樂しい日記 2006年12月

2006 年 12 月 1 日 (金)

血壓を測る

月に一度の受診日。この、僕にとつては血壓を測つて藥を處方するだけのお醫者さんは、今月でこの病院を辭めるさうだ。何でも、カテーテルの操作(だけ)は上手いさうだから、他のもつと給料の良いところから引き拔きを受けたのかも知れない。

高い方が100、低い方が60。ほとんど低血壓だな。

仕事のメモ

引き續き、例の仕事をやつてゐる。いくらか形になつてきた。

Microsoft .NET Framework 2.0 + Visual C# といふ組合はせなのだが、何だらう、このデータ・ベース・アクセスの異常なまでの遲さは。ほんの數件しかデータが入つてゐない状態でこれなのだから、本番で使ひ物になるとは思へん。基本的な枠組に無理があるんぢやないのかな。

2006 年 12 月 2 日 ()

マラソン大會

マラソン大會

午前中、子供たちの學校のマラソン大會。

もーさんも職場からちよつと拔け出して應援してくれた。ただし、「おまへんとこの子、走つたこ?」と言ふやうな次第で、子供たちを確認できなかつたらしい。僕もデジタル・カメラで寫眞を撮らうとしてゐたのだが、ファインダー越しでは全く確認出來ず、適當に見當をつけてシャッターを切るしかなかつた。(だから寫眞を撮るのは嫌いだと言つてゐる。)

結局、6位と7位でゴールしたらしい。去年は4位と6位だつた。うちの子供たちの身體能力(と僕が思つてゐるところ)からして、妥當な結果だと思ふ。

タイヤを履き換へる

もうそろそろ準備しておいた方が良いと思ふので、車のタイヤを冬用に換へた。この冬用タイヤはこれで6シーズン目だ。磨耗がそこそこ進行してゐるので、今シーズン限りだな。外した方のノーマルのタイヤは、よく磨り減つてゐて、來春はもう履けない。

ついでに、エンジン・オイルとオイル・フィルターも交換。

車自體は、5年と3ヶ月で、85,000 km を走つた。その間、特に大きな故障も無く、不安に感じる處は無い。ただ、あちこちのゴム・ブッシュが硬化して彈力を失つてきたやうで、若干、乘り心地は惡くなつてゐる。

2006 年 12 月 3 日 ()

長閑な休日

特に何をするでもない長閑な休日。

午前中、家族四人で柏原に買物に出掛けた。午後、坂本の叔父さんの年賀状を作つた。

つばさん(?)

夕方、カブ・スカウトの聯絡網で、子供たちに次囘の豫定が傳へられてきた。

今度の日曜日に「クリーン・キャンペーン」に參加するのださうだ。ところで、ゆうすけが聯絡で聞いた持參物の中に、「つばさん」といふものがあつた。ん? 何だ、それは? ゆうすけに「それ何?」と聞くと「分らへん」と言ふ。「あれ? あんた、分らんでは困るやろ。次の人に、どない聯絡したん?」と重ねて聞くと「つばさん、言うた。だつて、前の人が、つばさん、言うたもん」と言ふ。「それで、次の人は、分つた、言うたんか?」「いいや」「それでは、あかんやろ」。

さあ、それからが大變だつた。ぐずるゆうすけを宥めたり賺したりして、もう一度、聯絡を受けた人に「つばさん」とは何なのかを尋ねさせて、あらためて次の人に聯絡をさせた。

どうも「つばさん」とは、「火挾み」「火箸」「タング」のことらしい。ゴミ拾ひに使ふのだな。

しかし「つばさん」といふ言葉は初めて聞いた。かみさんにも分らなかつた。ゆうすけの聞き間違ひだとしても、元はいつたいどういふ言葉なのだらう。

2006 年 12 月 4 日 (月)

仕事のメモ

がりごりとコーディングを續けてゐる。一つの畫面はだいたい出來た。まあ、何とか、納期までには恰好が附くのではなからうか。

2006 年 12 月 5 日 (火)

仕事のメモ

引き續き、がりがりとコーディングをしてゐる。

月次祭

夜、ないとうさんの所の月次祭。

歸りは奧さんと娘さんに送つてもらつた。

2006 年 12 月 6 日 (水)

仕事のメモ

昨日と同じ。確實に進んではゐるが、まだ先が長いな。

2006 年 12 月 7 日 (木)

仕事のメモ

ちよつと難しいかと思つてゐた所が三つ片附いた。

一つは、ボス(渾名)が作つてゐる部分との繋ぎの所。と言つても、クラスのソース・ファイルを分けて、そこを彼に押し附けたただけの事だが。C# の partial つてのはこういふ時に便利だね。

もう一つは、クライアントからサーバー側のプログラムを呼んで處理をさせる所。

最後の一つは、サーバー側のプログラムから、さらに別プロセスのプログラムを起動して處理をさせる所。

それぞれの部分はまだ完全ではないが、うまく聯繋して動くやうになつたので一安心である。

2006 年 12 月 8 日 (金)

仕事のメモ

一應の區切りが附いた。やれやれ。

2006 年 12 月 9 日 ()

獻米團參

教會の獻米團參。

叔母から認知症になつた叔父のことを少し聞いた。叔父は、脈絡のない受け應へしか出來ないことが多くなつたけれども、いつもにこにこして、良い事やなあ、有難いなあ、といふ言葉しか口に出さないさうだ。

講演會で、けんざかさんの同級生だといふ教會長さんの話を聽いた。親なる神が人間を造り育て護つてゐてくれるといふ一點が天理教の天理教たる所以である。そして、自分と親または自分と子の關係から、親神樣の思ひを類推して良いと言ふ。親がもつとも嬉しいのは、子が親の苦勞を理解してくれることであり、そして、子が兄弟姉妹、仲良くしてくれることである。親神樣の思ひも同じである、と。

有難いことだなあ、僕は惠まれてゐるなあ、と、このごろよく思ふ。

電子ピアノ

註文してゐた電子ピアノが屆いた。KAWAI の CN-21 といふ機種。勤續うん年の記念として會社から出るお金で、結局、子供たちのために電子ピアノを買つたのである。本物のピアノは、嵩が高いし高價でもあるし、うちの子供たちには猫に小判になるので、全然、買ふ氣は無い。しかし、本物のピアノではないとは言へ、鍵盤の感觸は今まで使つてゐた(安價な)キーボード樂器とはかなり違ふね。

これで、子供たちも思ふ存分に練習してくれるだらう、などと期待してゐる譯ではちつともない。

2006 年 12 月 10 日 ()

忙しい休日

午前中、子供たちはカブ・スカウトでクリーン・キャンペーンの清掃作業に參加。

午後、かみさんは、北隣の家の通夜の手傳ひに出て行つた。

僕は、子供たちをピアノの檢定試驗に、西脇に連れて行つた。場所は舊の西脇前の近くなのだが、車を降りて歩いてみると、今更のやうに隨分と寂れてゐるのに驚く。子供たちを試驗會場の樂器店に連れて行つた後、高校生の頃に行つたことのある路地裏の喫茶店に行つてみた。まだ店をやつてゐて、昔とあまり變つてゐなかつた(昔から古びた店だつたけれど)。子供たちは「間違はずに彈けたから合格やないかな」と言つてゐた。

夜、岩座神で月次祭。

2006 年 12 月 11 日 (月)

仕事のメモ

今週は別の仕事に着手したいのだが、まだ少し實裝出來てゐない部分が殘つてゐた。それを書いてしまつた後、これは僕の仕事ではないと言つて濟ませることも出來るのだがなあ、と思ひながら、帳票の印刷にまで手を出した。繋ぎの所だけでも作つておいてやらう、と思つたのだが、あれこれ書いてゐるうちに、頭を使はなければならない所は全部濟んでしまつた。後は、半日ぐらゐ、あれこれと飾り附けのやうな事をすれば完成するだらう。

2006 年 12 月 12 日 (火)

仕事のメモ

豫定通り、帳票の印刷を午前中で片附けた。それでは後はよろしく、と關係者に告げて、例のプロジェクトから足拔けを果した。かなり多くの仕事をこなしたし、プロジェクト全體としても何とか片が附きさうな感じで進んでゐるから、逃走したと言ふやうな罪惡感は無い。

午後から別の仕事に着手する。

2006 年 12 月 13 日 (水)

仕事のメモ

こねこねとコーディングをする

思つてゐたよりも少し規模が大きくなるかな。

總務に領收書を提出して、勤續うん年の記念品代金を請求した。目標金額に200圓足りないのだが、どういふ風に處理されるのか、ちよつと樂しみだ。

2006 年 12 月 14 日 (木)

仕事のメモ

もりもりと書いたら出來上がつてしまつた。規模が大きくなると思つたのは勘違ひだつたらしい。

2006 年 12 月 15 日 (金)

仕事のメモ

今日から少し大きな新しい仕事に着手する。

昨日までの小さいやつも、納品までにはもう少し手を入れたいのだが、肝腎なところは出來てしまつてゐるので、少し寢かせておくことにする。

先づは問題を定義するところから始めなければならない。

繪を畫く。繪に畫いて問題を視覺的なイメージとして定着させることは、仕事の始め方としてはとても效果的な方法だと思ふ。

忘年會

夕方から、「ファミリー・パーティー」と言ふ名前の、會社の忘年會。家族連れである。會場はホテルで、部屋も取つてあるので、安心して酒を飮める譯だ。

2006 年 12 月 16 日 ()

のどかな休日

晝頃に歸宅。

部屋の掃除をしたり、子供たちをプールに送つて行つたりする。

2006 年 12 月 17 日 ()

餅搗き大會

岩座神で、今年最後の棚田オーナー行事の餅搗き大會。

繪日記の方に書くので、詳細は割愛。

2006 年 12 月 18 日 (月)

仕事のメモ

午前中は打合せの叩き臺になる資料を作成する。かなり叮嚀に作つたので、もう少し手を加へれば、「概要設計書」と呼んでも通用するだらう。

午後、打合せをする。

七割がた當つてゐた。殘りの三割は、こちらにとつて樂な方向への修正になつた。最初は、あまり融通の利くシステムにせず、機能を限定して、運用上の間違ひを防止しようといふ方針だつた。

ハードウェアとの聯繋部分については、若旦那の方は、こつちに作らせたいやうな風情だつたが、えふ氏がかなり強硬に「自分が作る」と主張した。

こつちが作る方が良い物になると若旦那は思つてゐるのだらう。僕もさうだと思つてゐる。しかし、えふ氏の面目を潰してまで取りに行くほどの物でもない。また、ハードウェアとの聯繋があれこれと面倒くさいことも事實だ。爭つても詰らないと思つたので、えふ氏にやつて貰ふ事にした。

2006 年 12 月 19 日 (火)

仕事のメモ

打合せの結果をまとめつつ、概要設計書に相當する物を書く。

午後、割込みのトラブル處理が一件。新しいパソコンにシステムを移設したら、印刷出力で前と同じ色が出なくなつた、と言ふ。プリンタ・ドライバのバージョンを新しくしたのが原因だつた。古いのに戻して一件落着。

2006 年 12 月 20 日 (水)

月次祭

教會の月次祭なので有給休暇を取つて仕事を休む。

石油ファンヒーターの一臺が最近ひどく臭ふやうになつてきた。何度か空焚きをしてみたが、症状が改善しない。買つてから四年目なので、まだ買替へを考へるには早すぎる。購入先であるマツヤ電氣に電話をかけて訊いてみたところ、非常に叮嚀に應對してくれた。「お客さんは延長五年保證に入つてをられるので、メーカーに聯絡して、出張修理して貰ふのが良いでせう」とのこと。早速、コロナから電話があつて、明日來てくれることになつた。

月次祭に久しぶりにささはらさんが顏を見せてくれた。

夕方、隣のひろゆきくんを病院に見舞ひに行く。

2006 年 12 月 21 日 (木)

仕事のメモ

概要設計書をごりごりと書いてゐる。

割込みの仕事が一件

メモ

コロナからサービス・マンが來て、石油ファン・ヒーターを修理してくれた。オーバー・ホールおよび部品の交換。異臭はきれいに消えた。「延長五年保證」のおかげで無料だつた。

現在、マツヤ電氣では石油ファン・ヒーターに關しては、延長五年保證の對象外にしてゐるさうだ。石油ファン・ヒーターは、平均して五年も經たないうちに修理が必要になる、といふ事だらう。

2006 年 12 月 22 日 (金)

仕事のメモ

操作講習に行く。

この分野のデザインと設計の仕事は難易度が高いと思つてゐたが、豫想以上に複雜な操作を要求される難しい仕事だつた。

うちのソフトで對應できない譯ではない。多分、他社のソフトを使つても、簡單には行かないだらうと想像する。しかし、非常に面倒くさい手順を強要される。何とかならんか、と思ふ。

午前中だけで切り上げるつもりだつたが、午後も時間を取つて、擔當者と二人で仕事の流れを追ひかけながら、ひとつひとつ、問題を潰していく。操作講習といふよりは、なんて言ふんだらう、半分はコンサルティング、殘りの半分は問題調査だな。

いくつか宿題を抱えて歸る。

2006 年 12 月 23 日 () 天皇誕生日

迎春準備

教會の迎春準備。

門松を立て、注連繩をなふ。

今年は、長老のたいちさんが出て來られなかつたので、かつみさんの手傳ひとして、注連繩をなふ仕事に挑戰した。「一年生としては上出來だ」と譽められた。

夕方から、教會の忘年會。

2006 年 12 月 24 日 ()

長閑な休日

特に何をしたでもない日曜日。

お晝は四人でラーメン屋に行つた。

その後、教會に置き去りにしてゐた車を取りに行つて、頼まれてゐた寫眞をたかひろさんに屆けて、まさみちゃんと少しだけ驛傳の中繼を見た。

子供たちを連れて「あまんじやこ」の劇を觀に行つたが、チケットが完賣だつたので、すごすごと歸つてきた。

車に燃料を補給したり、洗車機で車を洗つたり。

夜、子供たちの友達のお母さんから貰つてゐたケーキをみんなでいただく。僕は天理教の信者で、かみさんは自稱「まつとうな普通の佛教徒」なのだが、クリスマス・イブの祭はするのである。子供たちは、今晩だけは、サンタクロースの信者(キリストの信者ではなく)である。まあ、日本人だから、こんなもんだらう。中山みき樣、お釋迦樣、イエス樣、ごめんなさい。家族、そこそこ仲良くしてゐますから、大目に見て下さい。

2006 年 12 月 25 日 (月)

仕事のメモ

午前中、納品と操作講習

操作講習と言つても、一通りの説明をしただけで、むしろデモンストレーションといふのに近かつた。「おお、すごい。便利やなあ」と言つて貰つて、氣分は良かつたのだが、後日、「あれ、どうやるんだつたつけ?」といふ電話が架つて來るだらうと思ふ。

午後は、別件のファイル・フォーマット設計をする。これは、向うから提示があつても良い筈の物なのだが、機先を制して、こつちから案を出すのである。早い者勝ちだ。

クリスマス

若かつた頃、クリスマスのシーズンは大の苦手だつた。

「ホワイト・クリスマス」のやうな暢氣なクリスマス・ソングを耳にすると蟲酸が走つた。何やの、その弛緩しきつた腦天氣な陽氣さは、と、苛々した。

或いは、僕はこんなに風に孤獨で不幸なのに、何でお前らはそんなに幸福なんだ、と言ふ嫉妬や焦躁だつたのかもしれない。そう、中島みゆきの「狼になりたい」の「みんな、いいこと、してやがんのにな」とか、「向ひの席のおやぢ、見苦しいね、ひとりぼつちで、見苦しいね」といふ、あの感じだ。

クリスマスの歌で唯一好きだつたのは、John Lennon の歌だつた。彼の聲の響きには、信ずるに足る切實な何かがあると感じた。

いや、John Lennon だけではなかつた。小さなキリスト者の集會で歌つた讚美歌を忘れてゐた。

それは、地上に突き出た天國の橋頭堡のやうな、清淨な祝福に滿たされた集會だつた。本當だよ。世の中には、目立たないかも知れないが、さういふ人たちの集りが確かに存在する。信仰は個人的な事柄だから、群れ集ふ必要はないし、最後の最後は自分で決斷しなければならないのだが、「何事にも先達はあらまほしき事なり」といふ言葉もある。信頼するに足る先達に付き随ふ事から始めるのが良いと思ふ。どうやつてそういふ人に巡り會ふかが問題だが、そこは、それ、「求めよ、さらば、與へらるべし」だらう。

僕は、あのころ、その小さなキリスト者の集會に行つてゐなかつたとしたら、現在、生きてゐなかつたかも知れない。自殺しようとは思はなかつたが、夕暮れ時に歩道を歩いてゐて、車道を行き過ぎる車の群に引き込まれさうで、怖くて仕方がなかつたことがあつた。

確かに、僕は、あのとき、あの人たちとイエス・キリストによつて救はれたのだ。

その後、僕はその集會から落伍するやうな形で拔けてしまつた。淺はかなもので、最初の感動は長續きせず、だんだんと狎れが生じて、横着になり、駄目になつたのである。いや、前よりも一層酷くなつた。なかなか、うまくは行かないもんだ。

それでも、今、僕は何とか生き延びて、本當は受けるに値しない仕合せを享受してゐる。

それは、ひとつには、父や母、祖父や祖母が守り傳へてくれた天理教の信仰のおかげだ。そして、もうひとつには、あのキリスト者の集會で確かに受け取つた神の愛と約束のおかげだと思つてゐる。本當に駄目駄目な人間だつたし、今でも全然良くなつてゐないのだが、神が僕を愛してゐるといふ事だけは、あれ以來、疑ふことが出來なくなつたやうに思ふ。

それは、あんたが、そこそこの現世利益を受けてゐるからだらう、と言はれるかも知れない。さう言ふ面があることは否定できない。現實的な苦しみを抱へてゐる人には、僕が言つてゐるやうなことは、それこそ、暢氣なクリスマス・ソングに聞えるだらう。僕も將來のことは分からない。明日になれば、我が身の不幸を呪つて、神に對して文句を言ふやうな事になるかもしれない。

僕が、かうして、暖かい部屋の中でビールを飮みながら、好き勝手な事を日記に書くことが出來てゐるのは、何か良いことをした報酬か? そして、誰かが苦しんでゐるのは、その人が神の前に罪を犯した所爲か? もちろん、さうとは思へない。現世の利益配分は誰が見ても不公平だ。

しかし、説得力に乏しいことを承知の上で敢て書くが、人間を創つた親なる神が、子としての人間の一人一人を精一杯愛してくれてゐる、といふ事が本當に大切な事なのだと僕は思ふ。

2006 年 12 月 26 日 (火)

仕事のメモ

午前中は、金曜日に持ち歸つた宿題を考へた。

一つ一つ、順序立てて考へれば、難しいことではない。面倒くさくて時間はかかるけれども、手持ちのツールで作業が出來る。間違ひ易い計算の所は、Excel で作つたシートに任せることにする。

手順を整理したら、隨分と見通しが良くなつた。

電話をかけて、明日、答合せに行くことにした。

すこしプログラムを機能擴張すれば、面倒くささもかなり解消出來ると思ふ。それは、年明けの仕事かな。

午後、別件の方に手をつける。

入口側のファイル・フォーマットの設計をしようかと思つたのだが、紙に書くほどの事でもないので、いきなりコードに落し込むことにした。ファイルを書く側のプログラムに機能を追加する。がりごり書いたら、出來てしまつた。

さて、今年はもう明日一日なのだが、次はどうしようか。

2006 年 12 月 27 日 (水)

仕事のメモ

午前中、宿題の答合せに行く。80點ぐらゐ。Excel のシートの計算式が少し間違つてゐたので、修正した。さすがに、自分の事だけあつて、向うの方が良く考へてゐる所もあつた。

來年また會ひませう、と言つて歸る。

午後、月曜日に納品した分の操作マニュアルを書く。

割込みが二件。「印刷出來ん」といふのと、「これ、何か、動きがをかしいんですけど」といふのと。前者は、はちべゑのセットアップのミス。ネットワーク・プリンタが見えなくなつてゐた。DHCPサーバーがゐないネットワークで、「アドレスを自動取得」にしちやいかんだらう。後者は、ずつと前に僕が作つた部品に隱れてゐたバグ。兩方とも30分で片附けた。

ええと、明日は午前中はまだ仕事をするのだな。午後に大掃除か。風邪ひいて休まうかな。

2006 年 12 月 28 日 (木)

仕事のメモ

午前中だけ、仕事をすることになつてゐる。

時間も限られてゐるし、今年はこれで最後だし、やらなければならない仕事でなく、やりたい仕事をすることにした。

持ち歸つた宿題に關係する新しい機能を作成したいのである。營業のはちべゑには別の考へがあるかもしれない。現状のままでも使へるのだし、それは最初からさういふ約束なのだし、新しい機能を作つて提供するとしたら、只といふ譯には行かないでせう、といふ事だ。しかし、その部分の機能が缺落してゐることは、ユーザーにとつては納得しがたい事だらう。僕にとつても、それは無償で提供さるべき必須の機能なのである。だから、さつさと作つてしまへ、といふ結論に達した。

午前中の三時間を使つて、必要な機能の半分を作り終へた。良い感じである。あと半分作れば、ほぼ問題が無くなるどころか、非常に使ひやすくなる筈だ。よしよし。

非常事態

晝飯(愛妻辨當)を食つて、大掃除を始めた頃から、腹の調子がをかしくなつた。

一時間ぐらゐは、割り當てられた仕事の窓拭きをこなしたのだが、だんだん腹痛が酷くなつてきた。

何か惡いものを食つたのかも知れないと思つて、かみさんに携帶電話を架けた。しかし、同じやうに作つた辨當を食つた子供たちは、岩座神でぴんぴんしてゐる、と言ふ。となると、例のノロ・ウィスルとかいふ奴か。車を運轉して歸ることが出來さうにないほど酷くなつて來たので、迎へに來て貰ふことにした。

つひに、會社の便所に驅け込まざるを得なくなつた。下痢である。詳細な敍述は差し控へるが、個室に立て籠り、ズボンとパッチとパンツをおろして便器に坐したまま、上半身を折り曲げて(飛行機の衝撃防止姿勢だ)、きりきり痛む胃袋を押へて苦しんだ。冷や汗も出て來た。

どうしよう。立つて歩けさうにない。いや、その前に、下痢の發作が收らないことには、パンツとパッチとズボンを引き上げることが出來ない。厚着をしてゐるから大變だ。パンツを引き上げて、肌着のシャツを下ろし、パッチを引き上げて、上着のシャツを下ろし、ズボンを引き上げて、ベルトを締めて、セーターを下ろし、と、手順が繁雜なのだ。この際、一部省略しても許されるだらう。しかし、一旦ズボンを履くことが出來たとしても、突發的な下痢の發作に襲はれた場合に肛門括約筋が耐えられるかどうか、自信がない。

あちゃー、どうすんの、これ。念のために携帶電話を便所に持つてきたから、ここから會社の事務所に電話を架けて、誰か(誰?)を呼んで、救急車を手配して貰ふ事は出來る。どうだ、用意周到だらう。大聲を出さなくても良いんだぜ。しかし、ここから救急車までの移動はどうするんだらう。歩けるかな。擔架はこの場所までは持ち込めないな。救急隊員におんぶかだつこをして貰ふのか。うーむ、氣の毒だ。

食中りかノロ・ウィルスだと思つてゐるけれど、もつと質の惡いもの、たとへば鳥インフルエンザだつたら、どうしよう。死ぬかも知れんな。仕事はボス(渾名)に引き繼いで貰はう。ドキュメントやソースは最近整理した所だ。

そんなことを考へながら、三十分ぐらゐ、例の衝撃防止姿勢で、繼續的な腹痛と斷續的な下痢の發作に耐えてゐた。いや、むしろ、出るだけのものはみんな出して了はうと氣張つてゐた。

そして、何度目かの下痢發作が過ぎ去つた後、すぅーっと樂になつた。あ、終つた、治つた、これでもう大丈夫だ、といふ確かな感覺があつた。有難いことに、何事も無かつたかのやうに、正規の手順を踐んで便所の個室を出ることが出來たのである。

迎へに來てくれたかみさんの車で會社を早退し、家に歸つてホーム炬燵に潛り込んで少し寢た。夕食はおかゆ。そして、隣家のりつこちやん(看護婦さん)が、病院で藥を手配して持つて歸り、點滴をしてくれた。腹が減つてきたので、子供たちが食べてゐたチキン・ラーメンを所望したら、あほか、と言はれた。

既に平癒したといふ實感があつたのだが、おとなしく寢た。

2006 年 12 月 29 日 (金)

雪の休日

朝起きたら雪が降り積もつてゐた。

午前中はおとなしく過す。腹の具合はもう何ともない。心因性の一過性のものだつたのかも知れない。ストレスが昂じてゐるとは思へないのだが。「風邪ひいて休もうか」などと言つた罰か。

午後、かみさんと會社へ車を取りに行く。てい氏のグループが今日も會社に來て仕事をしてゐた。

子供たちに年賀状を書かせて、投函する。

夕方、子供たちを岩座神に送つていく。妹と子供たちが歸つてきてゐるのだ。道路は空いていたが、15cmぐらゐ雪が積つてゐた。ストーブが一つ故障したといふので、急遽、ホームセンターで購入して持つて行つた。岩座神は寒いのである。

家に歸つて、さて、年賀状を作らなければならない譯だ。

2006 年 12 月 30 日 ()

迎春準備

昨夜遲くまでゴニョゴニョして、年賀状の文面を作り、宛名面の準備(住所録の更新やら抽出やら)を完了した。

朝からプリンタをフル稼働させて印刷し、近くの郵便局に持つていつて投函した。

その後、岩座神で餅を搗く。

午後は、半日、かみさんの買物の運轉手を務める。最後に寄つたショッピング・センターで、子供たちもゐない(岩座神に行つてゐる)事だし今夜はちよつと贅澤をさせて貰はうか、といふ事で、肉と酒を仕入れて歸つた。

夜、京都に電話を架けた。

2006 年 12 月 31 日 ()

大晦日

大晦日である。

机の中を少し整理する。

夜八時半、いつものやうに、たかひろさん達と天理教教會本部への初詣に出發する。


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