋根だが、屋根葺きの職人さんに見てもらった所、大した費用をかけずに修復出来るとのこと。やれやれ、良かった。

闇黒日記「信仰について書く」を読む(5)

しかし、信仰と、信仰の拒絶との葛藤は、例へば、早くパスカルの時代に存在した。パスカルが「損をする事のない賭け」としてキリスト教の信仰を奬めた事は、思想史の知識を持つものは知つてゐる。だが我々日本人が、キリスト教の信仰を持つ事は必ずしも可能ではなく――そもそも、賭けとしての信仰なるものを認める文化を、我々日本人は持たない。賭事に何らかの神秘性を感ずる文化が西歐にある事は、今すぐには詳しく論證出來ないが、ドストエフスキーの小説でも眞面目に採上げられてゐる事、確率の學問が成立した事等から、日本人は想像して良い。にもかかはらず、それを事實として認識出來ないのは、日本人が賭事をアンダーグラウンドに屬するものと看做す文化に屬してゐるからである。彼我には文化の差異があり、我々は我々の信仰しか、我々のものとして身近に感ずる事は出來ない。

パスカルの「損をする事のない賭け」というのは、以下のようなことだ。

神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?

― いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。

そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。

すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。

賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。

反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるからである。

パスカルの賭け

『パンセ』の一節だそうだ。

うん。これはこの通りだと思う。全知全能の愛なる絶対の神を前提にする限り、信仰するかしないか(そういう神に従うか逆らうか)は、そういう賭けになる。

そして、「だが我々日本人が、キリスト教の信仰を持つ事は必ずしも可能ではな」い、というのは、これも、その通りだ。「賭けとしての信仰」というのは、「契約としての信仰」と言い換えてもよいのかも知れない。あれかこれかの選択を求める信仰、契約を結んで従うか契約を無視して逆らうかという信仰。そういう信仰を日本人である我々は持ちにくいと僕も思う。

キリスト教の狹義が如何に強靱であつても、我々日本人には、御盆になると先祖や近親の靈が家に歸つて來る、と云ふ、餘りにも嘘臭い信仰の方が、寧ろ心理的には納得出來る信仰である。

と、述べられている通りなのである。

2004 年 9 月 9 日 (木)

体重 72.6 kg 体脂肪率 23.3 %

仕事のメモ

久しぶりに名古屋方面(どこ)と電話でやりとり。

尼崎(どこ)出張の準備として、サンプル(何)を印刷する。

ボス(渾名)、仕事がなくて不機嫌。

メモ : 闇黒日記「信仰について書く」を読む(6)

そして、キリスト教でなくとも、この我々の信仰は、信じて損をするものではないのである。

「この我々の信仰」というのは、前を承けて、「御盆になると先祖や近親の靈が家に歸つて來る、と云ふ、餘りにも嘘臭い信仰」のことだ。

それは「仏教」と呼ぶべきものではない。「(祖)霊教」とでも呼ぶべきものだが、無意識に近い形の信仰であるので、はっきりとした名前はない。

いつだったか、川西の伯父(誰)が感慨深げに述懐したことがある。「田舎のどん百姓の家に生まれた自分がこういう(どういう)仕事を与えられて、こういう(どういう)生活をさせてもらっているのは、これはもう、自分の力やない、先祖さんのおかげやと思う」と。そして、「いろんな人を見ていて思うのは、やっぱり、ご先祖を大切にせなあかん、という事やな。宗教は何でもええ、ご先祖を大切にしている人は大丈夫や。せやない人は何か苦しい目に遭いよる」と。

つまり、そういう信仰だ。

伯父は天理教の教会で生まれて育った、いわば純粋培養に近い天理教信者である。普通、田舎では、伯父ぐらいの年齢になると、仏教式の祭儀の場に臨むと、般若心経ぐらいは暗唱できるものだが、多分、伯父にはそれは出来ないと思う。それは何も仏教を拒否しているからではなくて、単になじみが薄いので覚えられないだけである(いや、暗唱出来るんだったら、ごめんなさい)。その伯父が、「やっぱり、ご先祖さんを大切にせなあかん」と言うのである。

そういう信仰は「信じて損をするものではない」と筆者(野嵜さん)は言う。

「キリスト教でなくとも」というのが少し微妙かな。本当はキリスト教が望ましいけれど、それは無理だから、父祖伝来の「(祖)霊教」でもかまわない、というニュアンスが有るような無いような(どっち)。

靈の供養などの名目で金を卷上げる新興宗教はあるが、信者は當座、心理的には幸福である。騙されたと感じた時に、はじめて元信者は損をしたと云ふ意識を持つ。そして、我々は必ずしも、新興宗教の商業主義を持つ必要はないのである。福田恆存は、「信じてゐる」と述べたが、何を信じてゐるかは言はなかつたし、それが何かを具體的に述べる事を否定した。御利益が保障されない信仰で十分である。ただ、パスカルに倣つて「賭け」として信仰を受容れて良いのである。「何かに利用される」事を嫌つて信仰のやうな非合理的なものを全て排斥しようとするのが現代の風潮だが、利用されない爲に或種の信仰形態を信じないやう努める一方で、何かを信じてゐても一向、構はない筈である。そして、そのやうなもののみを、私は推奬するだけである。

宗教の形を借りた金儲けの餌食になる必要はない。しかし信仰をすべて拒否するのが正しい訳ではない。

それはその通りだと思う。その点では異論はない。

しかし、「(祖)霊教」はパスカルの言う「賭け」の対象にはならないのではないか。先祖というものは、好きでも嫌いでも、先祖であることに違いはないから、例えば、釈迦でなくイエスに帰依するというような、こちら側から選択したり拒否したりする余地はない。つまり、契約の考えは成り立たない。さらにまた、自分のご先祖が森羅万象に対して絶対の力を持っているとは考えられない。他人にもご先祖がいて、それこそ八百万の神霊が存在するのだから、お互いの力は相対的なものにならざるを得ないのだ。そこでは、唯一絶対の全能の神に反逆した場合に被るような手酷い損失は想像しにくいだろう。

2004 年 9 月 10 日 (金)

体重 計測できず 体脂肪率 計測できず

仕事のメモ

多言語版(何)のパンフレットを作るようにとボスから言われているのだが、その準備をしているうちに、別のことが気になりだして、そっちに集中してしまう。

もうひとつの環境(何)のために、ウィルス対策ソフトとして avast をインストールする。ファイアウォールは Sygate を使う。スパイウェア対策は Spybot だ。みんな無料。

月例祭

夜、岩座神で月例祭(兼御霊祭)。

明日、稲刈りをするつもりなので、岩座神に泊る。

2004 年 9 月 11 日 ()

体重 計測できず 体脂肪率 計測できず

稲刈り

朝から夕方まで、牧野のおじいちゃん(義父)に手伝ってもらって、稲刈りをする。

まだ少し青いので、本当はもうちょっと熟するのを待ちたいのだが、二度の台風でベッタリと倒れている稲をこのまま刈らずに放置しておくと、濡れた土に触れている籾が発芽したりして、状態が悪化するだけである。それに、来週の週末が好天だとは限らない。だから、もう、刈ってしまうのである。

ちなみに、去年(2003年)の稲刈りは10月4日。一昨年(2002年)は9月21日。その前(2001年)は、9月16日。そのもう一つ前は、上のおいちゃん(誰)にやってもらったので、何時だったか記憶がない。

5枚の田圃のうち、1枚が残った。倒れている稲を刈ったにしては仕事が進んだ。

メモ : 闇黒日記「信仰について書く」を読む(7)

それを或種の主義に利用しようとするものと極附け、否定して見せるのは、例へば「天皇主義」のレッテルを貼つた高橋氏のやうに、否定する事で利益を得ようとする或種のイデオロギーが背景にある。

「高橋氏」と彼の主張については、僕は何も知らないので、特に言うべき事はない。

僕は日本人の父祖伝来の信仰を「(祖)霊教」とでも呼ぶべきものだと言う。しかし、ここでは明言されていないが、筆者(野嵜さん)は、それを「神道」と呼んでいる。そして、その神道の中心には天皇が存在している(存在しなければならない)と主張している( 「神道と天皇について」)。

僕も日本人の信仰を仏教であるかそれとも神道かと問われれば、どちらかと言えば神道だと答えるだろう。しかし、神道は仏教によって「死」を奪われている。正月は神道のものだが、お盆は仏教のものだ。「死」を司ることのない神道を日本人の信仰そのものであるとすることは出来ない。

天皇は、日本人の信仰を考える上で、非常に重要な存在だ。その証拠に、日本ではほとんどの宗教団体が、年月を経るに従って、ミニ天皇制と言うべき姿になっていく。そして、制度の面でミニ天皇制に移行するのと平行して、信仰の面では父祖伝来の「(祖)霊教」に呑み込まれていくのである。

2004 年 9 月 12 日 ()

体重 72.6 kg 体脂肪率 26.7 %

稲刈り(続き)

午前中、残った1枚の田圃の稲刈りを済ます。やれやれ。

品質はともかく、数量的には例年並みか、ちょっと良いぐらい。

プール

午後、プールでひと泳ぎ。

メモ : 闇黒日記「信仰について書く」を読む(8)

私は、理想主義と、理想を求める人間性を肯定する現實主義とを肯定し、理想も人間性も無視した利益主義・便宜主義を超えるべき事を主張する者である。

御盆であり、敗戰の日であるので書いた。

他の人の言葉を引用する。

現代日本社会の大きな特徴は、

- 無宗教 -

ということでしょう。この無宗教ということは、社会にいかなる規範・原理もないことを意味します。

いや、ちょっと待ってくださいよ。わたしはいささか勇み足をしてしまいました。規範・原理がなくて社会が存続できるわけがありません。だから、現代日本社会にもなんらかの行動原理があるはずです。じつは、その原理は、

- 損か得か -

の判断なんです。現代日本人は、ただただこの「損か得か」の物差しだけで生きています。それが現代日本社会の特徴なんです。

ひろさちや著『宗教練習問題』より

また、カネを求めれば、その代償として多くの事柄を切り捨てなければならない。アウトローであれ、ビジネスマンであれ、カネを求めた時点で、人間は多くのものを失ってしまう。カネ以外の、もっと大切な価値を求める男でなければ、語るに足らないことはいうまでもない。

(中略)

わたしのいう「アウトロー」的生き方は、人生の選択肢ではなく、その人間の必然であって、「得か損か」「儲かるか儲からないか」といった近代的な合理主義とはまったく別次元のアジア的混沌、ちょっとキザにいえば東洋的諦観を基盤としているのだ。

宮崎学著『カネに死ぬな 掟に生きろ』より

2004 年 9 月 13 日 (月)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

パンフレット(何)の草稿を作成する。

市内某所(どこ)に出向いてブツ(何)を納入する。

2004 年 9 月 14 日 (火)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

パンフレットの草稿に手を入れる。

ごにょごにょとコーディング。

2004 年 9 月 15 日 (水)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

パンフレットをほぼ完成。

ごにょごにょとコーディング。

テンション低し。

ゲーム機

お隣から中古のゲーム機を貰い受けるにあたって、子供たちに約束の証文を書かせる。どんなもんだか。

2004 年 9 月 16 日 (木)

体重 72.0 kg 体脂肪率 24.0 %

仕事のメモ

仕事が一段落付いたので、XMLの勉強をする。

2004 年 9 月 17 日 (金)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

名古屋方面

はちべえ(誰)、あ君(誰)と連れだって、名古屋方面(どっち)へ出張。

嘉門達夫を聴く。

2004 年 9 月 18 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

のどかな休日

部屋の掃除を試みるが、途中で挫折。

いつものように、子供たちをスイミング・スクールに連れて行き、自分も泳ぐ。

岩座神では屋根の修理が始っているが、今日は職人さんが茅の買い付けに岡山に行っているそうで、作業はお休み。

2004 年 9 月 19 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

お寺の掃除

朝から夕方まで、岩座神のお寺の掃除。寺当番が当っているのだ。

二度の台風で、そこら中に大量の杉葉が落ちているので、これを片付ける。

蛭(ヒル)に悩まされる。

2004 年 9 月 20 日 (月) 敬老の日

体重 73.1 kg 体脂肪率 24.0 %

忙しい休日

午前中、お寺の庫裏の掃除の手伝い。

午後、教会の月例祭。

2004 年 9 月 21 日 (火)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

XMLのお勉強。赤い本と青い本を読んでいる。んー、書かないと頭に入らないか。

ほさん(誰)が月末で会社を辞めるそうだ。

2004 年 9 月 22 日 (水)

仕事のメモ

とりあえず書いてみよう、ということで、プログラムのデータの一部分をXMLファイルにエクスポート/からインポートする機能を作ってみることにした。

エクスポートの方は、テキスト・ファイルを書くのと似たような感じで、ただ書くだけ。これは出来た。

インポートの方は、XMLパーサを使う必要がある。MSXML 4.0 を使ってみる。COM インターフェイスが鬱陶しいな。Apache の Xerces C++ を使ってみようか。

ほさん(誰)の抜けた穴を埋める仕事をして欲しい、と頼まれたわけだが、うーん、どうしよう。

2004 年 9 月 23 日 (木) 秋分の日

体重 未計測 体脂肪率 未計測

神光寺庫裏竣工式

神光寺(岩座神のお寺)の庫裏の竣工式。

ちなみに、今日、岩座神の家の茅葺屋根の修理も完了した。

2004 年 9 月 24 日 (金)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

仕事のメモ

XML のお勉強。

Xerces C++ もそれなりに面倒くさそうなので、MSXML を使うことにした。

2004 年 9 月 25 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

のどかな休日

啓作を小児科に連れて行く。二週間に一度の定期検診。安定している、とのこと。

が、帰ってきたら、発熱。もう一度、かみさんが小児科に連れて行く。

悠助と二人で昼食。目玉焼きを作ってやる。

午後、悠助と二人でプールに行ったら、休館日だった。

2004 年 9 月 26 日 ()

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

棚田オーナーの稲刈りと「棚田素人名人会」

朝から、岩座神で棚田オーナーの稲刈り。庶務と写真係を仰せつかる。

午後、「棚田素人名人会」。昨年までの「棚田コンサート」は町の主催行事だったが、今年は岩座神の主催行事である。予算もぐっと縮小。しかし、大成功。非常に良かった。

何か、べろんべろんに酔った。ばたんきゅう。

2004 年 9 月 27 日 (月)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

メモ

気が付いたら、午前3時だった。

仕事のメモ

引き続き、XML のお勉強(じゃないけど)。

2004 年 9 月 28 日 (火)

体重 忘れた 体脂肪率 忘れた

名古屋方面

はちべえ(誰)、あくん(誰)と連れだって、名古屋方面へ出張。疲れた。

2004 年 9 月 29 日 (水)

仕事のメモ

引き続き、XML のお勉強(違う)。

ほさん(誰)の送別会は、台風で延期。

賢い患者になるためのABC - 医療事故にあわないためには病院に行かない -

今中孝信さんの「賢い患者になるためのABC - 医療事故にあわないためには病院に行かない -」という記事を掲載しました。

いつもながら、良いキャッチフレーズだなあ。

是非、ご一読ください。

2004 年 9 月 30 日 (木)

体重 計測できず 体脂肪率 計測できず

突然に名古屋

昼過ぎ、今から来てシステムの復旧をしてくれないか、と電話が架かってきた。ハードウェアの修理と OS の再インストールが夕方6時には出来ている筈なので、その頃までに来てくれると助かるのだが、とのこと。

昨日、サーバーのハードディスクが死んだ、という話を聞いた時から、遅かれ早かれ、出向くことになることは分っていたので、朝から準備だけはしておいた。午前中の電話では週明けでも良いような感触だったのだが、明日にでもシステムを利用したいというユーザーがいるんだそうな。

そういうクリティカルなシステムをソフトウェアの保守契約をせずに業務に使っているというのがそもそも(以下略)。

中国自動車道と名神高速道路を三時間と少し走って名古屋(どこ)に着く。

ちょうど、ハードウェアの保守を請けているC社(どこ)のエンジニアが、修理が上がったサーバーを持ってきた所だった。

サーバーには、ディスクアレイとハードディスクが一台づつ外付けでぶら下がっていた。そいつらを従前通りに(中身を失わずに)再接続する必要がある。しかし、それが誰の仕事であるのかは、ちょっと曖昧だ。うちはディスクアレイもハードディスクも納入していないし、保守の契約をしていない。ハードウェアの保守を請けているC社にしても、いざとなったら、中身までは知りません、だろうし。

ハードディスクの方は簡単に元に戻った。まあ、マウントし直すだけだし。

ディスクアレイは、従来の設定が記録に残っていない。そもそも、ボリューム・マネジャー(何)をインストールしてセットアップするマスターCD-ROMがどこにあるのか分らない。C社の彼は、どうしたら良いか分らん、と言う。C社は、実は、I社(どこ)の下請けなのだが、I社の担当に聞いても、いやあ、どうだったかなあ、などと答えるだけなのだそうだ。何ともはや、、、

捜しても見つからなかったというマスターCD-ROMは僕が見つけた。そこら(どこら)を勝手にひっくり返したら出てきた。ボリューム・マネジャーの設定は、C社の彼が何とか復旧してくれた。何とかなる、こともある、ということ。

22:00、ほぼ復旧。少し僕の作業が残っている。

コンビニで弁当を買ってホテルに行く。


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