樂しい日記 2005年12月
2005 年 12 月 1 日 (木)
仕事のメモ
がりごりとコーディング。適度な抵抗があつて氣持が良い。
2005 年 12 月 2 日 (金)
仕事のメモ
午前中、コーディング。午後、はちべゑと連れだつて、工場(どこ)へ、導入時講習に行く。
2005 年 12 月 3 日 (土)
マラソン大會
小學校のマラソン大會。一年生の部で、けいさくが四位、ゆうすけが六位。
學級委員のかみさんに代つて、うどんの炊出しを手傳ふ。
忘年會
六家族、總勢二十四人で、忘年會。子供たちはお好み燒き、大人は鍋。
2005 年 12 月 4 日 (日)
獻米團參
恒例の獻米團參。子供たちに振られたので一人で參加。雪がちらついて寒い。
多田の伯父が参つてくれた。
詰所で伯母に出會ふ。元氣さうだつた。
喜びすぎた(©もとゆき)ためか、家に歸つてから、胃袋が悲鳴を上げた。
2005 年 12 月 5 日 (月)
冬支度
朝、かずひささんから、「タイヤ履き換へてか」といふ電話が入る。もうそろそろ冬用タイヤに換へないといけないと思つてゐたので、早速、さうして貰ふことにする。
自分の車を家に殘して、かみさんの車で出社。
仕事のメモ
がりがりとコーディング。
試驗稼働の結果、ちよつとしたバグが出て來てゐた。位置(何)を勘違ひしてゐたのが原因。これは簡單に修正できた。
もう一つ、仕様を變更する必要がある箇所があつた。こちらはちよつと面倒くさい。それも出來た。
あと一日ぐらゐあれば、機能追加分も含めて、みんな出來るだらう。
さうかうするうちに、エフ氏(誰)から、別件のバグ(らしきもの)の報告を受ける。それも明日の仕事だ。
月次祭
夜、冬用タイヤに履き替へた車で、よしのぶさんのお宅に行く。月次祭。
昨日の今日だと言ふのに、樂しく過させてもらつた。
歸り道、少し雪が積つてゐた。
2005 年 12 月 6 日 (火)
仕事のメモ
機能追加分を含めて、午前中に完成に漕ぎ着けた。
午後、エフ氏(誰)からの報告を檢證する。變な所は一つも無い。これで良い筈。どうも、氏の誤解でないかと思ふ。
さうかうするうちに、名古屋方面のエム氏(誰)から、また別件の障碍の報告を受ける。落ちるんだと。うぐ。エム氏の勘違ひではなく、本物の障碍だな。何でそんな所で落ちるのか、プログラムを作つた前任者(誰)に尋ねてほしいところだが、さう言つて放置する譯にも行かない。しかし、すぐには見當も附かない。困つたもんだ。明日の仕事にしよう。
夕方近くになつて、エイチくんたちと策戰會議。
神歸り
夜、岩座神のお宮さんで、神歸りの祭。と言つても、酒を供へるだけ。三人で、ストーブを焚いた御供部屋(ごくべや)にこもり、酒を燗して飮む。一人だけ(誰)、お詣りがあつた。
2005 年 12 月 7 日 (水)
仕事のメモ
障碍對應策(らしきもの)を捻り出して、エム氏(誰)にメールする。
機能追加して完成させたプログラムを工場(どこ)へ持つて行く。
エフ氏(誰)を訪問して、二人で問題(何)を解きほぐす。やはりエフ氏の誤解だつた。
2005 年 12 月 8 日 (木)
仕事のメモ
がりごりと飜譯作業。八分目ぐらゐまで出來た。
寒い。
2005 年 12 月 9 日 (金)
仕事のメモ
午前中に飜譯作業を完了。テクニカル・タームの確認と手直しをメールで若旦那(誰)に依頼する。
午後、インストーラを整備する。
三時前にすることが無くなつたので、本棚から目についた本を取出して讀む。
寒い。
2005 年 12 月 10 日 (土)
瓢箪
子供たちを「書き方教室」に迎へに行き、そのまま坂本の叔父さんの家に、瓢箪の寫眞を撮りに行つた。
おお、家の中のそこら中に瓢箪が置いてあるなあ。數年後には寢る場所も無くなるのでないか、といふのは要らん心配か。
この瓢箪の寫眞を年賀状に仕立ててくれといふ譯だ。
叔母さんと二人で笑つてゐる寫眞も撮つたのだが、そつちは思ひつきり露出不足でピンボケになつてしまつた。殘念。
プール
いつものやうに、子供たちとプールに行く。同級生のてらまーちやん(誰)と遭ふ。
Windows Me のノート・パソコン
知人からウィルス附きのメールを一山受取つてゐるらしい(らしい?)のだが、見ても大丈夫か、といふ意味の電話を從妹が架けてきた。
「ウィルス對策ソフトは入れてあるの」と聞くと「入れてゐない」と言ふ。「ぢや、駄目」「削除するのは?」 削除するのは良いのだが、Outlook Express だよな、プレビューするわな、ぢや駄目だな。「それも駄目。ウィルス對策ソフトを入れてたら、まあ、大丈夫だけど」「ウィルス對策ソフトつて、どんなん?」「あー、ウィルス・バスターとか、ノートン・アンチ・ウィルスとか、、、」「それ、買うて來て入れたら良えの?」「うん、さう。何でも良えねんけど、、、」電話越しで説明しても、事態を打開できる見通しが無いと思つたので、出張サービスをすることにした。
パソコンは伯父が買つたもので、2001年5月發賣の Fujitsu FMV BIBLO NE7/75。HDD 20 GB, Memory 128 MB, CPU Mobile Celeron 750 MHz, Windows Me, Office XP Personal といふ仕樣。(老婆の厚化粧のやうな Windows Me と、Fujitsu お得意の屑ソフトてんこ盛りの組合せだ。一番、手を触れたくないタイプのパソコンです。)
取り敢ず、うちでダウンロードしたウィルス・バスターの體驗版(30日間無料使用できる)を持つて行つて、インストールした。ところが、ブルー・スクリーンが出るやうになつてしまつた。どうしても直らない。とほほ。最惡。
幸ひ、ノート・パソコンの中に重要な(失つては困る)データは何も無い、といふ事だつたので、一切合切預つて歸つて、根本治療を施す事にした。
月次祭
夜、岩座神で月次祭。
2005 年 12 月 11 日 (日)
Windows Me のノート・パソコン(續き)
リカバリー CD を使つて、OS とドライバー、そして基本的なソフトを入れる。
三枚あるアプリケーション CD は、まだ使はない。その前に、「@メニュー」「@メール」以下の Fujitsu 趣味の屋上屋ソフトやら、宣傳ソフトやら、場所塞ぎなだけの屑ソフトやらを全部アンインストールする。ざまあ見ろ。これですつとした。
ウィルス・バスターの體驗版を入れてから、インターネットに接續し、Windows Update を實施する。
Office XP Personal をインストールして、これも、インターネット經由でアップデートする。
アプリケーション CD の中身を確認して、年賀状ソフトとゲームだけをインストールする。そもそも、從妹が長い間放置されてゐたノート・パソコンを引張り出してきたのは、デジタル・カメラで撮つた寫眞を使つて年賀状を自作しようと思ひ立つたからだつた。數年前の年賀状ソフトだが使へるだらう。ゲームの方は、從妹の子供たちが遊びに使つてゐたらしいので、入れておく事にした。
辭書だの地圖だの家計簿だの携帯電話連携だのは全部採用を却下。要らん(筈)。
隨分すつきりとして良くなつたけれども、それでも、Windows Me つてのは脆弱な OS だね。しよつちゆう固まる。自分のパソコンなら、Windows 2000 なり Windows XP なりにアップグレードする所だ。
從妹の家に持ち歸つて、プリンタ・ドライバを入れ、インターネット接續(CATV)の設定とメール・アカウントの設定を行ふ。
デジタル・カメラを繋いで畫像ファイルの取込みを實演したり、年賀状ソフトを使つて見せたりする。ちよつとやつて見せただけなので、十分には納得できてゐないと思ふ。しかし、今ここで全部を理解して貰ふのは無理だらう。外部記憶装置やファイルといふものについて、まだ把握できてゐないやうだし。まあ、しばらく、無茶苦茶でも良いから、使つてみることだな。
從妹からはケーキを、伯父からはどぶろくを貰つて歸る。
瓢箪(續き)
ちよつと夜なべをして、坂本の叔父の瓢箪の年賀状を作る。
2005 年 12 月 12 日 (月)
仕事のメモ
寒い、寒い。
仕事が一段落してゐるのだが、さて、どうしようか。
ボス(渾名)の要請で、プログラムを少し變更する。
若旦那(誰)に呼ばれて、障碍を調査する。
懸案だつたカラー・レーザー・プリンタの修理見積りを依頼する。ヒューザー(何)交換で約 60,000 圓か。高いな。うちで唯一の PostScript 對應プリンタなのだが、廢棄かな。
本を讀んで、VC++ のマネージ擴張について勉強する。んが。おつと、眠い。
2005 年 12 月 13 日 (火)
仕事のメモ
かみさんからの電話で、あきらさんが亡くなられた事を知る。明日が通夜、明後日が葬式。株内なので、明日の葬儀準備から手傳ふことになる。二日間の有給休暇を申請した。
三人で策戰會議。言つても詮無いことではあるが、豫算がなあ。
夕方、名古屋方面(どこ)から、障碍の報告。ファイルが保存出來ない。あ、どうもハードウェアの故障つぽいな、それは。
再起動したら直つたといふことなので、さういふ事にする。
2005 年 12 月 14 日 (水)
葬儀の準備と通夜
朝から岩座神で葬儀の準備。
しかし、名古屋方面(どこ)からヘルプ・コール。昨日は、直つた、と言つてゐたけれども、どうやら、一時的に症状が消えただけだつたらしい。本格的に駄目つぽい。
通夜のとき、親分(誰)と喪主(誰)の諒解を得て、明日の葬儀は缺席させてもらひ、名古屋方面へ行くことにした。
2005 年 12 月 15 日 (木)
名古屋方面
朝の五時に家を出て、名古屋方面(どこ)に向ふ。
始業時刻を待つて現場に入り、ごによごによと作業(何)を開始する。
午前中に應急措置を完了する。
午後からは、ハードウェアのメンテナンスを擔當するシイ社のエンジニアと共同で作業をする。駄目なもの(何)を切離し、生かせるもの(何)を別のマシンに移植する。
わちやー、間違へた。マシンが起動しなくなつた。自分が乗つてゐる枝を伐つてしまつた。しかし、シイ社のエンジニアが何とか助けてくれた。いやあ、有難かつた。彼(誰)は、この馬鹿、つて思つたに違ひないのだが、そんな事はおくびにも出さなかつた。大したもんだ。
夜の八時頃までかかつて、何とか全部片附けた。
家に帰つたら日附が變つてゐた。
2005 年 12 月 16 日 (金)
仕事のメモ
またもや DLL を作つてくれといふ話が出る。
しかし、そんなもん要るのかね。要らんやうな氣がする。
ふぐ
夜、脱殻邸(どこ)で恆例のふぐを食ふ會。
今年は例年になく少人數。
2005 年 12 月 17 日 (土)
出勤日
脱殻邸(どこ)で目覺める。
土曜出勤日なので會社へ行く。今日は大半の同僚が有給休暇を取つて休んでゐる。
エフの親父さんから障碍の報告を受ける。一つの方は原因が分つたので直したが、もう一つの方は症状自體がよく分らない。そつち(どつち)のバグではないのか。
2005 年 12 月 18 日 (日)
餅搗き大會
朝、起きたら、雪が積つてゐた。10 cm ぐらゐか。道路も眞つ白になつてゐる。
こんなんで餅搗き大會なんぞ出來るんかいなあ、と疑ひながら、取り敢ず、岩座神に向ふ。
岩座神は、公會堂の周邊で、積雪 20 cm ぐらゐ。
雪除けをして、準備する。さうするうちに、ぱらぱらと棚田オーナーの人たちがやつて來た。雪除けを手傳つて貰つたりしながら、人が揃ふのを待つて、豫定の時刻よりも少し遲れて、餅を搗き始める。
棚田オーナーは、半分ぐらゐの人がやつて來た。ただ、一組だけ、岩座神の 2 km ぐらゐ手前まで來て、車が坂を登らなくなり、怖れをなして引返してしまつた人もゐた。冬用タイヤかチェーンさへ着けてゐれば、どうといふ事は無いし、普通のタイヤでも四輪驅動車なら、まあ大丈夫なのだけれど、さうでないとちよつと辛いかな。
綺麗に晴れたり、曇つて雪が降つてきたりと、天氣がよく變わる一日だつた。
藁細工教室(注連繩作り)もやつたのである。しかも屋外で。さすがに寒かつたので、參加者はまばらだつた。
終つてから、キムチ鍋で村の忘年會。
今年の棚田の行事はこれで終了。來年は、一月二十二日の蕎麥打ち大會から。
2005 年 12 月 19 日 (月)
仕事のメモ
エフの親父さん(誰)を訪問する。どうも、そちらのコントローラ(何)のバグらしいですな。だつて、自分で作つたものを讀み込んでも、同じ症状を出すんだから。
さてと、新しい依頼の件(何)だが、どうするかな。前任者の、そのまた前の人の書いたソースをつらつらと眺める。うぐ、やけにコメントが少いな、このソース。綺麗に作り直したい氣持ちと、手を觸れたくない氣持ちが半分半分。
2005 年 12 月 20 日 (火)
月次祭 - 炊事當番
教會の月次祭。いつものやうに會社は有給休暇を取つて休んだ。ときどき、かみさんが「あんた、また休むの。大丈夫か」と心配するのだが、うん、大丈夫、大丈夫。
今月は炊事當番が當つてゐる。朝、母が下準備した煮染やら蒟蒻の白和やら、粕汁の材料やら何やらかにやらを、岩座神から教會の炊事場へ運ぶ。所々道路が凍て附いてゐるし、汁を入れた鍋をつんでゐるしするので、可能な限りのスムーズな運轉を心掛ける。
晝過ぎ、炊事掛をしてくれる人たちを車で教會まで送る。
僕の仕事は、祭典後の直會(なほらひ)での給仕役と酒の燗方ぐらゐ。あ、それと運轉手。
夕方、炊事係の人たちをそれぞれの家まで送つて、無事に終了。
2005 年 12 月 21 日 (水)
仕事のメモ
新しい依頼の件、どうしたものか、まだ考へてゐる。最初から VC++ マネージ擴張で書いても良いのでないか、いや、それなら一層のこと、VB.net で書いちやふか、とか。
しかし、メールや電話の多い日だな。時間が細切れになつて、なんか、落着かない。今日は開發作業はするな、といふ事か。
2005 年 12 月 22 日 (木)
雪
朝、起きて外を見たら、雪が積つてゐた。
早めに家を出て會社に向ふ。本格的な雪だ。道路も眞つ白。幹線道路が澁滯しかかつてゐたので、いつもは通らない裏道を通る。
始業時刻前に會社に着いたのは、僕も含めて、從業員の四分の一ぐらゐかな。
しこしことコーディング。VC++ のマネージ擴張でコンポーネントを作成してゐる。
午後三時過ぎに早退する。こんな日の夕方以降に車を走らせるのは御免蒙るのである。
2005 年 12 月 23 日 (金) 天皇誕生日
雪の休日
右がけいさく、左がゆうすけの雪だるま。
午後、教會で迎春準備の作業。松飾りを作つたり、注連繩を作つたり、障子を張替えたり。
もうさん(誰)は缺席。仕事が忙しいらしい。多田の伯父がいそいそと初參加。樂しさうにしてゐた。
終つた後、鋤燒きで忘年會。
2005 年 12 月 24 日 (土)
體重 79.4 kg 體脂肪率 28.3 %
トレーニング・ジム
かみさんに連れられて、トレーニング・ジム(どこ)に行つた。トレーニング・ルームには各種の運動器具が置いてあり、温泉みたいなプールには泡風呂(とは言はないのだらうけれど、何かそんなもの)もある。本物の風呂もあつた。一囘の利用料は1000圓。會員になると800圓。
ここなら會社の歸りに寄ることが出來るから、來週から週に一囘はここで運動をするやうに、とのお達しである。まあ、それも良いかも知れない。しばらく驗してみようと思ふ。
しかし、ちよつと客が少なすぎるのでないか、このジム。僕たちを含めて三人しかゐなかつたぞ。こんなんでは經營が成り立たないだらう、大いに心配する。
といふわけで、今日はいつものプールはお休み。子供たちの送り迎へは、おぢいちやん(義父)にやつてもらつた。
Windows Me のノート・パソコン(續きその二)
根本治療を施した筈の伯父のノート・パソコンだが、二週間と保たずに出戻つてきた。起動の途中で固つてしまふ、と言ふ。うーむ。
2005 年 12 月 25 日 (日)
Windows Me のノート・パソコン(續きその三)
通常の起動では埒が明かないので、セーフ・モードで起動して、「システムの復元」をやつてみたり、チェック・ディスクをかけてみたりする。どうも、ハードディスクが壞れかけてゐるやうで、不良セクタが檢出される。
フォーマットし直して、不良セクタをはねてから、OS を入れ直す。これで、年を越すぐらゐは保つでせう。保つてください。
ハードディスクを新品に交換して、ついでに 128 MB しかないメモリを 256 MB に増設して、OS も Windows 2000 Professional か Windows XP Home Edition に入替へれば、そこそこ使へるマシンとして再生できると思ふのだが、どうしますか。
運轉手
手製の蒟蒻を配つて廻りたいといふ母のために運轉手を務める。
少し下の方まで出れば、幹線道路に雪は殘つてゐないのだが、岩座神の道はまだ駄目だし、下の方でも脇道には雪が殘つてゐる。いつだつたか、母は冬用タイヤの裝着を斷つて、雪が降つたら車は運轉しない、と言つた。まあ、その方がこつちも安心だ。
町内をあちこち(どつち)と廻る。
クライン・ガルテンの進入路では、まさみちやん(誰)が凍結防止劑を撒布してゐた。「中道」では、親分(誰)がフォークリフトを使つて雪除けをしてゐた。
2005 年 12 月 26 日 (月)
仕事のメモ
午前中、ケイの若旦那(誰)を迎へて、四人(誰)で密談(何)をする。面白いな、それ。
エイ孃から障碍の報告を受ける。動きが變だと。むう、確かにをかしい。
うーん、どうなつてゐるのか、さつぱり判らない。家に歸つてまで惱んだ結果、bool は 1 byte、Boolean は 2 bytes といふ事を發見した。あちやー、何とも恥しいバグだな。
2005 年 12 月 27 日 (火)
關ヶ原は雪だつた
五時間かけて名古屋方面(どこ)へ行き、二時間仕事をして、四時間半かけて歸つてくる。行きも歸りも關ヶ原あたりが除雪作業で澁滯してゐた。
さすがに疲れた。
2005 年 12 月 28 日 (水)
仕事納め
午前中は普通に仕事をする。午後は大掃除。
歸りに、トレーニング・ジムへ寄る。
2005 年 12 月 29 日 (木)
年賀状を作る
もう少し早めに作つて投函しないと、遠くの人には元旦に着かない。毎年さう思ふのだが、切羽詰つてからでないと年賀状を作ることが出來ない。二十九日に作つたから、今年はまだ良い方だ。
家族そろつて仲良く元氣にやつてゐます、子供たちも大きくなりました、といふ寫眞を載せる。
子供たちもそれぞれに友達に年賀状を出す。宛名を書かせるのに一苦勞する。郵便局のみなさん、御免なさい。
2005 年 12 月 30 日 (金)
長閑な休日
ごによごによとプログラムに手を入れたり、かみさんの買物の運轉手を務めたりする。
もうさん(誰)から、『寂庵法話集』の CD-ROM を借して貰ふ。全12枚あるうちの7枚。殘りの5枚はまた今度、といふ事で。
わかちやんとみさちやん、それにしんすけくんが加つて、賑やかな夕食になつた。
2005 年 12 月 31 日 (土)
お宮さんの迎春準備
朝の八時から、三人の御當人(おとうにん)で、岩座神のお宮さんの迎春準備をする。
取り敢ずは焚火をして、うだうだ言ひながら、氣息を整へる(謎)。
五靈神社の外囘り(境内と參道)の掃除、本殿と拜殿の掃除、松と注連繩、供物の準備などを手分けしてやる。鍵當(かぎとう)であるよしはるさんが、本殿と拜殿の掃除と供物の準備をし、たかひろさんと僕とで、外囘りの掃除をする。
一時間に一囘ぐらゐ休憩をする。寫眞はたしか三囘目の休憩で、めざしを燒いて食ひながら、紙コップで燗酒を飲んでゐる。
外囘りの掃除は、半分以上は雪除けの仕事になつた。境内はほぼ全面的に雪に被はれてゐたし、參道もかなりの部分に雪が殘つてゐたのである。境内は雪が深かつたので、人の通り道を空けるのがやつとだつた。もう、くたくた。
松を立てたり、注連繩を張つたりは三人でやる。
晝食を挾んで午後二時頃までかかつて、五靈神社の迎春準備は何とか全部片附いた。
その後、廣峯(ひろみね)さんの参道とお社を掃除する。
岩座神の氏神は五靈神社なのだが、別に里山の中腹に小さな祠(ほこら)があつて、廣峯(ひろみね)さんと呼ばれてゐる。元々は姫路にある廣峯神社を本社とする廣峯信仰が岩座神でも行はれてゐたのだらう。今では五靈神社の行事のついでにちよつと御參りするかしないかといふ程度である。
午後三時頃に全部終了。
初詣
いつものやうに天理教教會本部へ初詣する。メンバーは、たかひろさん夫妻、つちださん夫妻、そして僕の五人。午後九時すぎに出發する。
去年は雪のために中國道が通れず、神戸經由で阪神高速を通つて行つたのだね。
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