この世の元初まりは泥の海。そのたいら一面泥海(どろうみ)の世界に、月(つき)様と日(ひ)様がおいでになるばかりであった。(この月様と日様は,くにとこたちのみことをもたりのみことと申し上げ、人間とこの世界をはじめられた親神(おやがみ)様である。)

月日様はいつも、

「泥海の世界にふたりいるばかりでは、神といって敬(うやま)ってくれるものもなし、なんの楽しみもない。

人間というものをこしらえて、その陽気ぐらしするのを見てともに楽しみたい」

と話し合っておられた。

あるとき月様と日様は、泥海のなかに大龍・大蛇のお姿をしてお現れになった。

泥海なかを御覧になると、たくさんのどぢよ(どじょう)ばかりいるなかに、うを(魚)(巳)の泳いでいるのが目にとまった。(このうをは岐魚(ぎぎょ)ともいい、うろこのない人魚のようで、くじら程もある。も大きな白い蛇で、太刀魚(たちうお)の体つきである。)おふたりで、うををよく御覧になるうち、

「このものを雛型(ひながた)として人間をこしらえたらよかろう」

と思いつかれた。それで、うをを雛型に、そのほかの道具をつかって人間を創造(そうぞう)する模様を相談され、やがて相談がまとまった。

そこでまず、うをとを呼び寄せられた。うをはお召しによって、月日様のもとへ真っ直ぐにやってきた。月日様がよくよく御覧になると、顔といい肌合いといい、つくろうと思う人間にふさわしく、また心根(こころね)もともに一(ひと)すじ心で、月日様のお心にかなっていた。月日様は人間創造の思召(おぼしめ)しをお話しになって、

「おまえたちを人間の雛型にしたいと思う。ここにいるたくさんのどぢよたねとして、ほかに道具も寄せてやるから、ひとつ、種(たね)・苗代(なわしろ)として働いてくれないか」

とお話しになった。うをも一度はお断り申し上げたのであるが、月日様が重ねて、

「人間世界ができあがって、初めて生まれる子数(こかず、子供の数)の年限が経(た)ったなら、親として敬われるようにしてやろう」

とお約束になったので、やっと承知をした。そこで、人間の苗代としてもらい受けられた。

つづいて、この雛形に仕込む道具はと見ると、乾(いぬい、西北)の方にしやち(鯱)が、巽(たつみ、東南)の方にかめ(亀)がいる。そこでこれを呼び寄せられた。

さらに、このほかの道具になるものはと見渡して、東(ひがし)の方からうなぎ(鰻)を、未申(ひつじさる、西南)の方からかれい(鰈)を、西(にし)の方からくろぐつな(黒蛇)を、丑寅(うしとら、東北)の方からふぐ(鰒)を、次々と引き寄せられた。

これらのものにもそれぞれ、人間創造のお話をされ、やがて年限が経てば陽気あそびもできることを話されて、承知をさせてもらい受けられた。

こうして、雛形と道具がみな寄ったので、人間を創造してこれを守護することを談じ合われた。そして、道具となるものをみな食べて、その心根(こころね)を味わわれた。(その心をひきうけてお働きになられたのである。)

しやちは変(へん)にシヤチコ張り、勢(いきおい)の強いものであるから、男一の道具および骨つっぱりの道具、かめは皮が強く、ふんばりも強くて容易には転(ころ)ばないものであるから、女一の道具および皮つなぎの道具とされた。

すなわち、うをのからだにしやちを仕込んで男雛形(おとこひながた)とされ、これにいざなぎのみことの神名(かみな)を授けられた。しやちにはつきよみのみことの神名を授けられた。またのからだにかめを仕込んで女雛形(おんなひながた)とされ、これにいざなみのみことの神名を授けられた。そしてかめには、くにさづちのみことの神名を授けられた。

また、うなぎは精(せい)が強く、頭の方へも尾の方へもスルスルとぬけて行くものであるから、飲み食い出入りの道具と定められ、これにくもよみのみことの神名を授けられた。かれいは身が薄く、風をおこすに都合のよいものであるから、息吹き分けの道具と定められ、これにかしこねのみことの神名を授けられた。くろぐつなは勢(いきおい)が強く、引いても容易にちぎれないものであるから、引き出しの道具と定められ、これにをふとのべのみことの神名を授けられた。ふぐは食べるとよくあたって、この世との縁が切れるものであるから、切る道具と定められ、これにたいしょく天のみことの神名を授けられた。

(人間の眼うるおいは月様が、ぬくみは日様が守護される。)

こうしていよいよ人間と人間世界をはじめかけることになった。

そこでまず月日親神様は、泥海なかのどぢよをみな食べて、その心根(こころね)を味わい、人間のたねとされた。

月様はいざなぎみのみことの体内に入込(いりこ)み、日様はいざなみのみことの体内に入込んで、夫婦の雛形として人間をこしらえる守護を教え込まれた。そして、三日三夜(みっかみよさ)の間に、九(く)億九(く)万九(く)千九(く)百九(く)十九(く)人の子数(こかず)たねを、いざなみのみことの胎内へ、なむなむとお宿(やど)し込みになった。

いざなみのみことは、その場所に三年三月(さんねんみつき)お留(とど)まりになり、七十五(しちじゅうご)日かかって、子数のすべてを産み下(お)ろしになった。(その範囲は、遥かに広く日本の国ほどに産み下ろしてまわられたのである。また産み下ろしごとに、生まれた子供に親の息(いき)をかけておかれた。)

最初に生まれた人間は一様(いちよう)に五分(ごぶ)の大きさであった。このものは、五分五分と成人(せいじん)して、九十九年経って三寸まで大きくなった。そして全部死んでしまった。

父親であるいざなぎのみことも身をおかくしになった。

けれども、親神様から一度教えて頂いた守護により、いざなみのみことの胎内にまた、まえと同じ子供が同じ数だけ宿(やど)った。そうして十月(とつき)経って産み下ろされた。

この二度目に生まれた人間も、五分から生まれ、五分五分と成人したが、九十九年経って三寸五分まで成人して、また死んでしまった。

しかしこのときも、同じ守護によって、いざなみのみことの胎内へ、同じ子供が同じ数だけ宿った。そうして十月経って産み下ろされた。

この三度目に生まれた人間も、五分から生まれ、五分五分と成人して、九十九年経って、四(し)寸まで成人したとき、母親であるいざなみのみことは、

「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるだろう」

とお悦(よろこ)びになって、にっこり笑って身をおかくしになった。そして子供である人間も、産みの親であるいざなみのみことの後(あと)を慕(した)って、残らず死んでしまった。

それから人間は、虫、鳥、畜類(ちくるい)などの姿に、八千八度(はっせんやたび)生まれかわった。ところが、こうしてこの世に出直しをくりかえしていた人間も、九千九百九十九年経ってみな死んでしまった。

しかし親神のはからいによって、めざるがひとりだけ生き残った。

そしてこの胎内に、男五人女五人つごう十人ずつの人間が宿り、五分から生まれて、五分五分と成人していった。

こうしてこの人間が、八寸まで成人したころから、親神様の守護により、泥海の世界に高低(たかひく)ができかけたのである。その人間が、一尺八寸に成人したころには、海山(うみやま)も天地(てんち)も日月(じつげつ)も、ようやく区別できるようになってきた。そして、子が親となって、元の人数がそろった。

一尺八寸より三尺に成人するまでは、一胎(ひとはら)に男一人(ひとり)女一人(ひとり)の二人(ふたり)ずつが生まれた。

三尺に成人したとき、言葉をつかうようになり、一胎に一人ずつ生まれるようになった。

その後人間は、成人にしたがい、食を求め、陸地を見つけてははい上(あ)がり、世界中にひろまった。

人間が五尺に成人したときには、人間の住むに都合がよいように、海山、天地、世界もはっきりとできあがった。そこで水中の生活をやめて、現在のような陸上生活をするようになったのである。

この間、九億九万年は水中の住居(すまい)、六千年は知慧(ちえ)の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み、と仰せられている。

解題

上記の「元初まりのお話」は、天理教道友社『ムック天理Ⅱ 人間誕生』(1978年発行)に掲載されているもので、天理大学教授芹澤茂氏の編述になるものである。

書体と色を変更して記しているもの、例えば、「くにとこたちのみこと」等の神名や「うお」等の神話的動物の名前は、原文では傍点を振って示されている。また、括弧でくくって小さめの文字で記したものは、原文では(1)漢字の読みを示すルビ、(2)平仮名の意味を示す括弧でくくられた漢字、(3)言葉を説明する括弧でくくられた言葉、のいずれかである。(1)と(3)とが重複するもの、例えば、「乾」には「いぬい」というルビと「西北」という説明との両方が付いているのだが、そういうものは、ここでは、「(いぬい、西北)」というように、一つの括弧の中に読点で区切って併記した。

「元はじまりの話」は天理教の教義の根幹を成す重要な話であるが、これの「原本」と言うべきものが公式には無い。

天理教の原典としては、「みかぐらうた」「おふでさき」「おさしず」の三つが存在する。「みかぐらうた」と「おふでさき」は、天理教教祖である中山みきが自ら筆を執って著したものである。「おさしず」は高弟である飯降伊蔵(いぶりいぞう)が神懸りになって語った言葉を傍の者が筆記したものである。飯降は、神の言葉を取次ぐ者としての権能を教祖から授けられ、「本席」という特別な地位を与えられていた。従って、「みかぐらうた」「おふでさき」「おさしず」の三つについては、原本が存在し、解釈は別として、その権威自体を疑うものは天理教の内部には存在しない。

教祖は、「元はじまりの話」を側近の者に語って聞かせ、物語としてまとめるように命じたらしい。そして、何人かの手によって、幾つかの物語が書かれたが、出来上がったものを見た教祖は、そのいずれにも満足しなかったと言う。

現在、「元はじまりの話」の定本と言うべきものを求めるなら、一つは、天理教教会本部が編纂した『天理教教典』の第三章「元の理」の中に記されているものである。これは、残されている幾つかのバージョンを突き合せて研究した結果として編集されたもので、天理教教会本部による公式の「元はじまりの話」と言って良い。

そして、もう一つが、芹澤教授によるこの現代文の「元初まりのお話」であり、上述のように、『ムック天理Ⅱ 人間誕生』という一般向けの本の中で、世界各地の創世神話の数々とともに掲載されているものである。

こちらも、成り立ちとしては、『天理教教典』の場合と同じように、いくつかの本を読み合わせて研究した結果として編集されたものである。物語の筋、神名や動物の名前、年月や人数などの数字、方角など、肝腎な内容には差異は無い。ただ、こちらの方が、少し語り口がやわらかい。また、『天理教教典』の方では削られたらしいディテールがほんの少し多めに残されている。「編集」でなく「編述」としてあるように、芹澤教授は、何度も読み返して身についた物語を自分の言葉でゆったりと語り直しているかのごとくである。

『ムック天理Ⅱ 人間誕生』を表統領(おもてとうりょう、真柱を輔佐する天理教統括者)であった中山慶一氏が監修していたこと、また、この本の編集には芹澤教授の他にも天理教内において信頼の篤い教学者が数多く携わっていたことなどを考えると、これもまた一つの定本であると言って差し支えないと思われる。

芹沢光治良の「元はじまりの話」

以前、このページには、作家である故芹沢光治良(せりざわこうじろう)氏の著書『大自然の夢』(新潮社 1992)の中に記されている「元はじまりの話」を掲載していた。

今回、思うところがあって、テキストを芹澤教授の編述による「元初まりのお話」に差替えた。

関連リンク

元の理-天理教教典第三章 < 天理教の教え < 天理教ホームページ

天理教教会本部によるページである。『天理教教典』版の「元はじまりの話」が掲載されている。

元はじまりのお話

松谷武一氏による「元はじまりのお話」。天理よろづ相談所病院の院内放送4回分をとりまとめたもの、との但書きがあり、「今日は、私は『天理教教典』と二代真柱さまの『こふきの研究』、おやさま直弟子の人々のお話などをより所として、私自身のことばでお話ししました。」と記されている。松谷氏については、私は何も知らないが、天理教道友社から『ひながたとかぐらづとめ~国家権力の弾圧と近代法制史料~』という著書を出しておられる。

2010年10月現在、上記二つの文書は消滅している。

天理教教会本部のホームページは、もちろん、今も存在する。天理教ホームページ > 天理教ホームページ - 教え というページから辿ると、「元の理」の解説もある。しかし、残念ながら、教典第三章の文章は見あたらない。

2001年1月 / 2005年2月 テキスト差替え / 2010年10月 保守

最終更新日 : 2011-01-19